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祈りながら箱から取り出した割り箸の先に、紛れもなく紅い印がついていた。
「おめでとう。」
長官の冷たい言葉が耳に突き刺さった。後ろでどよめいたのは、そのほとんどが安堵の溜息だった。
「ラグル・ヴァイルト、第百八十七代SD-9のパートナーに任命する。」
「ラグル、大丈夫か?」
「心配しないで…。」
僕は俯いたままでいた。
僕が居るここは、ジグリオス国の軍隊の寮である。
ジグリオス国は石造りの建物が立ち並び、かなり栄えている国だ。
広大な森を挟んで南西方に位置するラスヴァル国とは長年の敵国であり、いつ襲われても良いように軍を構えているらしい。
ただ、敵国とは言っても、政府を介しない民間どうしでは交流が盛んである。
森の一部を貫くように道路が作られていて、その間に関所はあるものの、危険物を持ち込んだりしない限りは、誰でも行き来できる程である。
そんなジグリオス国の軍寮で、僕と同じ部屋になったのがデルトだ。
気さくで話しやすく、頼りがいのある仲間だ。
デルトは二段ベッドの上段から下段にいる僕を覗いてくる。
「それにしても、ラグルがあんな邪竜と組むなんてな……俺も一回パートナーになっちまったが、すぐに辞めてやったさ。」
竜、それこそがSD-9の正体だ。
ジグリオス国のあるエドナル地方では、竜が生息しているのだ。
そしてその竜を軍隊に招き入れ、人間である“パートナー”と共に戦うのだ。
各竜は、アルファベットと数字を組み合わせて軍としての名前を表す、いわばコードネームのようなものを持っている。
一般的に竜は人間に一応従うことが多いだが、やはり竜にも様々居て、全く言うことを聞かない者も現れるらしい。
特にこのSD-9は前代未聞と言うべきか、人間を弄ぶことを楽しんでいる、根っからの邪竜らしい。
「僕は頑張ってみるよ。」
軍を辞めさせられるのは嫌だったから、なるべく優等生で居たい。
そうしないと、両親も僕ものたれ死んでしまう。
「無理するなよ、」
何か返事をしようと思ったが、言葉を呑み込んだ。
現実味を帯びて震えだした心を落ち着かせようと、ベッドに潜り込んだ。
いよいよ面会の時が来てしまった。僕の足取りは重かったが、どこか心は浮ついているようだった。
「それにしても、よりによってお前とはな。」
隣で一緒に歩いてい強面で大柄な男は、去年僕が軍に入ったばかりの時の教官、アルバート教官だ。
運動神経が他の人より鈍かった僕は、そのアルバート教官に厳しく鍛えられたものだ。
正直見た目からしてみれば怖いのだが、話してみると根は優しい人である。
教官として見下されてはいけない、ドラゴンに対しては尚更だ、と教官自身が言っていたのを覚えている。
僕は話を逸らそうとした。
「あの、どうして“くじびき”で選ぶのですか?」
言ってから、それも邪竜の話だと気付いた。
「あいつのパートナーは誰にも務まるはずがないからな。まったく、本当に足手まといな奴だ。」
「では、逃がさないのですか?」
「よく考えろ、あんな邪竜が町へ飛んできてみろ。」
教官の顔が青ざめたように見えた。僕は、はっとなって俯いた。
ジグリオス国の軍の施設は、宿舎、ドラゴン用宿舎、軍の本部、これらの3つの建物が一列に並んでおり、軍の訓練で使う広いグラウンドを隔てた向こう側に、もう一つぽつんと古びた灰色の建物がある。
僕たちの目的地は、この建物である。いわゆる、収容所だ。
その建物の中に入ると、いくつもの檻が無機質にずらっと並んでいた。
どの檻も空っぽだった。檻の鉄格子がすっかり錆び、檻の中の壁が壊れていたりしている所もある。
妙な空虚感が、僕の背筋を震わせた。
しばらく歩いていると、奥の方から唸り声が聞こえた。
低く、太く、それは心の底から何かを炙り出されるような、引きずり出されるような音だった。
僕はぐっと拳を握り直すと、今までよりも気を張りつめて歩いた。いや、気を張りつめなければ。
「此処だ。」
そして最奥部の檻の中、躯を丸めてこちらを睨みつけていた。
檻の向こうの小さな窓から射し込む光で全身の鱗が黒光りしている。
見上げたその先には、ギロリと睨みを利かせた黄色い眼。
一瞬眼を見開いたように見えたが、それは殺意の籠もったような眼の見間違いだった。
ドラゴンが放つ、目に見えないのに凄まじく押し潰しにかかるオーラに、僕の体は震えてしまう。
「グルルッ。」
低く轟く声で、邪竜は牙を見せつけて唸った。
黄ばんだ白色の鋭く生えた牙に、その隙間からてらつく赤い舌が見えた。
僕はその初めて感じる威圧感に、思わず何歩も退く。
「自己紹介しろ。」
そう小声で言った教官の手も微かに震えていた。服の袖口から、筋状の傷を負った痕がちらと見えた。
「ぼ、僕は、あ……」
「今までの中で一番腰抜けだな。まさか籤で選んでいないだろうな。」
「まさか、そんな筈は、」
教官も一歩退いたその時、ガシャガシャンッとけたたましい音が鳴り響き、邪竜の恐ろしい顔が目の前まで迫っていた。
僕は思わずその場から跳ね退き、勢いで尻餅をついてしまった。
そして胸に手を当てて、心臓が正常に動いているか確認した。
気を抜けばショック死もそう遠くないだろうと、本気で思うほどだった。
「フン、我も随分と見くびられたものだな。……別に構わぬが。」
ドラゴンはふんと勢いよく鼻息を吐いた。
生暖かい風が体に当たり、ますます酷い恐怖にさらされた。
邪竜はしばらくじっとこちらを見ていたが、ズシ、ズシ、と地面を揺らしながら奥の方へと戻って、躯を丸めた。
相変わらずギロリと睨みつける眼は、僕の体を離さない。
ただ見ているだけかもしれないが、僕にとってはどちらも同じように思えた。
「早くそこを開けぬか。」
不意に邪竜はそう言った。まさか、そんな……。
よく見ると檻には南京錠が付いていた。
大きい錠と小さい錠があり、大きい方の錠はこの巨大な檻を開けるためのものらしく、小さい方の錠はちょうど人一人が通れそうな扉の部分についていた。
「はい。」
教官は持っていた鍵を小さい方の南京錠に差し込み、ガチャリと鍵を開けた。
嘘だ……、
「最初のコミュニケーションだ。」