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世界が壊れる音がする  作者: 久慈望
第十話 魔剣
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錬金術師と助手

 地下工房建設を終えたことで、コルトはようやく錬金術に専念することができる身となった。彼は常に新たな構造体を作らねばならぬという強迫観念に取りつかれ、それが自分の存在理由であると信じていた。


 しかし、彼の父、ソヴィクの考えは違った。


 ソヴィクはある日、息子のコルトを呼び出した。場所は場内の事務所として割り当てられた応接室である。


 コルトは薄汚れた作業着とぼさぼさの髪、伸ばし放題の髭といった姿で現れた。


「おお、コルト、待ちわびたぞ」


 笑顔の父が出迎え、コルトは胸をなでおろす。


「父上、どのようなご用件でしょうか」


「まあ座れ」


 コルトはソヴィク向かいの豪華なソファに座る。錬金術により構成された無機質な壁面からは明らかに不釣り合いであったが、父はそのようなことを気にしないようであった。


「ふむ。お前、やはり身だしなみがなっておらんな」


 父に言われ、コルトは髭に手をやる。


「申し訳ありません。研究で忙しく、自分に手が回らないもので」


 ソヴィクはあきれたようにうなる。


「お前はもう現場で働く必要などないだろう。優秀な錬金術師が集まっているのだ。あとはその者たちに任せればよい」


「しかし、私にすることがなくなってしまいます」


「それでよいのだ。何もせず、大きく構えることこそが、上に立つ者の仕事だ」


「はあ……」


 コルトは苦笑いを浮かべる。


「まあ良い。今はまだ、私の頭は冴えておおるからな。だが、お前はいつかカレフ家を継ぐものとなるのだ。一族の長がそのような体たらくではいかんな」


「気を付けます」


 自分を信頼しているからこその言葉。それがわかっているから、うまく言い返すことも出来ない。コルトは研究で成果が出ているならば、見た目などとどうでもいいと思っていた。


「それで父上、ご用件は……」


 なんとか話を元に戻そうとする。


「おお! そうであったな! ユディット!!」


 奥の扉が開き、現れたのは一人の女性だった。


「はい。ソヴィク様」


 ユディットと呼ばれた彼女は赤みを帯びた黄色の髪を持っていて、憂いのあるまなざしでこちらを見ていた。


 彼女は貴族らしい赤いドレスを着ていたが、貴族が持つ雰囲気とは少し違った、どこかとげのある、硬さのようなものがあった。それは、彼女の表情から醸し出される、意思の強さであるように思われた。


「どうだ? コルト」


 ソヴィクはユディットの方を見ずに言う。


「どうとは?」


 困惑するコルトは嫌な予感がしていた。


「お前も女を知る年だ。こいつは、奴隷として売りに出されていた娘だ。他国からの流れ者でな。貴族の娘らしいが、真偽はわからん。ただ、誰の手もついていないのは確からしい」


 父の口から、とんでもなく下卑た言葉が聞こえ、コルトはうんざりした。彼は父を尊敬していたが、唯一苦手なのが言葉を選ばないところだった。父はコルトを生んだ母にさえ平気で悪い言葉を使う。


「はあ……なるほど」


 適当に相槌を打つが、強く拒絶することもしなかった。巨大な権力を得た父のやることを止めることなど、この国に存在しないからだ。


「こいつをお前にやる。どうにでもするがいい。ただ妻にしようなどと間違った気は起こすな。それはおれが別に探してやる」


 そう言って、ソヴィクはガハハと大声で笑った。


 コルトはユディットと呼ばれた女性を見る。歳は自分よりもいくらか下に見えた。これまで周りに女性がおらず、母とすらまともに会話したことのない彼は、女性というものに対して全く理解が及ばなかった。


「コルト様。ユディットと申します。よろしくお願いいたします」


 そういって、ユディットはお辞儀をした。


「は、はい! よろしくお願いします」


 コルトは深く頭を下げ、しかし、心の中は不安で満たされていた。


◆    ◆    ◆    ◆


 コルトは結局、ユディットに手を出すことはなかった。


 相手は尊敬する父から与えられた女性である。ぞんざいに扱うこともできず、コルトは仕方なく、彼女を自分の助手とすることにした。


 女性と接したことがない彼は、話しかけることさえままならず、うろたえるばかりであったが、仕事となれば話は別だ。ユディットには必要な書類をまとめさせるほか、錬金術に使用する器具の運搬を手伝ってもらっていた。


