元王女(2)
「なんだ、ありゃあ……。後ろ向きに船が戻って来るぞ」
「帆も張ってあるのに、風に逆らって進んできてる」
港では、作業員や船乗りたちが目を丸くして奇妙な貿易船を観察していた。
アイラが魔力で動かしているその船は着実に港に近づいてきて、最終的に岸にぶつかって一部が崩壊し、停まった。
「お前たち早く降りろ! いや、まずは帆を畳め! 風で押し戻される」
甲板でアイラの声が響く。魔力を解けば風に流されてまた沖に出てしまう。船員たちを包んでいた魔力だけを慎重に消すと、アイラはもう一度「帆を畳め!」と命令した。
船員たちはこの国の言葉を理解していないようだったが、すぐにロープを操って帆を畳み、錨を下ろし始めた。おそらく岸にぶつかった衝撃で船が壊れたことを船員たちは分かっていて、壊れたまま沖へ戻るのは危険だと思ったのだろう。アイラの命令を聞いたというより、自分たちで判断したようだ。
船員たちの魔力を解いた時、ファザドも一緒に自由にしてしまったが、ルルが馬乗りになったまま動けないようにしてくれていた。
船員たちが船を停めると、アイラは大きく息を吐いて甲板の床についていた手を離した。大きな船を満たしていた膨大な魔力は、水蒸気のように青い空に溶けて消えていく。
「さぁ、降りるぞ」
船員たちが掛けた梯子から、まずはアイラが岸に降り立った。逆走してきた船が岸にぶつかるという前代未聞の出来事に、港にいた作業員や役人、船乗りや漁師たちが集まってきていて騒ぎになっている。
「おい、大丈夫か?」
「何が起こったんだ?」
見物人たちが話しかけてくるが、無視してまずはファザドを船から降ろした。ルルがファザドの腕を掴んでアイラから見える位置に引きずって来てくれたので、魔力でルルと一緒に浮かせて岸にゆっくりと移動させたのだ。
「人が浮いたぞ!」
「魔法か!?」
ファザドも自分の体が浮いたことに驚いていたが、見物人たちもびっくりしている。どんどんと人が集まり、港は大騒ぎとなっていた。
アイラは周囲の人たちに向かって叫ぶ。
「お前たち、静かにしろ! そして誰かカトリーヌの……ポルティカ伯爵のところへ行って、伯爵の騎士たちを連れてきてくれ! この男は若い娘を何人も殺した、身投げ事件の犯人なんだ!」
「犯人……?」
見物人たちも身投げ事件のことは知っているようで、険しい表情でファザドを見る。
ファザドは逃げることこそしなかったが、腕を掴んでいたルルの手を振り払って、野次馬たちに必死な様子で訴えかけた。
「彼女の言うことを信じないでください! 私を陥れようとしてとんでもない出まかせを言っている。私はマーディルの王子だ。若い娘を殺すなんてそんなことするはずがない!」
地元の人間ではない見知らぬ少年と、異国の王族。どちらの言い分が正しいのか見物人たちも迷っているようだった。
アイラは証拠を示そうとして言う。
「船を調べれば分かる。中に若い娘たちが捕らわれていて、彼女たちも殺されるところだった」
「それはとんだ言い掛かりです。彼女たちはここでの暮らしに不満があったのか、マーディルに行きたいとこっそり船に侵入していたのです。出航してからそのことに気づき、私も困っていました」
周囲の人間たちは困惑していたが、誰かも分からないアイラを信じること、そして異国の王族をないがしろにすることを躊躇し、結果ファザドを助けることにしたらしい。港の作業員がロープを持ってきたかと思うと、みんなでアイラを捕まえようとする。
思わず後ろに下がるが、背後にも人垣ができていて逃げ場がない。それにここでアイラが逃げればファザドを逃がすことにもなってしまう。
(魔力でここにいる全員を動けなくさせてもいいが……私が暴力的な手段に出ればファザドに有利になってしまう)
アイラは珍しく冷静にそう考え、とっさにルルに言う。
「ルル! 私の髪色を元に戻せ!」
「え? しかし……」
「いいから早く!」
目的が分からず戸惑いながらも、ルルはアイラの髪にかけていた魔法を解く。
するとありふれた茶色に変わっていたアイラの髪が、美しい銀色に戻った。被っていたキャスケット帽を取ると、アイラは堂々と言う。
「私の名はプライセント・アイラ・クリスタル。この国の元王女だ」
「何を……!」
