暴行
重い扉を開けて中に入り左手を見れば、ずっと奥に暖炉が見える。書架で埋まったこの部屋は、そこだけが広々と開けていて、ゆったりとした長椅子が置かれていた。
書庫は静まり返っている。いると思っていた長椅子には人影がない上、大きく位置がずれている。子どもだからと加減した薬の量が少な過ぎたか? 抵抗して暴れたのだろう。
わざと足音を立てて長椅子に駆け寄り、位置を直す。そして入り口からは書架の影となり見えなかった奥に視線を向ける。
「モフマルド……」
青白い顔で、こちらを茫然と見ているのはジョジシアスだ。膝を折り、ぺたりと床に尻を着け、へたり込んでいる。周囲には散乱した衣類、着ているのは袖を通しただけのシャツが一枚、鍛えた胸板が暖炉の火に照らされている。
その足元に横たわるのは無残に散らされた若草、あまりの生気のなさに、まさか朽ちたかと焦るモフマルドだ。よく見れば、静かに息をしているのが判る。涙に塗れた頬、開かれた瞳は虚ろ、だが正気を失しているわけではなさそうだ。
「ジョジシアスさま……なにが?」
震える声でモフマルドはジョジシアスに問う。いや、責める。
「いったい何があったのです? いいえ! 何をしたのです!?」
モフマルドがリオネンデに駆け寄る。ジョジシアスはガタガタと震えながら、リオネンデの身体をモフマルドが検めるのを眺めているだけだ。
「とにかくすぐに手当てをいたしましょう――幸い、そこまでの深手ではありません」
着ていた羽織り物を脱ぎ、リオネンデを包んで抱き上げるとモフマルドは
「ジョジシアスさま、しっかりなさいませ。モフマルドは先にリオネンデさまをお部屋にお連れします。ジョジシアスさまもすぐにおいでください」
と書庫を出た。
部屋に戻ると、あらかじめ用意しておいた湯でリオネンデの身体を清めた。
(大丈夫、この程度ならすぐに治る)
マレアチナの滞在は今日より五日、ジョジシアスがリオネンデに深手を負わせ、事が露見することのないよう施した細工が巧くいっている。
ここ五日ほど、ナナフスカヤをジョジシアスから遠ざけた。ジョジシアスさまはお疲れと、訪れたナナフスカヤの相手を引き受けていた。マレアチナ歓待準備で確かにジョジシアスは多忙、ナナフスカヤは疑いもしない。
そうしてはけ口を失し、さらに欲情をそそる薬を盛られたジョジシアスはモフマルドの狙い通り、リオネンデに深手を負わせる前に堪えきれずに迸らせた。その痕跡は明らかだった。
湯が終わるころには少し身体に力が戻ってきたリオネンデを立たせ、身体を拭いてやる。するとモフマルドの手に水滴がポトリと落ちた。見あげるとリオネンデが涙を零している。
「リオネンデさま――」
「モフマルド……伯父上は、伯父上が――」
「リオネンデさま……」
膝立ちのままモフマルドが、そっとリオネンデを抱き締める。
「ジョジシアスさまはリオネンデさまを、それはそれはお好きなのです。許して差し上げなさいませ――」
リオネンデは返事をせずに、黙ってモフマルドを見るだけだった。
真新しい服を着せ居間に戻るが、ジョジシアスが戻ってきた気配はない。リオネンデを寝室に連れて行き、温かな飲み物を与える。
「今宵は就寝のご挨拶は不要です。お疲れでしょう? お休みくださいませ」
ベッドに横たわるリオネンデの頭を撫でて寝室を出たモフマルドだ。
居間でジョジシアスを待つモフマルド、ふと深い溜息を吐いた。
すべて狙い通りに事は進んでいるのに気が晴れない。むしろずっしりと重くなっていく。あんなに幼い子どもに辛い思いをさせることへの後ろめたさか? そして自嘲する。
(今更だ。自ら手を下したわけではないにしろ、何人の命を奪った?)
