6.先輩とスイーツを食べるのは危険です
「ねえ唯、今度、甘いもの食べに行かない?」
その一言で、私は飲んでいたジュースを危うく吹きかけた。
「げほっ……え、え?」
「大丈夫?」
白瀬凛花先輩が、少しだけ首を傾げる。
近い。今日も近い。というか、相変わらず顔がいい。近くで見ると余計に良くない。心臓に悪い。
「だ、大丈夫です……」
大丈夫じゃないです。
今の誘い方、普通にだいぶダメです。
「嫌だった?」
「い、嫌ではないですけど……」
「じゃあよかった」
よくない。
こっちは全然よくない。
放課後、駅前のベンチ。今日は“朝比奈唯”として凛花先輩と会っていた。待ち合わせした瞬間から、先輩はやたら機嫌がよかった。嫌な予感はしていた。
そして案の定、こうなった。
「駅前に新しいお店できたでしょ」
「……ああ、はい。なんかパンケーキがどうとか」
「そう。それ」
「……」
知ってる。
女子たちの間でめちゃくちゃ話題になってた店だ。見た目が可愛いとか、写真映えするとか、クリームがやばいとか、いろいろ聞いた。
男の俺がなぜそんな情報を知っているのかは、聞かないでほしい。
「唯と行きたいなって思ってた」
「……」
やめてください。
そういうこと、そんな平然と言わないでください。
「返事は?」
「……いつですか」
「今から」
「今ですか!?」
軽いな!?
「ダメ?」
「ダメっていうか急すぎません?」
「急な方が逃げられないかなって」
「怖いです」
何その作戦。
凛花先輩は少しだけ笑って、私の顔を覗き込んだ。
「でも、来てくれるでしょ?」
「……」
ずるい。
その聞き方、ずるい。
「……行きます」
「うん、知ってた」
「なんでですか」
「唯、優しいから」
そう言って先輩は歩き出す。
なんで知ってるんだよ。
というか、その評価、後で美央に言ったら絶対笑われる。
◇
「でっか……」
店の前で、思わず声が出た。
ガラス張りの明るい店内。ふわっと甘い匂い。並んでる女子たち。可愛い看板。どう見ても“映える店”だ。
「やっぱり人気あるね」
「そりゃそうでしょうね……」
「並ぶ?」
「並ぶんですか……」
「嫌?」
「嫌ではないですけど」
「じゃあ並ぼう」
決定が早い。
なんなら会話の途中で決定している。
店の前で並びながら、私はそっと周囲を見た。女子、カップル、女子、女子、カップル。男一人で来る空間じゃない。いや今は女だけど。中身は男だけど。
「唯」
「はい」
「緊張してる?」
「してません」
「嘘」
「してません」
「手、冷たいよ」
「えっ」
気づいた時には、私の指先が凛花先輩に軽く触れられていた。
「っ!?」
「やっぱり」
「い、いきなり触らないでください!」
「ごめん」
謝った口で笑ってる。
絶対反省してない。
「でも、本当に緊張してるんだ」
「してません」
「可愛いね」
「そこに繋げないでください」
ほんとこの人、なんでも口説き文句に変換するな。
◇
十分ほど並んで、ようやく店内に入れた。
案内された席に座る。対面。窓際。逃げ場なし。
「何にする?」
メニューを開いた瞬間、視界が真っ白になった。
「……多くないですか」
「多いね」
「パンケーキだけで何種類あるんですか」
「幸せな悩みだね」
「私には重いです」
「全部可愛い」
「基準が女子すぎる」
「唯も可愛いから大丈夫」
「会話になってません」
メニューを睨む。
ベリー、チョコ、抹茶、季節限定の桃、ブリュレ風、アイス乗せ、クリーム増量。なんだこれ。甘さの暴力だろ。
「決まった?」
「全然です」
「じゃあ一緒に見る?」
「……どうやってですか」
「こう」
すっと凛花先輩が身を乗り出してきた。
近い近い近い。
「ちょっと、近いです」
「見えないでしょ」
「見えます!」
「ほんと?」
「見えます!」
言いながら、顔を上げたせいで思い切り目が合った。
「……」
「……」
近い。
やばいくらい近い。
「……顔、赤い」
「先輩のせいです!」
思わず言ってしまった。
凛花先輩は一瞬だけ目を丸くして、それから少し嬉しそうに笑った。
「そっか。私のせいなんだ」
「言い方がずるいです」
「唯が可愛いから悪い」
「責任転嫁しないでください」
だめだ。ペースを握られてる。
◇
結局、私はいちごのパンケーキ、凛花先輩は季節限定の桃のパンケーキを頼んだ。
運ばれてきた瞬間、私は現実を疑った。
「……でかい」
「可愛い」
「そればっかですね」
「大事でしょ」
「大事なんですか」
「うん。写真撮る?」
「えっ」
「唯と一緒に」
「撮りません!」
「即答」
「当たり前です!」
何言ってるんだこの人。
「じゃあパンケーキだけ」
「それならどうぞ」
「ほんとは唯も撮りたい」
「だめです」
「けち」
「けちでいいです」
先輩がスマホを構えている間に、私はそっと周囲を見た。みんな普通に写真撮ってる。女子ってすごいな。行動に迷いがない。
「撮れた」
「満足ですか」
「うん。次は唯」
「ありません」
「あるよ」
「ありません」
「じゃあ心の中で撮っとく」
「それもやめてください」