自分の正体を明かしたアイラにルルが驚きの声を上げる。周囲の人間たちもその名を聞いてびくりと身をすくめた。クリスタルは王族だけが名乗れる名字、そしてプライセントには『聖なる』という意味があり、これも王族だけが使えるものだからだ。
名前を聞いただけで、みんなアイラの正体を察して身構えた。元王族に対する国民の感情としては、未だに恐怖が一番強いのかもしれない。
「アイラ、何故正体を……? 捕まってしまいますよ」
ルルは焦った表情で尋ねてきた。周りを注意深く見回して、王都の騎士たちがいないか確認しながら。
しかしアイラははっきりとした口調で答える。
「ここでファザドを逃がしたら、被害者や遺族の気持ちは永遠に慰められない。逃がすくらいなら私は自分の正体を明かす」
そして今度は見物人たちに向かって演説するように言う。
「私は嘘なんてつかない。この男は確かに身投げ事件の犯人だ。船を調べてみろ。麻薬のようなお香の香りで正気を失っている女たちが捕らわれている」
みんなざわつきながら船を見て、またアイラを見る。信じるべきか迷っている様子だ。
その迷いを感じて、アイラは続ける。
「お前たちにとっては『元王女』なんて信用に値する人間ではないかもしれない。私にとっても正体を明かすことには危険しかないが、誠意を見せたかった。私は嘘をついていないし、何も隠していることはない。マーディルの王子が身投げ事件の犯人だ」
アイラの瞳は澄んでいて、確かに嘘をついているようには見えなかった。少しの動揺も後ろめたさも伝わってこない。
「カトリーヌや騎士たちを呼んできてくれ。今ここでこの男を逃がしたら、私は身投げ事件で死んだ娘や、娘を失って悲しんでいる遺族たちに顔向けできない」
「信じないでください! この国の王族たちは酷い人間だったはずです。そんな者の言葉を鵜呑みにしてはいけない!」
ファザドも負けじと声を張る。見物人たちはどちらを信じるべきか考えていた。
「確かに元王女の言葉を信じるのは……。それに他国の王族を捕まえるなんて、えん罪だったら後が怖い」
「だが彼女を見ろよ、嘘を言ってるようには思えないぞ」
「元王女は良い人だという噂もある。アイリーデで公爵に逆らった若者を助けたとか、グレイストーンで奴隷にされかけていた子供を救ったなんて新聞記事にもなっていたし」
「俺もその記事は見た……」
見物人たちがざわざわと話をしていると、その中の一人が声を上げた。
「俺、伯爵家に行って人を呼んでくる!」
人垣を抜けて走り去っていく若者を見て、アイラは少しホッとした。カトリーヌや伯爵家の騎士たちがここへ来てくれたら、アイラの話も信じてくれるだろうしファザドを捕まえてくれる。
一方、ファザドは同じく伯爵家へ走る若者を苦々しく見つめ、小さく舌打ちした。カトリーヌたちがここに来れば自分は終わりだと分かっているのだ。
だから隙を見て逃げ出そうとしたが、それはアイラが許さなかった。
「逃げられないぞ。お前は絶対に逃がさない」
人間一人を動けないようにすることは、アイラにとっては造作もないことだ。けれど念のためファザドの手足は縛っておくことにした。
「お前、そのタオル貸してくれ。あとお前も」
見物人の中の漁師が首や頭に巻いていたタオルを借りると、それをルルに渡してファザドを縛らせた。異国の王子を縛るなどという恐ろしく無礼な振る舞い、ルル以外には誰もやりたがらなかったからだ。
手足をぎちぎちに縛られたファザドは地面に転がったまま立ち上がることもできなくなっている。
あとはカトリーヌたちが到着するのを待つだけだと、アイラが少し気を抜いた時――。
「一体何の騒ぎなの?」
群衆の奥から、かん高い女の声が響いてきた。カトリーヌよりももっと若い声だ。
最初アイラから声の主は見えなかったが、声の主のために人々が道を開けたことで、アイラも相手の顔を確認することができた。
「……サチ!」
「アイラッ!?」
まだ十数メートルの距離があったが、しっかりと目が合うと同時にお互い相手の名を叫んだ。
サチは露出の少ない、詰襟で丈の長いシンプルな白いドレスを着て、聖女らしい格好をしていた。髪は以前は特に編んではいなかったが、今は長い黒髪を後ろで太い三つ編みにしている。そして髪には白い花を挿していた。どうやら生花のようだ。
宝飾品は一切身につけていないし、以前より地味な格好をしている印象だ。城にはアイラが残した宝飾品が山ほどあるはずなのだが、興味がないのだろうか?