この国に来てまず、三人の若者を催眠魔法を使って自殺に追い込んだ。次は第二王子を事故死、いや、あれは事故ではないのか? 眠り薬を仕込まなければ第二王子が落命することはなかったかもしれない。
第一王子の落馬も毒蛇を馬の鬣に忍び込ませなければ起きなかった。まぁ、命が助かったから良しとするか――
思えばいつからこのわたしは、こんな恐ろしい男になり果てたのか? そうだ、あの憎い男と女のせいだ。あの二人はとうに死んだのに、未だにわたしを苦しめる。
そうとも、あの夫婦への恨みをさらに駆り立てたグランデジアに報いるまでは、わたしの復讐は終わらない。
「ふ……」
モフマルドが苦しい笑みを浮かべる。
(このところの平穏さに、つい本来の目的を忘れるところだった。ジョジシアスを王位につけることが目的ではなかったはずだ)
マレアチナの来訪がわたしに大事なことを思い出させてくれたのだ。これを利用しないでなんとする?
(リオネンデはマレアチナさまによく似ている)
寝かしつけたリオネンデの顔を思い浮かべる。
(だが、マレアチナさまとは違う面影をも見た)
そう、グランデジア王、そしてその姉、憎い女――
だとしたら、あの憎い女の面影を宿す少年に、恨みの一端を背負わせてもいいはずだ。やっと部屋に戻ってきたジョジシアスを迎えたモフマルドが意を固める。ベッドに寝かせる前にリオネンデに飲ませた薬の効果を使うと思いきる。
「ジョジシアスさま――大変なことをなさいましたね」
「モフマルド……なぜ俺はこんなことをしたのか」
項垂れるジョジシアスにモフマルドが茶を勧める。もちろん茶には薬が仕込んである。
「まずは落ち着いて話を聞きなさい」
今宵のことがグランデジアに知られれば、我がバイガスラは立つ瀬を失います。これは国を守るための手段なのです――
「いいですか? リオネンデさまさえ黙っていれば、事が表に出ることはありません。では、どうやって口を塞ぐのか?」
そっとジョジシアスの手に膏薬の小瓶を握らせる。
「これは心地よい感覚を呼び覚ます薬です。これでリオネンデさまを夢中にさせなさい。子どもと言えど快楽は判ります。必ずジョジシアスさまの指でお使いください。ジョジシアスさまのものを受け入れるにはリオネンデさまは幼過ぎる」
「おまえ……モフマルド――」
モフマルドが意味することを察したジョジシアスの顔がさらに蒼褪める。
「できなければ御身と祖国の破滅と思し召しを……何をいまさらです。すでにジョジシアスさまはリオネンデさまに手を付けられた。さあ、早く寝室へ。リオネンデさまはジョジシアスさまのベッドでお待ちです」
「俺のベッドで?」
「えぇ、伯父上と一緒がいいと仰って……優しくして差し上げるのですよ。そうだ、ナナフスカヤさまがいつもジョジシアスさまにしてくださることをリオネンデさまにしていただくといい。リオネンデさまが身悶えるのを眺めるだけではジョジシアスさまも切ないことでしょう。あの可愛らしい唇に愛しんで貰いなさい。反対に、して差し上げればリオネンデさまもお喜びになりますよ――そしてこれは二人の秘密だと、何度もリオネンデさまに囁きなさい。快楽は後ろめたさを伴うものです。リオネンデさまは秘密を誰にも言えないはずです」
リオネンデはモフマルドが盛った薬で夢と現を彷徨っている。そしてジョジシアスの茶に仕込んだ薬も効いてきている。ジョジシアスの瞳が潤み始めてきた――
それから三日の間、ジョジシアスとリオネンデが寝室から出ることはなかった。
マレアチナには『リオネンデがバイガスラにいる間はこちらで過ごしたいと言っているがどうするか?』と使いを出している。よっぽどジョジシアスが気に入ったのね……マレアチナからは『出立の前日に迎えに行くからよろしく頼む』と返事が来た。二度と会えないかもしれない伯父、たっぷり可愛がって貰うといいと思ったのだろう。その可愛がりかたが思いもよらぬものだなど、想像もしない。
食事は玄関の間で給仕係からモフマルドが受け取って部屋に運んだ。リオネンデさまは人見知りが強い、と理由を付ければ本当のことだけに誰も疑わない。そしてその食事に、様子を見て薬を仕込むことをモフマルドは忘れなかった。子どもに使うのは危険な薬は酒に溶かしてジョジシアスに飲ませている。
グランデジアへの出立の時、ジョジシアスはリオネンデを抱き上げ、リオネンデはジョジシアスに抱き着いてその頬に口づけしている。その場にモフマルドはいなかったが、話を聞いてギョッとした。勘のいい者が気が付きはしないかと恐れたのだ。だが誰もが、別れを惜しんでいるとしか思わなかったようだ。
しかし、その出来事はモフマルドに次の企みを思いつかせるには充分だった――




