レモン水とビール
巧く前王に取り入り王女を妻にしたあげく、王女が命を落とす原因を作った。それなのに妻が死んでからものうのうと大臣の座に居座っている――政治家の仕事は往々として民衆には判らないものだ。王が信任するにはそれなりの理由があるなど思いもしない。
斯くしてサシーニャが五歳の時、父親は王宮からの帰路、民衆に襲われ他界している。
犯人は十数名の庶民と言われているが、実のところは明らかになっていない。馬車の御者も含め全員殺されたうえ、目撃者もいなかった。現場に落ちていた剣や服の切れ端から庶民、足跡から十数名、と憶測されたに過ぎない。手際の良さから魔法使いの関与も疑われたが、これはすぐに否定された。
魔術師の塔にいる魔法使いは国王に絶対服従を誓っている。国王が頼りにする一の大臣を襲うはずがない。そして市井に潜む魔法使いには魔術師の塔が監視を付けている。こんなことができるはずがなかった。
その事件の時、一の大臣の警護責任者はジャッシフの父親だった。大臣の馬車に同乗しており、命を奪われた一人だ。その忠義に報いる、少々無理も感じるが否定できるものでもない。
公にはしないがサシーニャには他の理由もある。
レナリムの肌は淡褐色ではあったが他者と比べると随分と淡い。髪はブロンズかかった黒、瞳は一見黒だが陽の光の中で時に青く見えなくもない。それをジャッシフは気にすることなくレナリムに思いを寄せた。子どものころからだ。政治的な思惑など存在しない純粋な恋心はレナリムを幸せにしてくれる、そう判断したサシーニャだ。
政略のみの他の貴族に縁付かせれば、レナリムは単なるお飾りになることが明白だった。それよりも真剣にレナリムを求め愛するジャッシフならば、サシーニャとしても安心というものだ。
しかし最大の理由は、この婚姻がリオネンデの謀略だという事だ。レナリムをジャッシフの妻とせよ、リオネンデが内密に命じたからだ。
ジャッシフはリオネンデの側近だ。が、政敵になり得るマジェルダーナの甥でもある。そんなジャッシフのもとへ、因果を含めてレナリムを送り込め――このことを知っているのはリオネンデとサシーニャ、そして当のレナリムの三人だけだ。マジェルダーナがこの婚姻に当初、難色を示したのはひょっとしたらと思ったのだろう。が、ジャッシフの懇願に負けている。
マジェルダーナがレナリムを警戒するのは承知の上だ。ジャッシフに対してさえも狡猾なあの大臣が、サシーニャの妹を警戒しないはずはない。マジェルダーナはリオネンデに知られたくないことを、たとえ甥であろう簡単に漏らしたりしないだろう。が、それでも言葉の端に乗せてしまわないとは限らない。さらにジャッシフがリオネンデに告げるのを躊躇う案件もあるかもしれない。それらを拾うのがレナリムの仕事だ。
ジャッシフは妻の心を微塵も疑っていない。思い思われていると信じている。自分はなんと幸せ者だろう……仕えるべき王に認められ、王の従妹の姫を妻にした。ジャッシフにとってはそれが真実だった。しかもそのうえ、妻の兄は筆頭魔術師であり王家の守り人、後見のいないジャッシフには夢のような話だった――
スイテアが数名の女を伴って王の執務室に戻ってくる。女たちが捧げ持つのは酒と少しばかりの食物、スイテア以外が下がれば簡単な宴が始まった。
それにしても、とサシーニャが皮肉を口にする。レナリムに子ができたのが嬉しくない訳じゃない。でも、と思ってしまったサシーニャだ。
「肝心な王がなかなか子宝に恵まれないのも不思議ですね」
それをリオネンデが皮肉で返す。早くお子をと、大臣たちからも煩く言われるこの頃だ。
「魔術師筆頭ともあろうおかたに妻帯を禁じておいて、子を持つのは気が引ける」
王家の守り人はその任命中、妻を持つことが禁じられている。自分に代わる王家の守り人を選出し倦ねているサシーニャを皮肉ったリオネンデだ。サシーニャが黙り、ジャッシフが慌てる。が、すぐにサシーニャが応戦し、ジャッシフをホッとさせる。
