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残虐王は 死神さえも 凌辱す  作者: 寄賀あける
第2章 不遇の王子

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好機

 健康は徐々に回復したものの、ジャスチルムが自力で寝台から起きられるようになる兆しは辛い冬が過ぎ、春が来ても見られなかった。ジョジシアスを王太子にという声は日増しに強まるが、当の本人が首を縦に振らない。国王も悩ましいところだ。


 グランデシア王姉のために悪阻(つわり)止めの薬を送って以来、ジョジシアスのもとに妹マレアチナから手紙が届くようになっている。秋には薬の効果で王姉がお元気になられたと謝意が書かれ、冬にはバイガスラの雪が恋しいとあった。グランデジアに雪が降ることはない。


 幼いころから自分を兄と認め、王族の一人と見てくれていた唯一の血縁、妹マレアチナからの手紙はジョジシアスを大いに慰めるものだった。そんなマレアチナからの手紙にジョジシアスが顔色を曇らせたのは晩春のころだった。

「グランデジア国王の姉上が亡くなられたそうだ――」


 妊娠は順調に進み、出産も比較的安産だった。無事に女の子を生み落とした顔は喜びに輝いていたという。それが出産翌日から急激に体調が悪化し、医師も魔術師もなんの手も打てないまま、あっという間に痩せ衰え、命の火が消えたという。


「夫である一の大臣は、それはそれはお心落としで、慰めの言葉もかけられないそうだ」


 あの男が一の大臣? グランデジア王家の者どもの目は相変わらず節穴か――苦々しい心持を隠して気の毒そうな顔をするモフマルドだ。


「人の命とは(はかな)いものでございますな」

もちろん悪阻止めに、体内から著しく血が失われると効果が出る毒薬を仕込んだと言うはずはない。出産による出血でその効き目が表れたのだと知っているのはモフマルドだけだ。


「うん……生まれたての嬰児(みどりご)はともかく、二歳になった上の子が母親を恋しがって泣くのが哀れで仕方がないとマレアチナが言っている」

「上のお子はたしか……男の子でございましたか?」


「うん、そうだな、男でも二歳では泣くなと言えない。死を理解できないようで、毎日母を待ち侘びて、『今日は帰ってくるか』とマレアチナや周囲の者どもに尋ねる。それがまた皆の涙を誘っているらしい――なんでも類稀(たぐいまれ)なほど美しい容姿をしているそうだ。マレアチナにも懐いてくれたと喜んでいる」


「類稀なほど?」

「髪はキラキラと輝く黄金、肌は透けるように白い、そして瞳は空の青、これだけ聞くと想像もつかないがな」

モフマルドの気も知らず、ジョジシアスがクスリと笑う。


 なるほど、父親の血が色濃く出たという事か――重たいものを胸の奥に感じるモフマルドだ。


 見舞いの品を届けたほうがよいか、と尋ねるジョジシアスに、それはおやめなさいとモフマルドが答える。

「グランデジアでは贈り物をするのは祝いの時――病気見舞いはありますが、それも回復の前祝いの意味が強い。もし贈り物をなさりたいのなら、お生まれになったお嬢さまに……お名はなんと?」


「えっと、どこかに書いてあった……あぁ、あった、レナリム。レナリムだ」

「では、レナリムさまあてに絹織物などを贈られるとよろしいかと。出生祝いの絹織物は生涯美しいお召し物に包まれるようにとの願いが込められているとグランデジアでは言われております。マレアチナさまからレナリムさまにお届けいただくとよいでしょう」

「そうか、それならそうしよう――生まれたのは春の初めとある、今からでも大丈夫か?」


 もちろんですよと答えながらモフマルドの心境は複雑だ。上の子は憎い男の血を()けているに違いないと見ただけで判る容姿、男を思い出しだけで胸が(たぎ)るような悔しさを覚える。その反面、母親を恋しがる幼児と聞けば胸が痛む。下の子は母の顔も知らずに生きていくことになる。子どもにまで罪があるはずもないのに、そう思いながらモフマルドはそれを否定する。


 なぜあの二人を憎むのか、それは二人が愛し合ったからだ。だとしたら、愛し合った結果生まれた子、それもまたわたしの敵――のちに第一子サシーニャが一番の強敵になるとは、さすがのモフマルドもこの時は予想だにしていなかった。


