自覚
「アイラ様が俺たちを止めてくれて良かった」
ベルトはぽつりとそう言った後、頭を巡らせながら独り言のように言う。
「聖女様は俺たちの話を聞いてくれた。庶民の言葉に耳を傾けてくれた。だが、間違った方へ俺たちを導こうとした。今なら分かる。聖女様の助言は間違っていた。彼女の言葉は神託だと思ってたけど、俺たちにした助言は、ただの王族嫌いの女の子の言葉だったんじゃないか?」
ベルトの言葉に、フォンクは残念そうに「確かに」と同意する。
そしてジスとテレジアも順番にこう言う。
「アーサー陛下も一体何をしておられるんだろう? 良い噂も悪い噂も聞かないが……。聖女様が我々に領主を討てという助言をしたこともきっとご存じでないだろう」
「もしかして、何かと目立つ聖女様に主導権を握られているんじゃない? 王としての役割をきちんと果たしておられるのかしら?」
歳を取るとあらゆることを流してしまったり、見て見ぬふりが得意になったりするけれど、彼らは若者らしく色々なことに疑問を持つようだ。
しかしアイラは腕を組んで仁王立ちしたまま訂正する。
「いや、アーサーは城で黙々と書類仕事したり、会議に出たり、政治のこととか勉強してると思うぞ。あまり目立たない仕事もきちんとやる奴だ。でも確かに目立たないから、国民からはアーサーが何をしてるのかよく分からないよな」
二十歳近く年上の異母兄の顔を思い浮かべながらアイラは続ける。
「自分でも自分は目立たない、サチの方が国民からの支持を得てると思ってるから、表に立つような目立つ仕事はサチに任せている部分も多いんだろう。父たちが処刑されて国が大きく変わったし、これまで使われていた馬鹿みたいな法律をなくしたり、新しい法律を作ったり、重要だけど目立たない仕事をこなしていくことで今は手一杯なんじゃないか?」
「そういう控えめなところは好印象でもありますが、果たして王としてはどうなのか」
辛辣に言ったのはパッシェだ。庶子であるアーサーが国王になったのを面白く思っていないからだろう。別に前国王のことも尊敬していたわけではないと思うが、頭が固いので新しいものを受け入れるのに時間がかかる。
アーサーは確かに真面目で信頼できる人物だが、それはアイラが彼のことをよく知っているから分かることで、国民には伝わらない。そうなるとアーサーがやっている仕事の成果が見えるようになるまでは、聖女に仕事を任せっきりの王として国民から反感を買う可能性もある。
(……サチやアーサーに本当にこの国を任せていいんだろうか?)
アイラは初めてそんなことを思った。サチやアーサーが国を仕切るのは、自分が王になるよりは良いと思っていたが、少し心配になってきたのだ。
アイリーデでもアイラの叔父である領主一家が変わらなければまた『黎明の烏』のような集団が出てきて反乱を起こされる可能性があるし、マドーラでも世代交代してマーカスが領主になった後が不安だ。
そして隣国ネツィアの脅威もある。戦争や反乱が各地で起こって、この国がこれ以上バラバラになってしまうのは嫌だった。
(王族としての責任感みたいなものが、私にもあるんだろうか?)
