鬼の検非違使
堀川にある「検非違使庁」
検非違使とは、現在で言うなら警察と裁判所を兼ねる組織である。
その奥まった部屋の一室で、珍しく兼はおとなしく書類に囲まれ仕事をしていた。
(性に会わねえ・・・)
ここに抜擢された時はお役所仕事ができるとも思えず、悩みまくったが一族郎党皆の期待を受けて続けてきた。そのせいか結構慣れて、今ではそれなりに勤めてもいる。自分でも不思議なのだが・・・
昨日から泊まり込みの仕事や、例の「日野中納言」邸の見張り等の報告待ちで、早朝から難しい顔で書類をにらんでいる。
その耳に、庭からせわしい声が響いた。
「兼さま!若さま!」
聞きなれた声だなと思う間もなく、数人の検非違使に囲まれながら現れた老人が、地に突き飛ばされるようにして転がった。
濡れ縁まで必死にたどりつくと、掴みかかってくる検非違使達の手を振りほどくようにして、兼の側まで近づいた。
「じい、どうした?」
あわてて近づいてきた兼の脚にしがみつくような格好で、見上げてくる様子に検非違使達もその場に膝をついた。
「ひ、姫さまが、昨夜よりお戻りになられませぬ!」
言葉の意味がわからない・・
「何のことか?薫子が出歩くのはいつものことであろうが?行く先なぞ寺詣りか、お吟のところであろう?」
「いえ、昨日瑠璃さまと名乗られる女性がお見えになられて、お送りすると館を出られて後、お戻りになられませぬ!」
「瑠璃だと?」
その名に覚えがある。あの、瑠璃か?
「薫子はどのようななりであったか?」
「いつものように、童水干でございましたが・・・」
ならば、細身とはいえ太刀を持っていたはずだ。それすら使う間がなかったとでも言うのか?どこからも、今のところはけんか騒ぎの報告は上がってきてはいない。
「わかった、じい、案ずるな。薫のことぞ、女とばれぬ限りはめったなこともあるまいよ」
とはいうものの・・・男のなりで暴れるほうが相手に手負いが出るだろう
そこへいつものように、自分のお目付け兼任の副官・橘実明が入って来ると、検非違使からの報告書らしき書類を差し出してきた。
受け取ってそれに目を走らせてから、小さく舌打ちした。
「これか・・・」
腰が抜けたようにへたり込んでしまった老家人の肩を優しくたたいて、、
「案ずるな、薫子は俺が連れてもどるゆえ」
と告げると、奥へ入ってしまった。
「また外へ出かけられまするか?またばれて、処分なぞになられねばよいが・・」
これまで、使えてきた長官とは明らかに違うこの若い上司は、これまで二度の謹慎処分を受けている。後がないはずなのに、平気で飛び出してゆく血の気の多さが橘は好きであった。
しばらくしてから出てきたとき兼は、いつものようにどうみても遊んでいる風な雰囲気を漂わせる、今時の若者の姿であった。
「すまぬが、後を頼む。何があろうと皆に咎めが行かぬようにしてある故、行かせてくれ」
「仕方がございませぬ。おとめしたとて行かれましょう。常に見張りは付けておりますゆえに、必ずご連絡はいただけますように」
本当に、手ぬかりのない副官である。この副官あればこそ兼は自由に動けるのだ。
そして、「日野中納言」邸へ。
まっすぐに行くはずであった兼は、思いもよらぬ過去を知る人と再会することになってしまった。