 秋口、ジャスチルムの婚約が正式に破棄される。婚約者チリアネルの父親、一の大臣ゴダヴェムの意向だ。ジャスチルムが寝台から起き上がれない状態が一年以上も続き、今後も見通しがないことを考えれば国王もジャスチルムも拒める話ではない。ジャスチルムは話を聞いて『よかった』と微笑んだという。このままではチリアネルは次に進めないと心配していたようだ。


 ゴダヴェムはチリアネルをジョジシアスにと思っていたが、ジョジシアスにも国王にも却下され、チリアネル本人にも拒まれ諦めていた。それならば、なるべく身分の高い貴族へと思ったが難航し、チリアネルの年齢もあるのでこの際、下級貴族でもよいと思い始めたらしい。娘の幸せをまるきり考えていなかったわけではないようだ。その代わり、妹フィファーヌをジョジシアスに売り込むことに必死になっていった。


 だが、これには強敵がいた。対抗馬がいるわけではない。王妃ナナフスカヤの反対だ。元婚約者の妹が弟の妃になれば、ジャスチルムは弟を見るたびに去っていった婚約者を思い出す、それは哀れだと言うのである。これに国王も同調し、ゴダヴェムの願いは簡単に通りそうもなかった。


 ジョジシアスは日を()かさずジャスチルムの部屋を訪れていた。寝たきりになった兄に、王宮の出来事や国の内外の動きを話し、少しでも兄の無聊(ぶりょう)を慰めようとの思いからだ。同時に、少しずつではあったがジャスチルムの役目はジョジシアスに移行しており、その報告をし、助言を求めることも多くなった。


「もうすべてジョジシアスに任せてもよさそうだね」

いくつものクッションを背に当てて寝台に上体を起こしたジャスチルムがジョジシアスに微笑む。クッションの支えがなければそんな姿勢も維持できなかった。


「わたしは兄上がお元気になるまでの繋ぎに過ぎません。兄上を頼りにしていることをお忘れなきよう願います」

ジョジシアスの言葉が本心と判るジャスチルムは何も言い返せない。わたしはもう無理だ、と言いたいが、言えば優しい弟が心を痛める。 


 ジャスチルムの母親、王妃ナナフスカヤはジャスチルムを見舞うジョジシアスと顔を合わせることも多くなり、ジョジシアスに声をかけることも増えた。多くは廊下での立ち話で、初めはジャスチルムへの心遣いに感謝するものだった。それがいつの間にかちょっとした世間話が加わっていき、時にはナナフスカヤの笑い声が聞こえるようになっていった。


 ジョジシアスの王宮内での立場が強くなるに従い、モフマルドの扱いも変わっていく。ジョジシアスは王宮に顔を見せるとき、必ずと言っていいほどモフマルドを伴った。自然モフマルドの存在は周知され、ジョジシアスの側近と認識される。反面、もともと王に命じられてジョジシアスに仕えていたネデントスは影が薄くなっていく。だが、実直なネデントスはモフマルドに反感を持つことなく、むしろモフマルドを(ちょう)(よう)するジョジシアスを頼もしく思っていた(ふし)があった。


 ジャスチルムの事故から二年が過ぎた冬、王妃ナナフスカヤがジョジシアスをお茶会に招いた。口実は『そろそろ妃を見つけたらいかが?』というものだ。なかなかその気にならないジョジシアスでも、堅苦しさのないお茶会でなら気に入った相手が見つかるかもしれませんよ、とナナフスカヤは笑ったという。


「気が向かない……俺はどうも女が苦手のようだ」

怒ったようにそう言うジョジシアスをモフマルドが(なだ)めている。


「王妃さまはお子さまたちとよくお茶を楽しまれていたそうです――お妃探しは口実、ジョジシアスさまをジャスチルムさまの代わりにお茶を楽しみたいのです」


 ジョジシアスが少し嬉しそうな顔をした。兄上に接するように王妃さまは自分にも優しい笑みを向けてくれるかもしれない――

「判った、ありがたく招待をお受けするとお答えしよう」


 それがよろしゅうございます……そう言いながら、さて、この好機、どう生かしたものか、心が弾むのを禁じ得ないモフマルドだった。

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