「魔術師筆頭は世襲ではございません、子がなくとも問題ないことです」
そう言って杯のレモン水を飲み干すサシーニャ、リオネンデが杯のビールを飲み干して応酬する。
「己が魔術師筆頭であるとともに、王家の血が流れていることをよもや忘れてはいまい? もし俺に子ができなければ、サシーニャ、おまえ、もしくはおまえの子が王位を継ぐ。王家の血を残す義務があるのは俺だけじゃない」
「おやおや、その義務の一番が自分にある事を忘れていらっしゃる。他力本願はおやめなさい。この件で頼りにされるのだけはお断りだ」
嘲りを隠さないサシーニャの言葉にジャッシフが慌てて止めに入る。
「サシーニャ!」
「申し訳ございません!」
ジャッシフの叫びにスイテアの声が重なった。
「わたしが至らぬばかりに魔術師筆頭さまにご心配をおかけしております」
「いや……」
珍しくサシーニャが口籠る。普段から口数の少ないスイテアが、まさかここで口を挟むとは思っていなかったのだろう。
スイテアが頭を下げたことでリオネンデが激昂するかと危ぶんだジャッシフはさらに慌てたが、当のリオネンデはニヤリと笑っただけだ。冷や冷やと様子を窺っていると、サシーニャがつと立ち上がった。
「乾杯は付き合いました――わたしは忙しい、これで失礼します」
リオネンデはフンと鼻を鳴らしただけで引き留める様子もない。
「いや、サシーニャ……」
ここでもあたふたするのはジャッシフばかり、スイテアは心配そうにリオネンデとサシーニャを見比べている。
サシーニャは少しだけリオネンデの顔を眺めていたが、軽く溜息を吐くと退出してしまった。
行かせてしまってよかったのか? ジャッシフの心配を気にもせず、
「アイツの杯に何を入れた?」
とリオネンデはスイテアに尋ねている。怒っているようにも困惑しているようにも見えない。
「はい、レモン水を――」
申し訳なさそうにスイテアが答える。
「なぜ酒を注がなかった? そもそもビールは酒か?」
「ビールはお酒でございます。王には物足りないでしょうが、まだ昼間。こののちの執務もございます。我慢なさってくださいませ――レナリムからの申し送りで、お酒の席ではサシーニャさまにはいつもレモン水を差し上げております」
「ふーーん……まぁいいか。どうせサシーニャに酒を出しても飲まなかったという事だ。サシーニャの指示でレナリムはそうしていたのだろうからな」
と苦笑するリオネンデだ。
ジャッシフが不思議そうな顔で
「レナリムの申し送り?」
とスイテアに問う。
「はい。サシーニャさまはお酒に弱い。だから間違っても飲ませないようにと」
それをリオネンデが鼻で笑う。
「たぶんそれは表向きだな――あの火事以降、アイツは酒を飲まない。万が一を考えているのだ。何かが起きた時、いつでも万全でいられるように……まったく飲めないわけじゃない。今日は飲ませたかったな」
「まぁ、いくら祝いの席とは言え、あの頑固者、そう簡単に筋を曲げやしないでしょう」
「そうじゃないよ、ジャッシフ――サシーニャはここのところロクに寝ていないらしい。執務室に籠って考え事ばかりだそうだ」
「サシーニャがそう言ったのですか?」
「まさか!」
とリオネンデが笑う。
「ヤツの部下がわざわざここに言いに来た。よっぽどのことだ――仮にも祝いの席で俺に皮肉を言ったのは、疲れがヤツを苛立たせていると見た。自分が揉める原因を作ったことはあいつも判っている。原因は何かと考えるはずだ。戻って少しは休むだろうさ」
俺にレモン水を寄こすなよ、と笑ってスイテアに杯を差し出すリオネンデ、スイテアがその杯にビールを注ぐ。
再び満たされた杯を干しながら、リオネンデが考える。夕刻再びここに来るサシーニャに休んだ様子がなかったら、その時は――
その時はどうするか……心を決めかねているリオネンデだった。




