終章:忍《SHINOBI》の恋は戦いと心得たり
時は過ぎまして、平日午前。
「真香ー、あんたもう出るの?」
「急がないと遅れちゃうから」
「ママ、マカが不良少女になってしまったよ、おーいおーい!」
「爆発しろバーカバーカ!」
「姉様、ご武運を!」
「激励どうも、あと父上、雑に泣くのはやめなさい。行ってきます」
お弁当をさっさとしまい、ローファーに足を突っ込む私に向かって、家の中から口々に勝手な事を言う家族達。それに軽く応じてから、私は素早く家を出ます。
目指す電車には少し早いけど、自然と駆け足になっている自分に気がつく。
ホームで待っている間、トントンと靴で地面を叩いて勝手に催促する。
扉が開けば、誰よりも早く乗り込んで、定位置へ。眼鏡の彼はちらりと私を見上げてから、手元の英単語帳に視線を戻します。隣に立つと、自分の体温が上がるのがはっきりとわかる。
間もなく唇を動かさずに、彼が低く尋ねてくる。
「今日は何時?」
「夜遅くになってしまいますよ」
「大丈夫だよ、だって」
忍だからね。
彼は茶目っ気たっぷりに眼鏡の奥でウインクしました。私は肩をすくめてみせます。
「しかし、こう何日も戦い続けているのに決着がつかないとは。眼鏡を外した時からわかってはいましたが、あなた、とんでもない手練れですね」
「そっちも、僕を見抜いただけのことはあるよ」
他愛ない、知り合いのような他人のような会話。
朝のほんのわずかなとき、私たちは言葉を交わし、放課後時間が合えば刃を交える。
この時間が続けばいいと思うような、さっさと決着をつけたいような。
この人に目を止めたその日から、私はずっと、自分の心を見失っている。
忍同士の引力と言ってしまえばそれで片もつくはずなのに、八つ当たりのように彼を襲い、彼もまた誰にもバレないように私の襲撃を受け流し。
今日も無言で互いの隙を探り合っている間に、もう駅が来てしまった。
「じゃあ、またね。愛染さん」
でも、どうしてでしょう。
彼が私の名前を呼ぶと、手に上がった口角が降りて来ないのです。
自制がきかないなんて恥ずべき事のはずなのに、ゆるむ顔がしまらない。
やはり、私もまだまだ修行不足と言うことなのでしょうか。
駅のホームから降りた私は、彼の乗ったままの電車が走り去るのを、姿が見えなくなるまで目で追ってから、歩き始めます。
「……またね、藤堂君」
出会って即忍闘だったため、なんとなく機会を逸したまま呼べていない彼の名前は、きっと勝敗が決したとき、初めて意味を持つようになるのでしょう。
私が彼に屈服するのも、彼が私に下るのも、このままでも、本当は全く構わない。
ぴょんと一つ大きく跳ねて、それから私はどこにでもいる模範的な女子高生の皮を放課後まで被り直します。
くノ一の恋は、まだまだ始まったばかりなのです。