アイラは難しい顔をして考え込んだ。
(どうにかしなくちゃいけないんじゃないかって……少し思う)
そう思ったところで、ルルに「どうかしましたか?」と話しかけられてアイラは意識を目の前の領民たちに戻した。そして言う。
「何にしても、従うべき人間は自分たちで冷静に見極めないと。私があの酷い前王の娘だと最初から知っていたら、お前たちは私の言葉を素直に聞いたか? 領主と手を組んで自分たちを騙しているのではと思ったかもしれない。聖女だとか王族だとか貴族だとか、肩書きに騙されずに判断した方がいい」
「君は、俺たちの上に立とうという気はないのか?」
声を上げたのは若者たちの後ろにいたアラドだ。耳を澄まさなくても、アラドの太く低い声は十分聞こえる。
「俺は今、肩書きは関係なく君を信用できると判断したぞ。豚のフンの掃除も経験した王女なら、きっと俺たち庶民の気持ちも理解できる王になるだろう」
「私は……」
領民たちの顔に順番に視線を移していくと、期待のこもった目でこちらを見返してくる者が何人もいた。彼らもアラドと同じ気持ちのようだ。
しかし自分でも自分がどうしたいかまだ分からないアイラは、すがる国民を突き放すような罪悪感を感じつつ下を向いて答えた。
「私は王にはならないと思う」
「王になんてならない」と断言はしなかったアイラの、僅かな心境の変化をルルは感じ取った。
「それは残念です」
次に口を開いたのはパッシェだった。パッシェは淡々と、でも少しだけ申し訳なさそうにアイラに言う。
「王になるおつもりがないのなら、私はアイラ様をずっとうちの屋敷に置いておくわけにはいきませんから。アーサー陛下や聖女に情報が渡った時、私の立場が悪くなります」
「そんな……」
若者たちは非難するようにパッシェを見たが、パッシェは冷静に続ける。
「これだけの人数がアイラ様がここにいると知っているのです。必ず誰かが情報を漏らします。皆アイラ様のことを嫌ってはいないようですし、誰かが故意に情報を流すということはないでしょう。ですが酒に酔って親しい知人につい漏らしてしまう、などといったことは絶対に起こります。そしてその知人からまた違う知人へ、巡り巡って必ず聖女や陛下に伝わるでしょう」
確かに百人以上に秘密を守らせるのは困難なように思えた。
「ですからもうアイラ様をマドーラに滞在させておくことはできません。領民も共謀者ということで責任を追及されることになるかもしれませんし、申し訳ありませんが……」
「お前らしいな」
アイラは愉快そうに笑って言う。自分や、今は領民のことも考えて、損か得かで判断している。計算高く、理性的でもある。
きっとアイラが「王になる」と告げていたら、アイラが女王になった後の自分の立場を考えて匿ってくれただろう。アイラはパッシェのこういうところは嫌いではなかった。
「分かった、出ていく。でも次、どこへ行こうかな。まだ行ったことのないところに行きたいな」
「王都とポルティカを省くと、ここから向かうならザリオかルーランスがいいのではないかと思います。西に行ってもマドーラと同じような田舎が続くだけですから。ザリオには国一番の魔法使いシビリルもいますが、ルーランスにはアイラ様の婚約者であるレオル殿もいるわけですし、ルーランスの方がいいのでは?」
レオルという名前を出されると、アイラは「ひゃっ!」とよく分からない高い悲鳴を上げた後、嫌そうな顔をして否定した。
「いや、私はもう王女じゃないからレオルは婚約者じゃない。あいつはエストラーダ王国の王女の婚約者だったから!」
「そうですね」
力強く頷いて同意したのはルルだ。アイラは続ける。
「あっちも王族ではない私と結婚する気はないだろう」
アイラが怖いと思うのはグレイストーン伯爵のヘクターだけだが、若干苦手だと思う人物は二人いる。婚約者のレオルと国一番の魔法使いであるシビリルだ。つまりこれから向かおうとしている二つの領地のそれぞれの権力者たちだった。
「この二択、嫌だな。でもまぁシビリルのがマシだしザリオに行くか」
「そうしましょう」
ルルも強く賛成する。
「というか、ザリオに行ってもシビリルに会わないようにすればいいだけか。そこそこ大きな街もあるだろうし、宿に泊まろう」
「ですがザリオに入る時が問題ですよ」
パッシェは眼鏡をかけ直してから言った。
