第五話:伝説の料理人(仮)、食糧庫と厨房を所望する
世間知らずの坊ちゃん然としたアレクシスは、どでかい木箱を抱え、翌日も我が家を訪れていた。顔面武器と天然な押しに負け、家に上げてしまう自分の危機管理が若干心配になってくる。
「まさか、冷蔵庫の存在を知らないとは……」
思わず呟きながら、私はカレーのルーを鍋に入れた。アレクシスは、私の部屋のダイニングテーブルに置かれたカレールーの箱を物珍しそうに眺めている。
木箱の中身を見て、先日のスーパー買い出しの際に、アレクシスが籠に入れた果物の多さに再び衝撃を受けた。本当に食料が尽きたなら、まず主食を買うべきだろう。
結局、一週間分の食料として購入していた鶏もも肉を解凍する。簡単なものなら作れると答えてしまった手前、この状況になってしまった。お腹を空かせた彼を前にして、断るほどの鬼にはなれなかったのだ。至極まじめな顔で告げられる「お腹が空いた」という言葉は、なんだか妙に説得力があった。
それにしても、部屋が明るい場所で見るアレクシスは、やはり絵になる。彫りの深い顔立ち、蜂蜜色の髪、そして憂いを帯びた蒼い瞳。漫画のキャラクターとして描くなら、間違いなく人気が出そうなタイプだ。特に、スーパーで自動ドアに驚いた時の表情などは、そのままネームに起こせそうだ。
「これは、一体どういう食べ物なのだ?」
湯気立つ鍋を覗き込み、アレクシスが尋ねた。その視線は好奇心に満ちている。
「カレーです。ご飯と一緒に食べる日本の家庭料理ですよ」
適当に答えながら、私はご飯を炊飯器からよそった。炊きたてのご飯の匂いが部屋中に広がり、アレクシスがごくりと喉を鳴らす。
カレーライスを並べると、アレクシスは目を輝かせた。彼が手にしたスプーンの動きはどこかぎこちないが、それでも一口食べるごとに「おお」「これは……」と感嘆の声を上げる。
「美味しい、アヤノ! こんなに美味いものがこの世界にはあったのか……」
まるで初めて食べ物に出会ったかのような反応に、思わず笑みがこぼれる。BL漫画家として、彼のそういう無垢な反応は非常に貴重な資料だ。新しいキャラクターを創造するのもそう遠くない。
「それはよかったですね。ほら、もっと食べないと」
そう言って、私はもう一杯よそってやった。彼は嬉しそうにそれを受け取り、再び夢中になって食べ始めた。彼の食事の様子を見ていると、なぜか私までお腹が空いてくる。
食べ終わった後、アレクシスは満ち足りた表情でソファにもたれかかった。
「礼を言う、アヤノ。おかげで腹が満たされた」
「いえ、どういたしまして。それより、あの鍵なんですけど」
食事を奢ったんだから、そろそろ返してもらってもいいだろう。そう思って話を切り出すと、アレクシスの顔から途端に笑顔が消えた。
「いや、それは困る」
「だから、困るのは私だって言ってるじゃないですか。私の部屋の鍵と一緒にしてるんですよ。これ以上、他人の鍵を持つのは……」
そう言って、私はキーラックにぶら下がった鍵を指差した。私の部屋の鍵と、あの真新しい鍵。二つ並んでいると、まるで只ならぬ間柄同士の鍵のように見えてしまう。ぞっとする。
「しかし、私の部屋は……まだ、何もない。仕事の準備もできていない」
彼は困ったように眉を下げ、部屋を見回した。確かに、天蓋付きベッドと木箱だらけの部屋では、生活できるとは言いがたい。
「仕事の準備って、具体的に何をされるんですか? 出張でいらしてるんですか?」
私が尋ねると、アレクシスは少し考えてから、真剣な顔で言った。
「私はこの世界で、伝説の料理人となるべく、修行せねばならないのだ」
――は?
私は思わず、手に持っていたマグカップを取り落としそうになった。伝説の料理人? 金塊を持っているような人が、なぜ? しかも、あんなに世間知らずで、食材を果物ばかり買い込むような人間が、料理人?
