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第十六話:開け転移門!波乱の旅立ち

 異世界でのサイン会。

 その言葉が、私の頭の中で呪いのように繰り返される。

 高額な報酬と、フォルジェ王国の平和。

 そして何より、シリル憑き鈴村君の「暴動に繋がりかねない」という脅し文句が、私の背中を押していた。


「まさか、私が異世界に行くことになるとは……漫画や小説の中だけの出来事だと思っていたのに」

 ため息をつく私に反してアレクシスは目を輝かせた。

「アヤノを伴って帰還する日がこようとは」


 彼はそう言いながら、くるりと身を翻す。

 その手には、見慣れない外套と、フード、そして大きな丸眼鏡。

 どうやら、榊原から念のために変装するように言われたらしい。


 かのフォルジェ王国で、王子の顔が理想の男性像としてバズっている手前、そのままの姿では騒ぎになる、という榊原の指示だった。


「完璧な変装だろう。これならば、誰も私をアレクシス本人とは気づくまい」


 そう言って得意げにフードを深く被り、丸眼鏡をかけるアレクシス。

 しかし、その変装は、彼の完璧な顔立ちと、周囲から浮き立つようなオーラを全く隠しきれていなかった。むしろ、怪しさ倍増し、不審者を極めている。


「アレクシスさん、それ、余計に目立ってると思います、よ……?」


 私の指摘に、彼は「む、眼鏡をかけると視界がぼやけてしまう」と的外れな感想を漏らすばかりだ。どうやら度入りレンズを用意してしまったらしきシリル憑き鈴村君が「時間無かったんで手持ちのやつもってきました」と消え入りそうな声を落とす。なんと、私物だったのか。感想を付けづらい返答に、私はただ難しい顔をして頷くしかなかった。


 その時、榊原がリビングの床に描き上げた転移陣が、青白い光を放ち始めた。

 ベッド上の転移陣はこの大所帯を移動させるにはいささか手狭らしく、有無を言わさぬ勢いで、蛍光塗料らしきもので榊原が一気にこの巨大な陣を描き上げたのだ。原状回復、大丈夫なのだろうか。

 シリル憑き鈴村君は、隣でガタガタと震えている。


「アヤノ先生、準備はよろしいでしょうか……。転移は、身体に少々負担がかかりますが、大賢者様が施した術式は安全です。大丈夫です、私もついておりますので……」


 シリル憑き鈴村君の唇からシリルのおどおどとした声が漏れ、無理やり笑顔を作っていた。

 彼が一番、この異世界トリップを恐れているのかもしれない。

 なんせ幽体だけこちらの世界に無理やり送り込まれたのだから。


「さあ、時間です」


 榊原の地を這うような声が響く。

 彼は転移陣の横に立ち、その銀縁眼鏡の奥の瞳で私たちをじっと見つめていた。まるで、品定めしているかのようだ。

「転移は、瞬時です。向こうに着けば、シリルが記憶操作を施し、我々の存在を周囲に認識させないよう、ある程度の措置は講じます。しかし、アレクシス様は、くれぐれも無駄な行動は慎むように。特に、魔法の無駄遣いは厳禁です」


 榊原の釘差しに、アレクシスは「ふむ、心得た」と力強く頷いた。

 あの顔は、心得てない気がする。


「では、行きましょうか、先生……!」


 シリル憑き鈴村君が意を決したように私を促す。

 私は大きく息を吸い込み、覚悟を決めた。

 私のBL漫画家人生は、もはや後戻りできないところまで来てしまったのだ。


「うおおおおおおおお!」


 アレクシスが、なぜか雄叫びを上げて転移陣に足を踏み入れた。その瞬間、足元から眩い光が溢れ、私の視界は真っ白になった。身体が浮遊するような奇妙な感覚。そして、一瞬の浮遊感の後、足元に硬い感触が戻ってきた。


 ゆっくりと目を開けると、そこは見たこともない石造りの広間だった。

 天井は高く、ステンドグラスから差し込む光が、床の複雑な紋様を照らしている。

 空気はひんやりとしていて、微かに香木の匂いがした。


「ここが……フォルジェ王国……」


 庭に面する薔薇窓の向こうには、瀟洒な石造りの大きな屋敷が見える。


 政治的に少々揉めている面々との無用な接触を避けるために、滞在先として選ばれたのは王都の一等地にある榊原の私邸だった。私たちが今いるのは、その広大な敷地内にある『離れ』らしい。


「アヤノ殿、こちらが滞在していただく部屋になります。必要最低限のものは揃えてありますが、何か不足があればシリルに申し付けてください」


 榊原は淡々と説明する。彼の屋敷は、外見こそ立派だが、内装は驚くほどシンプルで無駄がない。まるで、彼の性格そのものだ。


「まさか、榊原さんの屋敷に居候することになるとは……」

 私が呟くと、アレクシスが興奮気味に部屋を見回した。

「おおこれがコウの新しい住まいか。質素ながらも機能的な家屋があるとは、知らなかったぞ」


 アレクシスは榊原の屋敷を質素と評したが、私から見れば十分すぎるほど豪奢だ。

 そんな彼の言葉に、榊原の眉間にわずかに皺が寄った。


「質素、ですか。それは何より。さて、アレクシス様。あなたの故郷の食卓改革は喫緊の課題ですので、明日から本格的に取り掛かってもらいます。そのための厨房も用意してありますので、思う存分『伝説の料理』を極めてください。此度の帰還は内密のこと。陛下にのみ後程報告に上がります」


 榊原はそう言い放つと、私の顔にも冷たい視線を向けた。


「絵師様には、アレクシス様の料理指導と指南書作成に専念していただきたく。もちろん、滞在中の食費や生活費はすべてこちらで負担します。ただし、一つだけ条件があります」


 彼の言葉に、私の胃がキュッと締め付けられた。

 この男の条件は、いつも厄介なものばかりだ。


「私の屋敷では、無駄な行動や発言は一切許しません。特に、アレクシス様の無駄な魔力発動は厳禁です。万が一、私の計算を狂わせるような事態が発生した場合、相応のペナルティを科させていただきます。ご理解いただけますね?」


 榊原は、有無を言わせぬ圧力で私に同意を求めてきた。彼の言うペナルティが何を意味するのか、想像するだけで恐ろしい。

 莫大な借金を背負わされるか、そのあたりであろう。


「は、はい……」

 私が力なく頷くと、榊原は満足げに頷いた。

「よろしい。それでは、ゆっくりお過ごしください」

 そう言って、榊原はシリル憑き鈴村君を伴い、部屋を出て行った。


「これで心置きなく料理に打ち込めるな。こちらの食材でも再現可能か、実験してみよう。まずは『攻めのシチュー』でいいか」


 アレクシスは、早くもやる気に満ち溢れている。

 私の胃痛は、異世界にまで来て、さらに悪化の一途を辿っていた。この味方と呼べる味方が居るような居ないような異国の地での暮らしが、始まった。


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