「何でここに」
アイラは少し驚いて目を丸くしながら呟いた。サチの周りには白い制服を着た王都の騎士たちが大勢いるが、カトリーヌはいない。ただ、深紅の制服を着たポルティカの騎士は五人ほどいる。
ポルティカの騎士は、おそらくカトリーヌの命令を受けて、ポルティカに着いたサチ一行を出迎え、屋敷まで案内しようとしていたのだろう。
しかしサチが港に何らかの用事があって、屋敷に行く前にこちらに寄ったのかもしれない。
「聖女様!」
「聖女様だ!」
見物人たちは聖女の登場に盛り上がっている。人気があるのはやはり元王女よりも聖女だ。
「こんなところで会うなんて……」
サチは嫌悪と喜びをにじませたような嫌な笑みを浮かべ、アイラを見た。この表情だけ見たらとても聖女とは思えない。
「ポルティカの綺麗な海が見たくて先にここに来たけど、正解だったみたい。あちこち逃げ回ってたようだけど、ようやく……」
サチは笑みを浮かべたまま自分の胸を撫でた。逃亡したアイラの存在がかなり気にかかっていたようだ。もちろんアイラの身を心配していたわけではなく、アイラが生きていることによって自分に不利益が生じることを恐れていたのだろう。あるいは単純に、嫌いな人間が生きているのが嫌なだけかもしれない。
「まだ一緒にいたのね」
サチはアイラのそばにいるルルを見て眉間にしわを寄せ、険しい顔をした。サチはおそらくルルを気に入っていたので、髪色が違ってもすぐに気づいたようだ。
僅かな時間、迷うように視線を彷徨わせた後、サチはルルを真っ直ぐ見つめて言う。
「ルルさん、今こちら側に戻ってこれば、あなたのことは助けてあげます。あなたは奴隷という立場にいて、アイラに洗脳されていたんでしょう?」
「いえ、洗脳はされていませんので、あなたの押しつけがましい恩情は必要ありません、聖女様」
元奴隷ということを大勢の前でバラされたこと、あるいは洗脳されていると言われたことに腹が立ったのか、ルルはとげのある言い方をした。
冷たくあしらわれたサチは、強く唇を噛むと顔を真っ赤にしてルルを睨む。
「すみません、プライドを傷つけましたか?」
ほほ笑んで追撃するルルを、アイラはちらっと見上げる。アイラが思っているよりルルはサチが嫌いなのかもしれない。
サチは自分を落ち着かせるように深く息をつくと、鋭い視線をルルに向けて言う。
「あなたがそういう態度を取るなら容赦しません。アイラと共に捕まえます。――行って」
サチは自分を囲んでいる騎士たちに指示を出した。と同時に騎士たちはアイラを捕まえようと走り出す。人数は二十人以上いるだろうか。普通なら絶体絶命だが、これくらいの人数アイラの敵ではなかった。
「あまり怪我とかはさせたくないんだ」
素直な気持ちをこぼしながら、アイラは見物人たちを押しのけてこちらにやって来る騎士たちに手のひらを向けた。
騎士たちが自分の意思で動けることはほとんどない。いつだって上の命令に従わなければならないし、そういう者を手荒に扱いたくはなかった。
そこでアイラは魔力で騎士たちの動きを止めた後、少しだけ押した。すると彼らは体勢を崩して後ろに転んでしまう。吹っ飛ばすと最悪死人が出るから、この程度の攻撃しかできない。
「なぁ、お前たち。私を捕まえようとするのはやめろ。お前たちじゃ私に勝てないし無駄なことだ。それに私は大人しく暮らしてるだけだぞ。放っておいてくれ」
「そんなことできるわけないでしょ! 前の国王のもとであなたは贅沢三昧をして、国民や奴隷たちがどんなひどい扱いを受けても何もしなかった! 捕まえて処刑しなければ国民が納得しないわ!」
そう言われるとアイラは真っ当な反論はできなくなる。ただ言い訳するとすれば、アイラは城の外に出たことがなく国民が苦しい生活を送っていることに気づけなかった。城の中で両親や兄が気に入らない人物を罰したり処刑したりしていることは知っていたが、家族の中で一番立場の弱いアイラにはどうにもできなかった。
