迷走する思惑
夕方の謁見は遠慮させていただきたい――サシーニャが寄越した使いからそう聞いた時、思わず苦笑したリオネンデだ。
「何か普段と違うことはなかったか?」
不参の理由を聞いていないと言う使者に問うと、これと言ってないと答える。サシーニャがこちらの意を汲んで休息を取ることにしたのか、それとも臍を曲げたままだから来ないのか、考え倦ねているリオネンデだ。
それならば、と再びリオネンデが使者に尋ねた。
「おまえはなぜだと思う?」
すると少し考えてから使者が答えた。
「さきほど薬草屋が参りまして……その時、サシーニャさまが『珍しい薬草』と仰っていました。ひょっとしたらそれをお試しになっているのかと。しばらく誰も部屋に入るなとのことでしたから」
「なるほど。それなら致し方あるまい――明日は必ず顔を見せよとサシーニャに伝えろ」
使者が退出すると、クスクス笑い始めたリオネンデにジャッシフが呆れる。
「まったく! 何がそんなに面白いんだか!」
「サシーニャさまはまだお腹立ちが収まらないのでしょうか?」
心配するのはスイテアだ。うん? とリオネンデがさらに笑いながら二人に答える。
「とうとうサシーニャが音を上げた。笑わずにいられるか」
「音を上げた?」
「薬草売りはワダだ。工事の進捗具合の報告に来たのだろう。それなのにサシーニャが俺に報告に来ない」
「それがなぜ音を上げたとなるのですか?」
「どうせ大した報告もなかったのでしょう」
スイテアは疑問を口にし、ジャッシフは不機嫌そうに鼻で笑った。
ジャッシフはワダを不快と感じている。自分になんの相談もなくリオネンデとサシーニャだけでワダを使うと決めてしまったのが面白くない。だが、それを口にできる立場ではなく、できることと言えば、せいぜい遠回しに皮肉る程度だ。
「ワダと言うのは盗賊だと言うではありませんか。大した報告もなかったのでしょう」
ワダを王館に入れるは流石に憚られ、未だスイテアとジャッシフはワダと面識がない。王館――王の館に入場が許されるのは後宮に入る女を除けば貴族でも上級の者か特別な許しを得た者に限られる。ワダに許しを与える口実がない。
そんな二人にニヤニヤ笑うリオネンデだ。
「たとえベルグやカルダナ高原で大したことがなくとも『ワダが来た』と、気真面目なサシーニャが報告してこない。なぜか?」
「えっ? それは……確かにサシーニャなら必ず報告に来そうだが――」
口籠るジャッシフ、スイテアは
「えぇ、いつもは驚くほど事細かに報告なさるサシーニャさまにしては珍しい……あぁ、『珍しい薬草』って、よっぽど珍しいのでは? そちらを優先したってことでしょう? でも、サシーニャさまらしくない」
と考え込む。
優先と聞いてジャッシフが憤慨する。
「ワダの件を後回しにするのはいいが、王との謁見の約束を反故にするほどの優先事項? 自分のほうに用はなくとも、王が何か下命するかもしれないのに?」
「そうだな、ジャッシフ。おまえの言うとおりだ――なのに来ない。せめてもの当て付けだろうな」
とうとう声を上げて笑うリオネンデ、
「王に当て付けだなどと……」
ジャッシフはさらに苛立った。
なるほど、と微笑んだのはスイテアだ。
「忙しくて休息をとる余裕もないと、サシーニャさまは仰りたいのですね」
「うん。休んでいる余裕などない、どうしてもと言うならば俺との打ち合わせの時間を削るしかないぞ、と。そんなところだな」
「そうなのだとしたら尚更! 選りにも選って王のために使う時間を削る? 首に縄を掛けてでも引っ張り出してやる!」
感情を昂らせたジャッシフが出て行こうとするのを、笑いながらリオネンデが止めた。
「やめとけ――魔術師どもがおまえをサシーニャに会わせるものか。軽く偶われて終わりだ」
「しかし――」
「少しは負けてやれ。あのサシーニャが己の役目を放り出して休んでいる。言ったところで聞かないサシーニャが、やっとその気になった。少しは意地を通させてやれ」
納得いかないジャッシフだが、魔術師の塔に乗り込んだところでリオネンデの言う通り魔術師たちに追い帰されるのが関の山、不満顔のまま腰を降ろす。
「まぁ、どうせ今夜はたいした話もなかった。それでもヤツが来たら、あれやこれや困りごとを持ち込んで、結局深夜までかかることになる。俺たちにも休める時間ができたという事だ」
笑いながらジャッシフを宥める口で、リオネンデがスイテアに向かう。
「こちらもサシーニャを見倣って、たまには早仕舞いとしよう――後宮に行って食事と湯殿の準備を」
後任が決まらないうちレナリムを後宮から出した……王の片割れでもある愛妾スイテアになら女たちも従うはずだ。それにスイテアは思いのほか気が回る。抜かりなくレナリムの穴を埋めるだろう。だがそれも、しばらくの間だけだ。任せられる誰かを育てろとスイテアには言いつけてある。
「確かに……サシーニャは頭がいいのか悪いのか? 時折、すでに決まったことを蒸し返し、王にどやされる」
