毒蛇
突然暴れだした馬、宥めようとしたジャスチルムはとうとう振り落とされる。馬は落とされたジャスチルムのすぐそばで暴れ続け、最後には『ドン!』とジャスチルムの上に倒れ込み、息絶えたという。
助け出された時、ジャスチルムは瀕死、それでも一命を取り留めたのは奇跡だと、同行していた誰もが口にした。馬を検分した者によると、足の付け根に噛まれたような傷跡があったという。
「毒蛇の仕業でございましょう」
馬の傷は腐って爛れていた。もし馬ではなく、ジャスチルムが噛まれていれば、間違いなく命はない。代わりに馬が逝ってくれた、そうは言っても決してジャスチルムの容態は芳しいものではなく、生死の境を彷徨っている状態だ。
一報を聞いたジョジシアスはすぐに王太子のもとに駆け付けたが、咳き込むジョジシアスを見て王太子の医師団は入室を許可しなかった。重体の王太子に風邪を感染してはいけないという配慮からだ。ジョジシアスが兄との面会を許されたのはジャスチルムが目覚め、回復の兆しが見え始めてから――事故から十二日後だった。
「わたしはもうだめだ――頼んだよ、ジョジシアス」
ジョジシアスの手を握り、寝台に横たったままのジャスチルムが涙を流す。
「たとえ命を永らえても、再び歩くことは叶わないだろうと医師に言われた。我がバイガスラの将来はジョジシアス、おまえに託された」
「兄上は大怪我をされて気が弱くなられている――医師の予測がいつでも正しいとは限りません。すぐには無理でもいずれは……ジョジシアスも精いっぱいお助けいたします」
ジョジシアスの励ましに、力なく微笑むジャスチルムだった。
王子兄弟の思惑の外で人々は暗躍を始める。王太子は近いうちに廃され、末の王子が立太子する……おおかたはそう見通し、ジョジシアスに近付こうとする者が後を絶たなくなる。兄王子の回復を願うジョジシアスにすれば甚だ面白くない。
「それも王子と生まれた者の務めとお考え下さいませ」
愚痴るジョジシアスを宥めるのはもちろんモフマルドだ。
「自分に近付く者の真意を見極める訓練とでも思えばよいのです――王太子さまがご即位なされれば、自然その者たちは消えましょうし、万が一、ジョジシアスさまが王位に就くことになった場合には、その者たちを篩に掛ければよいだけの話でございます」
「篩に掛ける?」
「はい――使える者と使えぬ者、信を置ける者と置けない者、見定める目をお持ちください。そのために、今は放っておきましょう」
「ふむ……」
納得しきったわけではないが、媚び諂うからと処分するわけにもいかない。どちらにしろ放っておくしかない。不快を感じても耐えろという事か、とジョジシアスは受け止めた。なるほど、それなら納得も行く。王子と生まれたからには耐えねばならぬことも多かろう。
中でもジョジシアスが一番憤りを感じたのはジャスチルムの婚約者の父、一の大臣ゴダヴェムの動きだった。
娘のチリアネルは連日婚約者のもとに通い、それこそ侍女がするようなことまで含めて身の回りの世話をし、気を配り、回復を願った。その甲斐甲斐しさは王宮でも噂となり、ジャスチルムさまは素晴らしい婚約者を持たれたと、同情とともに美しい恋物語として広まっていった。
だがその裏で、父のゴダヴェムは密かにジョジシアスに参じ、いずれ婚約は解消されるだろう、その時には娘のチリアネルを献上したいと言い出した。
「正妃にとは申しません。側室でよいのです。ジャスチルムさまとの仲を知らぬ者はこの国にはおりません。もはやチリアネルに嫁ぎ先はないのです。哀れと思召しください」
そこまではジョジシアスも、そんなこともあるかもしれないと思いつつ、だからと言ってそんな気にもなれずにいただけだった。
「そして正妃には我が下の娘、チリアネルの妹フィファーヌをお迎えいただけないものか。正妃となられたおかたが側室を虐めるのはよくある話、ジョジシアスさまは身をもってご存じのはず。だが、姉妹となれば仲良く暮らせましょう。二人でジョジシアスさまをお支えするはずです」
その言葉、王妃さまと我が母を侮辱していると受け止めていいのか?――ジョジシアスは咽喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込んだ。
返答しないジョジシアスを、ゴダヴェムは若さゆえのは躊躇いと受け止め、『また参ります。良しなにお考え下さいませ』と帰っていった。
珍しく不機嫌を隠しもしないジョジシアスを
「大臣も必死なのですよ」
と、モフマルドが笑う。
「チリアネルさまがジャスチルムさまの妃となれば、ゴダヴェムさまの地位は安泰でした。それが崩れてしまったのですから――それにゴダヴェムさまの仰る通り、こうなるとチリアネルさまが縁遠くなられるのも必至。娘の行く末を案じる親心なのです」
「だからと言って姉妹を一人の男にか? 反吐が出そうだ」
「珍しい話ではありません――まぁ、おいやならお断りすればいいのです。その場合、理由をよく考えておいたほうがよろしいかと……ゴダヴェムさまだけでなく国王も納得する理由が必要です」
「父上を納得させる?」
「このお話、ゴダヴェムさまが国王にしないはずがない。そして、国王はゴダヴェムさまのご助力を必要としているはず――姉はともかく、妹との話は陛下も無視できないと思われます」
「ふむ……」
「ジョジシアスさまはフィファーヌさまのような女性はお嫌いで?」
「そんなことは考えたことがない」
「では、どのようなかたをお妃に迎えたいとお思いですか?」
「だから! 考えたことがないと言っている」
イライラと答えるジョジシアス、その脳裏に浮かぶ顔を察しているモフマルド、以前のジョジシアスなら、きっと素直に答えただろうその名を言えなくなったのは、モフマルドの思惑通りに進んでいる証――
「まぁ、そのうち、思う相手ができるかもしれません。事を急くな、とお答えなさればよろしいかと」
「ふむ……」
険しい顔つきで考え込むジョジシアスを置いて自室に戻るモフマルド、いつものように窓辺に置いた椅子に腰掛ける。
着々と準備は整いつつある――
(王太子はもう寝台に縛り付けたも同じ……だが、まさか、蛇が馬に食いつき、硬い皮を貫いて毒を送り込もうとは)
窓に映る己に向かって失笑する。ジャスチルムを噛ませようと仕込んでおいた。まさかこのわたしがヘマをするとは……
(だが、これでよかったのかもしれない。死んで頂くつもりだったが、それはまだ先でいい。どちらにしろ、これでジャスチルムはいないも同じ。それよりも――)
モフマルドの視線が庭の奥のほうへと向かう。
(以前なら、なんの躊躇いもなく王妃の素晴らしさを口にしていたジョジシアスが、口を噤んだ。王妃を女と意識し始めた証拠……)
もう少し、もう少しだ――何も見えない夜の庭に、何かを見つけようとするモフマルドだった。