というか、物心ついた時から王族に逆らう者は処刑されても仕方ないのだと教え込まれていたし、両親や兄に逆らわぬよう教育されてきたせいで、この国がおかしいことに気づけていなかった。
アイラは自分の家族が嫌いだったし、ひどい扱いを受ける臣下や奴隷たちを可哀想だとは思っていたので、きっといつかは王族は間違っていると気づいて自分の力で国を変えていたかもしれない。
でもそれにはまだ時間がかかっただろう。だからアイラはサチには感謝しているのだ。サチが革命を起こしてくれたおかげで、この国の民たちはクズな王族の圧政から解放されたのだから。
「でも処刑されるのは嫌だ」
旅をここで終わらせたくない。もっと色々なことを知りたいのだ。
「ここにいるマーディルの王子は殺人犯だ。私を捕まえるのもいいが、こいつも捕まえてくれ。あと、船の中に被害者の娘たちがいるから保護してやってくれ。じゃあな」
アイラはそれだけ伝えると、ルルに「行くぞ」と合図を出してその場から逃げ出した。見物人の間をすり抜け、サチたちがいる方とは反対の方向に走る。
「待ちなさい! 逃がさないわよッ! ――クイン、行って!」
サチが命令を出すより早く、サチの隣にいたクイン・トールマンという名の長身の騎士は駆け出していた。人の間を上手く縫って走り、人間離れした跳躍を見せて一気にアイラとの距離を詰める。そしてアイラの背後に着地して素早く二の腕を掴んだ。
腕を掴まれ前に進めなくなったアイラは、落ち着いた様子で振り返って言う。
「クイン、久しぶりだな」
クインは細身だが筋肉質で、ルルよりも背が高く、小柄なアイラが目を合わせようとすると首を後ろに曲げなければならない。
彼は貴族出身の二十四歳で、鼻が高く僅かに垂れ目で大人っぽい顔立ちをしている。眉はいつも真っすぐ平行で感情が読み取りづらかったが、ルルに負けず劣らず美形なので昔から女性人気はあった。
髪は白髪に少し水色を混ぜたような不思議な色で、サイドを短く刈り上げており男らしく精悍な印象だ。
瞳は薄い紫色で、髪も目も珍しい色だが、それより目立つのは襟元から首、左頬を通って左目まで伸びている炎のような刺青だった。首と顔、手の甲くらいしか見えないが、全身に入っているのをアイラは以前見せてもらったことがある。
「お前、エストラーダ革命の時はどうしてたんだ?」
アイラは軽い調子で話を続ける。
「お前が父を守ってたら革命は成功しなかっただろうから、予想はつくけどさ」
アイラもルルもクインのことは昔からよく知っていた。それは彼が元々アイラの父親――前国王の近衛騎士をやっていたからだ。
クインはアイラの父には忠実だったが別に好きではなかったらしく、エストラーダ革命では特にどちらの味方をすることもなかったのではないかとアイラは思っている。
そして今も騎士の中で高い地位にいるのは変わらないらしく、マントをつけた白い制服は他の騎士より装飾が豪華だった。
「お前、今はサチについてるのか。父上の近衛よりは楽そうだな」
「髪……」
「ん?」
クインは無表情だが、地を這うような低い声から不機嫌であることが伝わってきた。
腕を掴んだまま、アイラをじっと見つめて言う。
「何故髪を切ったのですか?」
「あー……」
「ルルが切ったのですね?」
「んー、まぁ」
「元の長さに髪が伸びるまで何年かかるか分かりますか? 男装なんてしなくても他に変装の仕方があったでしょう? おまけに夏にこんな港に来るなんて。肌が日に焼けてしまう」
ネチネチと責められてアイラは「あー」とか「んー」とか適当に返事をした。クインはかなり面倒臭い人物で、昔からアイラの外見に傷がつくことを何よりも嫌がるのだ。