後宮に下がるスイテアを目で見送ってジャッシフも苦笑する。
「アイツは心配症と言うか、慎重と言うか――俺がいい加減だから、それでうまく釣り合いが取れるんだろうね」
ニヤニヤとジャッシフに答えるリオネンデだ。
そのリオネンデ、ジャッシフと同じようにスイテアの後ろ姿を追ったまま、どうも後宮の様子を窺っているようだ。
「さて、俺はどうやら邪魔なようですね――それでは退散するとしましょう」
リオネンデの思惑を汲み取ったつもりのジャッシフが腰を浮かす。早く後宮に下がりたがっていると邪推したのだ。
「待て、ジャッシフ。見せたいものがある」
「はい?」
リオネンデが隠しから一通の書簡を出すのを見てジャッシフが座り直す。
「これは?」
「うん……」
それでもリオネンデは後宮を気にしているようだ。
「後宮に何かあるのですか?」
「いや――この書簡、バチルデアからのものだ」
「バチルデアから? 見たところ私信のようですが、どなたから?」
「うん……」
気拙げな顔でリオネンデが差出人の名を告げる。
「――ルリシアレヤ・バチルデナ」
「はい? バチルデアの王女さま?」
ジャッシフがキョトンとリオネンデを見る。それからおもむろに後宮への入り口に視線を移した。
「なるほど――スイテアさまをさり気なく遠ざけましたね」
したり顔のジャッシフ、リオネンデがフンと鼻を鳴らした。スイテアの前で婚約者ルリシアレヤの手紙の件を話すのは流石のリオネンデでも気が引けた。
「なんと書いて寄越したと思う?」
「なんと書かれていたのです? お読みになったのでしょう?」
「いや、まだ開封していない。サシーニャに開けて貰うつもりだった」
「サシーニャに?」
「うん、バチルデア国に魔術師がいるとは聞いていないが、念のためにな」
「なんらかの魔法が使われていると?」
「判らん。だから念のためだ――ジャッシフ、おまえの予測ではなんだと思う?」
「さぁ……なんの企みもなく姫が寄越したのだとして順当に考えると、まぁ、どちらか、でしょうね」
「どちらか?」
「グランデジアになど行きたくない。もしくは早く行きたい」
「ふむ……どちらにしても厄介だな」
「手紙が来たのは初めてで? あ、ひょっとしてリオネンデ、こちらから手紙を出したとか?」
「俺が、か? 俺がそんなことするもんか」
これにはジャッシフも笑い、同意する。
「ですよね、サシーニャならいざ知らず」
「サシーニャなら手紙を認めるか?」
「出していても可笑しくないかな、と。結構マメですから」
「あぁ、ヤツはマメと言うか、細かいところに気が回る――この手紙を読むのは明日だな。それよりジャッシフ」
「はい? まだ何かあるのですか? 早仕舞いではなかった?」
これにはリオネンデがクスリと笑った。
「ふん、早く寝床に帰りたいのはおまえのほうか?」
「いや、それは――」
顔を赤らめるジャッシフに微笑んでから
「サシーニャのことだ――昼間もチラリと言ったが、アイツ、女はいないのか?」
表情を引き締めて尋ねる。
「サシーニャに?」
「王家の守り人の任を解いたらすぐにでも妻帯させたい。王家の血を守る責はアイツにもある。これは冗談なんかじゃない」
「そりゃあそうですが――」
「レナリムから何か聞いていないのか?」
「えぇ……」
ジャッシフが口籠り、リオネンデから目を逸らす。そのジャッシフをリオネンデが問い詰める。
「レナリムはおまえの屋敷に移るまでの間、サシーニャの館にいた。その時サシーニャはレナリムのため、足しげく己が屋敷に戻っている――何かしらレナリムに話したのではないか?」
「いや、それが……」
言い難そうにジャッシフが口を開く。
「レナリムがサシーニャに訊いたそうです。思う相手はいないのか、妻を娶る気はないのか」
「うん、それで?」
「サシーニャは、冗談しか言わなかったらしいのですが」
「冗談?」
「はい、例の噂のことしか口にしなかった。ほら、あの、王と魔術師筆頭はタダならぬ仲だと」
「あぁ、あの、俺とサシーニャがどうにかなってるってやつか?」
愉快そうに笑うリオネンデにジャッシフが心配そうにこう付け加えた。
「それが――レナリムも最初は冗談と思ったようなのですが……ひょっとしたら兄上にはそれが真実なのではないか、と感じていると」
「はぁ?」
リオネンデの笑いが止まり一瞬息を飲む。が、すぐに吹き出し爆笑に変わった。
「おい、ジャッシフ。それはレナリムの勘繰りと言うものだ――もういい、帰れ。帰ってレナリムにもそう言って安心させてやれ」
本当にレナリムの思い違いだろうか?……ジャッシフが考え込む。サシーニャのことは子どものころから知っている。が、妻帯禁止の守り人になる前でさえ、浮いた話を聞いたことがない。サシーニャに興味を持つ女は随分といたようだが、サシーニャは無関心を決め込んでいた。
笑い転げるリオネンデを置いて退出するしかないジャッシフだった。