私の思考は完全にフリーズした。目の前のイケメンは、どこからどう見ても、世間知らずのお坊ちゃまか宇宙から降りてきた異星人、あるいは異世界から来た王子様でしかなかった。だが、その口から飛び出した言葉は、私の想像をはるかに超えていた。
「伝説の……料理人、ですか」
ようやく絞り出した声は、完全に棒読みだった。
「ああ。そのためにも、アヤノには私の食料庫と厨房になってもらわねば困る」
そう言って、アレクシスはキラキラと輝く瞳で私を見つめた。まるで、散歩に飽きたゴールデンレトリバーがおやつをねだるかのように。私は、彼のその言葉の意味を、この時点ではまだ正確には理解していなかった。
「しょく、りょうこ? ちゅうぼう?」
私は完全に思考停止していた。伝説の料理人、という突拍子もない言葉に、彼の瞳に宿る純粋な輝き。まるで、それが当然の摂理であるかのように、アレクシスは言い放ったのだ。
「ああ、そうだ。この異世界で生きる術を学ぶために、そして我が国の食文化を豊かにするためにも、私は伝説の料理人とならねばならない。そのためには、アヤノの持つ食料と、その厨房が必要不可欠なのだ」
彼の言葉は、まるでどこかの物語のプロローグのようだ。
私の部屋が……今まさに『異世界』という言葉を口にしたあからさまに王子然彼の「食料庫」であり「厨房」になる? それはつまり、私が彼の料理修行の場を提供し、かつ食料も提供しろと言っているに等しい。しかも、あの果物まみれの買い物カゴを見る限り、彼は料理の基本中の基本すら分かっていないだろう。
私は、自分の安穏な引きこもり生活が、音を立てて崩れていく予感に、身震いした。漫画家として、創作のネタには事欠かない状況ではあるが、まさかここまでリアルな「異世界転移」と「居候王子」という設定が、自分の身に降りかかるとは。
「いや、ちょっと待ってください、アレクシスさん。あの、私は漫画家で、あなたの食料庫でも厨房でもありませんし、そもそも伝説の料理人って……」
私が必死で言葉を紡ぐと、アレクシスは小首を傾げた。その仕草は、どんなイケメンキャラクターにも勝る破壊力だ。
「しかし、アヤノは私に料理を振る舞ってくれたではないか。そして、その味は、我が国では経験したことのない至高の美味だった。アヤノは、私にとってこの世界の食を教えてくれる導き手なのだ」
彼は熱く語る。その真っ直ぐな視線に、私はぐっと言葉に詰まってしまう。まるで、私が彼の運命を左右するキーパーソンであるかのような物言いに、どう返せばいいのか分からなかった。
「それに、アヤノは絵師だろう? 創造する者だ。私が料理を創造するのを、あなたはきっと理解してくれるはずだ」
いや、絵を描くことと料理は違う。それに、私はBLを創造するのだ。食の創造とは全くジャンルが違う。心の中でツッコミを入れつつも、彼の瞳の輝きと、どこか頼りきったような表情を見ていると、強く拒絶できない自分がいた。
「あの鍵も、私が料理を学ぶために、アヤノの部屋に自由に出入りするための通行証となる。そうだろう?」
彼はそう言いながら、キーラックの合鍵を指差した。アレクシスの思考がまったく読解出来ない。担保的なことを言いたいのだろうか?あれは、非常時のための一時的な預かりだったはずだ。
私は深いため息を吐き、頭を抱えた。このままでは、私の部屋は本当に「アレクシス専用の食料庫兼厨房」になってしまう。そして、私は伝説の料理人を目指す異世界王子に、料理の基礎から教えることになる……?
「えっと、えっと、……とりあえず、材料費は実費でお願いしますね」
私が諦め半分でそう言うと、アレクシスは破顔した。その笑顔は、とびきり眩しくて、私の戸惑いを吹き飛ばすような力があった。
「無論だ。 伝説の料理人となるためには、それくらい惜しまぬ 」
こうして、私の引きこもりBL漫画家生活は、伝説の料理人(仮)を目指す異世界イケメン(確定)との、奇妙で波乱に満ちた共同生活へと、強制的に舵を切ることになったのだった。




