婚約
やがて雪が消え春が深まるとともに、国王モーリシェンの不調は露なものとなっていく。常に鬱々と楽しまず、不機嫌を隠そうともしない。些細なことで激怒し、辛辣に臣下を叱責する。そうかと思えば、そんな行いを悔やみ、涙ながらに謝罪する。ついには日ごと酒に溺れ、昼間でさえも酩酊するようになった。
原因は第一王子の自害を目の当たりにした衝撃、いずれ癒されると見込んでいた王宮の医師団も、モーリシェンを放っておくことができなくなった。心の傷の積極的な治療に乗り出すことになる。心を落ち着ける薬を、夜には穏やかな眠りを誘う薬を処方した。
それにより、モーリシェンの奇行は幾分治まったものの、医師たちの知らぬ本来の原因が解決されたわけではない。根本的な治療ができていないのだから薬の切れ間には、誰彼構わず当たり散らすことが多かった。
八つ当たりは(実は八つ当たりではないのだが)ジョジシアスにも及んでいる。さっさと妻を娶り、子を拵えろと大臣以下重臣が居並ぶ場でイライラと叱責したのは夏も盛りの頃だった。
たじたじとなり畏まるジョジシアスに、厳しい口調でモーリシェンは命じた。グランデジアの女を妻にしろ、話しは既につけてある――
「会ったこともない女を娶れと、命令が下った……どうしたらいい?」
ジョジシアスは己の館に帰るなり、モフマルドを頼っている。
「グランデジア第三大臣マジェルダーナの妹御だそうだ」
「マジェルダーナさまのお噂は聞き及んでおります。まだお若いが英明なおかた、第一、第二大臣を凌ぐことも多いとか――そう遠くないうちに第一大臣に押し上げられるだろうとの評判でございます」
「うむ……」
ジョジシアスが低く唸る。
ナナフスカヤのことがある限り、妻を持つなど考えられないジョジシアスだ。婚姻を承知するかしないかよりも、ナナフスカヤと別れられるのかどうか、そちらの方が悩ましい。ジョジシアスがナナフスカヤを切り捨てたとしても、ナナフスカヤが同意する可能性は低く思える。妻を娶れば必然的にジョジシアスの屋敷で密会を続けることは不可能だろう。その時、ナナフスカヤはどう出るのか?
王宮のどこか別の場所で密会を続けようと言い出すだろうか? その場合、秘密が露見する危険が飛躍的に大きくなるのは目に見えている。
考えはモフマルドとて同じこと、もっともこちらはナナフスカヤの気持ちなど微塵も気にしていない。だが、秘密が暴かれるのは是が否にも阻止したい。
「王妃さまはなんと仰っているのですか?」
モフマルドの質問にジョジシアスが首を振る。
「どうもこの縁談、父上が独断で進めたようだ――マレアチナに、いい相手がいたら紹介して欲しいと言っていたようで……王妃さまにも重臣たちにも諮っていないらしい。みな驚いていたが、現状を考えれば政略に有利であれば他の問題は考えず進めるのがよいと、重臣どもは誰も反対しなかった」
「まぁ、それは想像がつくところですね。もっと早くそうなっていても可怪しくなかった――で、王妃さまは?」
「……何も仰らなかった。その場では何が言えるはずもない」
「そうですか……ジョジシアスさまの意には染まないと考えてよろしいですね?」
「うん。できれば断りたい。だが、断る理由が見つからない」
「判りました、モフマルドにお任せください。お相手のご令嬢の粗を探してまいりましょう」
そんなものがあるだろうか、力なく笑うジョジシアスだ。
その夜、モフマルドの予想通り、ナナフスカヤがジョジシアスに会いに来た。だが、もう眠ってしまったと、ジョジシアスには会わせない代わりに、モフマルドがナナフスカヤを引き留めた。
「王妃さま、ジョジシアスさまから話は聞きました――で、どうなのです? やはりその令嬢を迎えない訳には行きませんか?」
モフマルドの質問にナナフスカヤが深刻な顔をする。そして別の問題を口にした。