「ポルティカからザリオに入る道が一つしかなかったように、マドーラからザリオに入る道も一つです。ザリオは防衛の観点から、各方面から領地に続くルートを絞っていますから。そしてそれは、王都の騎士に待ち伏せされやすいということです。私がアイラ様を捕まえようとしている立場なら、ザリオに入る数本の街道は全て見張っておきます」
「何故だ?」
「アイラ様がザリオ子爵を頼ると厄介だからです。彼は強い魔法使いですから、彼の協力を得たアイラ様を捕まえるのは難しくなってしまいます」
「フン。私は別にシビリルなんて頼らなくても強いけどな」
アイラは腰に手を当てて唇を尖らせた。そしてそのまま尊大な口調で続ける。
「一本しかない街道を王都の騎士たちが見張っていたって私の力で倒せるし、問題ない。面倒だから見つかるのは避けたかったけど、ルーランスへ行くことの方がもっと嫌だし」
「……まぁ、私もあの若造は好きませんがね。優秀なのが鼻につく」
パッシェが珍しく建前のない本音をこぼしたので、アイラはパッと表情を明るくして目を輝かせた。
「気が合うなぁ、パッシェ! お前は信頼できる!」
ルルもうんうんと頷いている。マドーラの若者たちは「こんなに嫌われて、アイラ様の婚約者ってどんなヤバい男なんだ?」とひそひそ話し合った。
パッシェは話をまとめて言う。
「とにかく今日はもう遅いので屋敷で休んでください。一晩くらいなら泊めることは可能です。ただし、アイラ様に脅されて仕方なく泊めたということにして、後日アーサー陛下にこのことは報告します」
「お前って本当、使えるものは何でも使うな。私を使ってアーサーに取り入るなんて」
「ザリオに向かったとは言いませんから、構わないでしょう?」
「うん、いいけど」
アイラはあっさり承諾した。マドーラにいたという情報が渡ったとしても、特に問題ないと思ったからだ。
「じゃあ、今日はみんなもう休むぞ。解散」
数十分前には領主一家を討つぞと意気込んでいた若者たちも、アイラにそう言われると、仲間とお喋りしながら自分たちの村に帰っていく。心配して来ていた親と合流して「馬鹿なことをして!」と叱られている姿もある。
だがもう空気は緊迫していない。ネツィアの脅威は残っているが、命のやり取りをしなければならない場面は一旦去ったからだ。
アイラも屋敷に戻ろうとしたところで、フォンクに声をかけられた。
「なぁ、女王になってくれよ。マーカスが次の領主になった時が不安だけど、お前が女王だったら何とかしてくれるだろ」
同じく屋敷に戻っていく公爵一家を見ながらひそひそと話をしてくる。
「いや、さっきも言ったけど……」
「頼むよ。ずっと逃亡中でお前がどこにいるか分からないんじゃ、何かあっても助けを求められない。女王になって王座にどっかり座っててくれよ。そしたら俺たちも安心だ。何かあったら城へ行けばいいんだから」
「いや……うーん、まぁ、うん」
「考えておいてくれよ。じゃあな! あ、あと寝込みを襲ってすみませんでした」
フォンクは最後に早口で付け足したが、アイラには何のことか分からなかった。
代わりに去っていくフォンクを見ながら独り言を呟く。
「城に頼れる王が鎮座していると安心か……」
そこまで言われても王座に座ることに抵抗があるのは父親のせいかもしれない。洗脳に近い教育のせいでアイラには正しい倫理観がなかったが、思い返せば父親の王としての振る舞いは最低なものだった。賢王サンダーパトロスとは真逆の、とんでもない愚王だったと今なら分かる。
そしてアイラにもその父親の血が流れている。エストラーダを権力で支配してきた王族の血が。
(私も、いずれ父みたいな王になってしまうかも)
その不安が拭い切れなかった。だから王になることに尻込みしてしまうし、父のしてきたことを見過ごしてきた自分より、父を止めるべく革命を起こしたアーサーやサチの方がまだ為政者に相応しいのではないかと思ってしまう。
アイラはそういうふうに育てられたため自尊心が高く、傲慢な自信家だ。だが、『王族は神に等しい』『王族は特別』という洗脳から抜け出しつつある今、アイラはおそらく生まれて初めて自分に自信がないという状態を体験していた。
王に相応しい、という一点においては自信を持てないのだ。
「ゆっくり考えればいいですよ」
アイラの迷いを感じ取って、ルルはそっとアイラの背中に手を添えた。




