不穏
「サチが?」
アイラは首を傾げてカトリーヌに尋ねる。
「何しに?」
「サチから届いた手紙を読んだけど、特に重大な理由はないと思うわ。女同士でお喋りしたいだけみたい」
カトリーヌは二度ほどサチと会ったことがあるらしいが、同じ女性の権力者だから悩み事も相談しやすいと慕われたようだ。カトリーヌもサチのことは別に嫌ってはいないらしい。
「でも安心して。私はサチより殿下を愛してるから」
「そこは別にどうでもいいけど」
そっけなく言ってから、アイラは続ける。
「それでサチはいつここに来るんだ?」
「一週間後ですって。護衛の騎士たちも引き連れてくるでしょうし、殿下は見つかるとまずいから身を隠しておいた方がいいわね」
「うーん、じゃあ他の土地に逃げるか。サチが来るまでに身投げ事件を解決してから……」
「えー? 殿下はまだここにいてちょうだいよ!」
カトリーヌは慌てて言う。
「サチのことはこの屋敷に招くつもりだけど、彼女が部屋を一つ一つ見て回るわけでもないし、違う部屋にいれば見つからないわよ」
「まぁそうか」
「殿下にはずっとここで暮らしてほしいわ!」
そう言うと、どさくさに紛れてカトリーヌはアイラをぎゅっと抱きしめたのだった。
翌日、昼近くまでのんびり寝ていたアイラが目を覚ますと、ルルはすでに起きて読書をしていた。アイラが目覚めるまで暇だったようだ。
アイラが起きたことに気づくと、ルルは本をテーブルに置いてベッドにやってくる。そして呆れたように言った。
「何度声をかけても起きないんですから。サチもここに来ると聞いたばかりだというのに、もう少し緊張感を持ってくださいよ」
「でもサチが来るのは一週間後だしなぁ」
そんな会話をすると、アイラはあくびを一つしてベッドから降りたのだった。
その後、身支度を済ませて食事を取ると、アイラはまた身投げ事件の調査に行くため屋敷の正面玄関へと向かった。
すると外に出たところでティアがアイラたちのそばを通りかかった。ティアも門へと向かうようだ。
「あ、おはようございます、ライアさん! ルルさん」
「おはよう。ティアもどこかへ出かけるのか?」
アイラたちに向かってぺこりと頭を下げたティアは使用人の制服を着ておらず、淡い桃色のワンピースを身に着けていた。ティアが持っている服はどれも着古したものばかりだが、このワンピースは比較的綺麗だ。
アイラは少し驚いて言う。
「お前、そんな服も持ってたんだな。おめかししてどうしたんだ?」
「じ、実はデートに行くんです……」
ティアは顔を赤くして続ける。
「この服は同僚のもので、デートに行くっていうのに私がろくな服を持っていなかったので、見かねて貸してくれたんです」
「デート……?」
確かにティアは何だかわくわくしていて嬉しそうに見える。
「今日は働き出してから初めての休日なので」
「相手は? いつの間に恋人なんか作ってたんだ」
「あ、ち、違うんです、まだ恋人じゃなくて……」
びっくりしているアイラに、ティアは慌てて説明した。
「私は彼のことを良い方だと思ってますし、相手も私のことを気にかけてくれていて今日食事に誘ってくれたんですが、まだお付き合いをしているわけではないんです」
「相手は誰なんだ?」
遠慮なく尋ねるアイラだったが、ティアは「秘密です!」と恥ずかしそうに言って街の方へと走っていったのだった。
そしてその後、ティアは毎日のように街へ出かけていくようになった。意中の相手に会いに行っているようだが、仕事は変わらず真面目にやっている。
しかし仕事が終わった後に出かけていき、デートをしてから夜遅くに帰ってきているようなので、少々寝不足気味に見えた。
「夜に出歩くのは危ないから、休日だけ会いに行けばいいのに」
アイラはお風呂上りにルルに髪を拭いてもらいながら、ティアのことを話した。
「休日だけで我慢できないんでしょう。好きな相手には毎日会いたいと思うものです」
ルルもほとんど恋愛の経験はないはずだが、訳知り顔で話す。
アイラは「うーん」と唸ってから言った。
「しかしちょっと心配だな。身投げ事件の調査をしているせいで、新しく恋人ができるっていう状況に敏感になってるから。しかもティアの身の回りにいる男となると、ファザドが一番に思い浮かぶんだが」
するとルルも頷いて返す。
「そうですね。彼は毎年この季節にポルティカへやって来ているようですから、身投げ事件が起きていた時期と来航時期が重なっていて、犯人として怪しいと言えば怪しいですよ。あの容姿と異国の王子という肩書きがあれば、若い女性をたぶらかすのもお手の物でしょうし」
「今度ティアを見かけたら、相手の名前をもう一度聞いてみるか」
そんな会話をした翌日の夕方。夕食を食べようとアイラとルルが屋敷の廊下を歩いていると、ちょうどティアの姿を見かけた。
ティアはカトリーヌの執務室から出てくるところで、頭を下げながら扉を閉めたところだった。扉が閉まる前には、中からカトリーヌの「また明日ね」という声が聞こえてきた。
ティアは新人だということもあり、使用人の中でもまだ地位が低く、普段はカトリーヌの執務室に出入りすることはないはずだ。何か変だなと思いながら、アイラはティアに声をかけた。