「モフマルド――国王はひょっとしたら、わたしとジョジシアスの仲に気が付いているかもしれない」
「はい?」
思いもしないナナフスカヤの言葉、さすがのモフマルドも顔色を変えた。
「それは、どういうことですか?」
「このところ、国王が……わたしの屋敷を訪れたいと言って寄越すのです。王子を二人も失った、これからでもまた授かるかもしれないと仰って――」
「どうしてそれが気付かれていることになるのです?」
胸に縋りついて、ナナフスカヤがモフマルドを見上げる。
「そんな気になれないとお断りし続けているのですが――若い男がよくなったのは息子を亡くしたからか、などと仰る」
「うむ――」
「息子ほど若い男のほうが、おまえを喜ばせてくれるかもしれないな、などとも」
「うぅ……し、しかし、息子ほど若い男が、ジョジシアスさまとは限りますまい」
「いいえ、モフマルド、国王は『息子』に力を込めて仰るのです」
いったいどこから秘密が漏れた? 考えをめぐらすが思いつけない。
「ナナフスカヤさま、この屋敷以外で、ジョジシアスさまと言葉を交わされたことがございますか?」
さぁ……とナナフスカヤが考え込む。
「個人的な話など、一切しておりません。政治向きの場では相応しい会話ならあるにはあります。敢えて言うなら……ジャスチルムの――」
ハッと言葉を止めたナナフスカヤだ。
「ジャスチルムさまの?」
その先を催促するモフマルドをナナフスカヤが怯えた瞳で見つめた。
「あの時、ついジョジシアスに縋ってしまいました。目の前で起きたことに気を取られて――ロームバスカが来て、慌てて離れたのを覚えています。あの時、あれ、国王の目の前でのことでした」
今度こそ深く唸るモフマルドだ。ジャスチルムが狙ったわけではないと判っていても、恨みたくなる。
「軽率なことをなさいましたね」
「どうしたらいいの、モフマルド!?」
ガタガタと震え出したナナフスカヤの肩を抱き寄せ、モフマルドがそっと囁く。
「こうなったら、我らは護身を謀らなければなりません。お覚悟ください」
モフマルドの言う覚悟が何を示すのか、察したナナフスカヤの震えが一段と激しくなる。
「怯えることはありません。モフマルドとて一蓮托生、必ず王妃さまとジョジシアスさまをお守りいたします――今宵はお部屋にお戻りになり、お早くお休みくださいませ」
そういうとナナフスカヤから離れ、薬棚から小瓶を取り出す。
「こちらは嫌な夢を見ることがなくなる薬……少し強い酒でございます。水で割って飲めば、すぐに心と身体が温まり、夢の国へと王妃さまを誘うでしょう――暫く訪れはご遠慮くださいませ。それが我らのためとなります。それと、ジョジシアスさまのこのたびの御婚儀、反対なさってはいけません。むしろ早く話を進め、正式に決まった折には盛大にお祝いなさいませ」
「お祝い?」
「王太子のご婚約なのです――婚儀は来春とし、内祝いと称してバイガスラのみでの宴を、なるべく早く催すのです。判りましたね?」
震えの止まらないナナフスカヤに小瓶を渡し、そっと抱き締めるとモフマルドは、『さぁ』と出入窓までナナフスカヤを見送った。
翌日、ジョジシアスにも婚儀を受け入れるよう指示を出したモフマルドだ。ここは護身を謀るしかない。ナナフスカヤも承知となれば、ジョジシアスに否はない。ただ、割り切れなさを感じ、心も表情も晴れないだけだ。理屈ではモフマルドの言うとおり、仕方ないと判り切っている。
そしてモーリシェンの希望通り、ジョジシアスの諦めとモフマルドの企みを抱いて、婚約が正式なものになる。もちろんグランデジア王家からの賛意も得た。
晩秋、もう直に雪が降り始めるかと言う頃、王太子ジョジシアス婚約の内祝いの宴は王宮大広間にて、並み居る貴族たちが招かれて催されることとなる。




