夜が明けるとき
「・・・さむい・・な・・」
夜明けまぢかな洛中を兼の馬が駆け抜ける。血の気の失せた白い顔を兼の胸にもたれかけ、鬼龍の、それが最後の言葉であったのかもしれない・・・
許されることではないのは承知している。賊の処分は過酷を極めるはずだ。
ましてや、帝位簒奪をもくろんだ輩であれば、行く末など決まっている。
それを、兼は宮中から連れ出してしまった。検非違使であることなど、どうでもよい。血まみれの鬼龍を抱きあげ、馬上の兼が追って来た薫子に
「許せ・・」
と、告げるのを、基之は聞いていた。あれほど、泣きじゃくっていた薫子も、今は何も言うことなく見上げている。思わずその肩を抱いて、小さな震えがつたわって来た。
「兄さまがお行きになられるところへ、薫子も参りますゆえ・・」
「それは、無用ぞ。ついては来るな!!」
その声は、少し離れた所から聞こえてきた。兼が鬼龍を連れて都大路を駆け抜けてゆく先は、和泉の待つ、あの屋敷しかない・・
もういないのだ・・・皆、逝ってしまう・・
この夜だけでいくつの命が消えてしまったのか・・
その時、初めて薫子は自分の手を見た。血が付いている・・いつ、握りしめていたのかは分からない。広げようとして、その指が動かないことに気付いた。
「・・指が・・」
かすれた声で呟くように言う薫子を見れば、必死な面ざしで指を広げようとしている。
「指が、動きませぬ・・」
極度の緊張と初めての実戦現場は薫子には、強烈すぎたのだ。白い指を基之は力を入れずに、優しく両の手の中へ収めた。そして、ゆっくりと一本づつ、指をはがすようにして、伸ばしてやる。
「大丈夫です、薫子どの・・すぐに、動くようになります・・」
大切なものを扱うようにして、自分の指を揉みほぐそうとする基之の顔を
薫子は初めて見たような気がする・・その基之の手に一粒、何かが落ちてきた。長いまつげを押しのけるようにして、涙が白い頬を滑り落ちてくる。
無理に笑おうとする薫子が、愛おしいと思ったのはこの時からだったのかもしれない・・都大路を照らし始めた朝日の中で、悲惨な出来事と恋が、動きだす。