「無理」
無理なのかよ。
そんなやり取りをしていると、先輩が私の皿を見て首を傾げた。
「食べないの?」
「いや、食べますけど……」
「じゃあ、いただきますしよ」
「小学生ですか」
「唯、そういうツッコミ好き」
「褒められてない気がします」
とりあえずフォークを入れる。ふわふわだ。思ったより柔らかくて、切るだけで崩れそうになる。
一口。
「……あ、美味しい」
「ほんと?」
「はい。普通に」
「よかった」
凛花先輩が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、私のも食べる?」
「え?」
「一口」
「……」
来た。
この人、絶対こういうの好きだ。
「いえ、大丈夫です」
「なんで?」
「なんでって……」
「美味しいよ」
「そういう問題じゃなくてですね」
「じゃあ私が唯の食べる?」
「だめです!」
反射だった。
「……なんで?」
「それは、その……」
言えるわけないだろ。間接キスとか意識してるからです、なんて。
「……」
凛花先輩がじっとこっちを見てくる。
その顔やめてくれ。
見透かしてるみたいで心臓がうるさい。
「……唯」
「はい」
「もしかして、意識してる?」
「してません!!」
即答した。
即答しすぎて逆に怪しい。
「ほんと?」
「ほんとです!」
「じゃあ一口」
「論理が飛んでます!」
ほんとこの人、会話の進め方が強い。
◇
「……ねえ」
「はい?」
パンケーキを半分くらい食べたところで、凛花先輩が不意に頬杖をついた。
「今日、美央と会った?」
「ぶふっ」
危うく咳き込むところだった。
「な、なんでそこで美央なんですか」
「なんとなく」
「なんとなくで親友の名前出さないでください」
「親友なんだ」
「……まあ」
言ってしまった後で、少しだけ後悔する。
でも嘘でもない。
美央は親友だ。
「仲いいよね」
「そうですか?」
「うん」
先輩がフォークをくるくる回しながら言う。
「この前も一緒だったし」
「たまたまですよ」
「ふーん」
「なんですかその反応」
「別に」
別に、の言い方が全然別にじゃない。
「……先輩、美央と仲いいですよね」
「普通に話すよ」
「やっぱり」
「気になる?」
「ちょっと」
本音が出た。
凛花先輩は少しだけ目を丸くして、それからまた笑った。
「そっか」
「なんで嬉しそうなんですか」
「秘密」
「またそれですか」
「だって、唯がそういう顔するの好き」
「どういう顔ですか」
「ちょっと拗ねてる顔」
「拗ねてません!」
「そういうとこ」
「どこですか」
「可愛い」
「そこに戻さないでください!」
◇
結局、私は凛花先輩の桃のパンケーキを一口食べさせられ、先輩は私のいちごのパンケーキを一口奪っていった。
もうめちゃくちゃだ。
しかもそのたびにいちいち「美味しいね」「唯の選ぶの好き」「やっぱり甘いの似合う」みたいなことを言ってくる。
甘いのはパンケーキだけにしてくれ。
店を出る頃には、私はもうだいぶ限界だった。
「唯」
「はい」
「また来ようね」
「……」
即答できなかった。
したら終わる気がしたから。
「嫌?」
「……嫌じゃないです」
小さく答えると、凛花先輩がぱっと笑った。
「よかった」
その顔が反則みたいに柔らかくて、思わず視線を逸らす。
だめだ。
ほんとにだめだ。
「……先輩」
「なに?」
「その……」
なんて言おうとしてたのか、自分でもわからない。
でも。
「……今日、楽しかったです」
それだけは本当だった。
「うん」
凛花先輩が、少しだけ目を細める。
「私も」
その一言で、また心臓が変な音を立てた。
◇
「――で?」
「うわっ!?」
帰り道、突然横から声をかけられて飛び上がった。
そこにいたのは、壁にもたれてニヤニヤしている美央だった。
「な、なんでいるんだよ!」
「買い物帰り」
「嘘つけ!」
「半分ほんと」
「半分嘘じゃねぇか!」
心臓に悪い。
「で?どうだったの、スイーツデート」
「デートじゃねぇよ」
「はいはい」
流すな。
「……」
でも、美央の顔を見た瞬間、さっきまでのことが一気に蘇ってきた。
近かったとか、一口交換させられたとか、可愛い連呼されたとか。
思い出すだけで顔が熱い。
「うわ、わかりやす」
「うるさい」
「何された?」
「何もされてねぇよ」
「その顔で?」
「だから違うって」
私が早口で否定すると、美央はふっと笑った。
でも、その笑い方が少しだけいつもと違った。
「……そっか」
「なんだよ」
「いや、別に」
そう言いながら、私の顔を見たまま少しだけ黙る。
それから、ぽつりと。
「……ほんと、ずるいよな」
「は?」
「なんでもない」
そう言って歩き出す。
「おい、待てって」
「うるさい、早く帰るよ」
「なんでちょっと機嫌悪いんだよ」
「悪くない」
「悪いだろ」
「悪くないって言ってる」
全然わからない。
でも――
「……」
その横顔が、少しだけ赤い気がした。
夏のせいか。
それとも、別の何かか。
よくわからないまま、私はその背中を追いかけた。