 だがここで、コルトの予想外なことが起きる。


 ある時ユディットが彼に聞いた。


「コルト様。この書類なのですが」


 彼女は錬金術師の作業着を女性用にアレンジした服を纏っていた。


「ありがとう。そこに置いておいてくれ」


 コルトはユディットの方を見ずに答える。


「五枚目の資料、十段目に記述ミスが見受けられます」


「ん?」


 そこで初めてコルトが顔を上げる。


 ユディットから資料を受け取り、該当ページをめくる。城から依頼された武器開発の構造計算の資料であった。


 錬金術師はあらゆるものを強化することが求められるため、構造を把握するための資料が膨大にあった。


 実際、彼が若い錬金術師たちに教えているのは、錬金術というよりも現実に存在する物質の構造の本質を知ることだった。多くの人間がここで挫折し、停滞してしまうのが悩みの種でもあった。


 コルトは紙を手に取り、ユディットの示した計算を確かめる。


 紙に数字を写し取りながらも彼は考える。なぜ、ユディットが資料内の計算の正誤が理解できるのだろう?


 紙一枚かけて計算を終え、驚きとともにユディットの顔を見る。


「確かに間違っている」


 すると彼女は表情をほころばせた。


「よかった。私が間違っているわけではなかったのですね」


「君は一体どうして、これが誤りだと分かったんだ?」


「はい。いつも資料を整理させていただいているので、順番など間違わないように目を通しているうちに、ある程度のことはわかるようになりました」


「この数式は私でさえ多少苦労するものだ。それを君は一瞬で?」


「いえ、もちろん違和感に気づいた後に計算し直しました。一目見てわかるものではありませんよ」


「そうか……いやしかし、それでも信じられない。君にそんな能力があったなんて」


「ありがとうございます」


 ユディットは恥ずかしそうに頭を下げた。


 コルトは考える。


 もしかすると、彼女はとんでもない才能の持ち主かもしれない。


「君が良ければ、これからも書類を見てもらえないか? 正誤はもちろん改善点があるなら指摘してもらいたい」


「いえ、私にそのようなことは……」


「思ったことがあれば言ってくれるだけでいいんだ。そうか、ぼくは君の才能を潰すところだった。これからはもっと君と話がしたい」


「はい」


 ユディットははにかむように返事をした。


 はたして、ユディットはコルトの期待に応えた。


 コルトは研究の間、常に傍らに置き、助言を仰いだ。ユディットは革新的なアイデアを提示こそしなかったものの、コルトの言葉を理解し、設計の課題を指摘し、新たな示唆を与えることもあった。


 コルトは生まれて初めて友と呼べる存在を得たと思った。彼はユディットを可能な限り丁重に扱い、彼女が求めるものをすべて与えたいと考えるようになった。


 だが、彼女の望みはささやかなものであった。


「もしも許されることなら、定期的にお休みをいただければ十分です。コルト様のお役に立つためにも、体調を崩すわけにはまいりませんので」


 あまりの無欲さに拍子抜けしたが、コルトは彼女の申し出を了承した。


 ある時、コルトは改まった様子で資料をまとめるユディットに話しかけた。


「あの……ユディット。時間はあるかな?」


「はい、コルト様、なんでしょう?」


 ユディットは手を止めて顔を上げる。


「良ければわたしについてきてもらいたいのだが」


 コルトの様子は明らかにおかしかった。顔を赤くし、目が泳いでいる。彼は何も言わないまま踵を返し歩き始めた。


 ユディットは資料を慌ただしくまとめ、彼の後をついていった。


 地下工房二階の奥。ついたてにより見えないように隠された場所にその壁面はあった。コルトが壁面に触れると凹凸に変化が生まれる。すると扉が開き狭い小部屋が現れた。


「中に入って」


 コルトがユディットを促し、後に続く。扉が閉まると、彼はユディットに背を向けた。


 ガクン。


 箱が揺れたかと思うと、二人を浮遊感が襲う。


「きゃあ!」


「安心してほしい。揺れは最初だけだ」


 驚くユディットに背を向けたまま、コルトが言った。


 浮遊感が治まり、扉が開く。


 コルトが暗闇の中を進むと、部屋に光が満ちた。


 そこでようやく彼は振り返った。


「ここは私のためだけに作った工房だ。これまで誰にも、父上にすら教えたことはない。こんなことをしてよいものかと迷ったけれどね。一人で集中したいときに使っているんだ。私の右腕である君だけには、この場所のことを伝えたかった」


 すると、ユディットはクスリと笑った。


「おかしいかい?」


 コルトは傍目から見てもひどくうろたえていた。


「いえ、私、どんなことを言われるのかと思っていましたので、安心したら笑ってしまいました」


「いや! すまなかった! ただ人に見せるのはとても勇気が要ることだったんだ」


「ええ、わかっています。見せていただいて光栄です。とても素晴らしいお部屋だと思います」


 するとコルトは胸をなでおろした。


「ありがとう。私は君という存在に、そして、君を紹介してくれた父上に、とても感謝しているよ」


 そして二人は、秘密を共有する仲間となった。

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