するとティアはびくっと肩を震わせて、驚いたようにこちらを向く。
「あ、ライアさんにルルさん……」
「どうした? 何かあったのか?」
アイラはティアの顔を見ると心配して尋ねた。ティアは何かに怯えているような、少し青い顔をしていたのだ。
「カトリーヌに叱られたのか?」
「いえ……。いいえ、違うんです。何でもありません」
そう言うと、ティアは青ざめた顔をしたまま逃げるようにここから去っていった。
「なんだ?」
疑問に思ったら単刀直入に聞くのがアイラなので、アイラはそばにあったカトリーヌの部屋の扉を開けて、カトリーヌにも何があったか尋ねようとした。
「カトリーヌ」
「殿下!? びっくりした。急にドアを開けるんだもの。ノックくらい覚えてちょうだい」
カトリーヌは仕事中らしく、立派な机に座って書類と向かい合っていたが、アイラを見てこう続ける。
「何か用かしら? 夕食なら先に食べていてね。私、まだ今日中にやらなくちゃならない仕事が残っているのよ」
「うん。夕食は先に食べるけど、それよりさっきティアがここから出てきただろ? 何だか青い顔してたけど、何かあったのか?」
「青い顔をしてた? 気分でも悪かったのかしら? 分からないわ。私はティアの仕事ぶりを褒めただけよ。とても真面目にやっていると使用人頭から聞いたからね。それだけよ」
アイラが質問すると、カトリーヌはにっこりほほ笑んでそう答えたのだった。
翌日。朝起きてアイラとルルが部屋から出ると、屋敷の中はいつもより慌ただしい雰囲気だった。普段より使用人が忙しそうに廊下を行き交っているのだ。
「何かあるのかな」
「明日はサチがここにやって来ますから、聖女様を迎える準備を整えているのでしょう」
「あー、そうか」
「忘れてましたね?」
ルルに指摘されて、アイラは「まぁな」と適当に返事をする。そして朝食の席に着くと、アイラたちとほぼ同時に食堂へやって来たカトリーヌに明日のことを相談した。
「サチは明日の何時頃ここに着くんだ?」
「早朝に王城を立つようだから、午後の早い時間に着くと思うわ。殿下はそれまでに部屋に隠れておいてね。殿下の部屋には、サチも、サチが連れてくる騎士たちも近づかせないようにするから」
「それなんだけど、サチがいる間はルルと街の宿に泊まることにする」
アイラは食事を取りながら言う。この屋敷にいるなら、サチや王都の騎士たちと鉢合わせしないように、彼らがいる間はずっと部屋にこもっていなければならなくなるのが嫌なのだ。
するとカトリーヌはアイラを心配して返す。
「いいけど、街でもサチや王都の騎士と出くわさないように気をつけてね。サチはポルティカの街で買い物もしたいって手紙に書いていたから。それにサチが王都に帰ったら、殿下もちゃんとこの屋敷に戻って来てよ」
カトリーヌは愛しのアイラとどうしても一緒に住んでいたいようだ。
そこでため息をつくと、カトリーヌは続ける。
「でもサチはうちに三泊する予定らしいから、確かに殿下は宿に泊まった方がいいかもしれないわね。屋敷にいたら、サチが泊っている間はトイレに行くのにも気をつけないといけないから。それが一泊ならまだしも、三泊となると殿下にはちょっと大変でしょ」
「うん」
まるで小さい子供のように思われているみたいで、『殿下にはちょっと大変』という言い方には少々腹が立ったが、実際、アイラは四日も部屋で大人しくしていることはできそうになかったので素直に頷いた。
「宿は私が手配しておくわ。安全なところをね。そしてサチが王都に帰ったら、宿に使いを送って殿下にそれを伝えるわ。殿下は使いが来るまではうちの屋敷に帰って来ちゃ駄目よ。サチのことだもの、もしかしたら『楽しいからもう一泊していくわ』なんて言って滞在が長引く可能性もあるし」
「分かった」
朝食を食べながら、アイラたちは明日からの行動計画を立てたのだった。
この日は午前中、アイラが連れて来た旅のお供――カトリーヌの屋敷の厩舎で預かって貰ってもらっていた馬の親子と戯れた。
母馬も子馬もアイラやルルの顔はちゃんと覚えているらしく、アイラたちを見ると嬉しそうにしっぽを揺らした。懐いてくると可愛いので、アイラも気分が良くなって言う。
「そういえばこいつらに名前を付けていなかったな。馬なんて『馬』でいいと思っていたが、他の馬と区別するためにも名をやろう。私から名前を貰えるなんて光栄だろう」
アイラは胸を張って尊大に言ったが、母馬と子馬は特に光栄だとは思っていない様子で庭をのんびり歩いている。
「そうだな、私の尊敬する古の賢王サンダーパトロスから取って、母馬の方はサンダー、子馬の方はパトロスにしよう」
「サンダーとパトロス……」
安直な名づけにルルは微妙な顔をしたが、アイラは自分の命名に満足げだし、馬たちはどうでもよさげだったので、ルルもまぁいいかと納得したのだった。
その後、昼食を食べて午後からはまた街に出た。身投げ事件の調査をするためだが、事件の核心に迫るような証言などは得られず、もはや犠牲者の遺族たちと世間話をするだけになっていた。
しかし遺族たちは、世間知らずで偉そうで、でも憎めない性格のアイラと話すのが楽しいようで、アイラがおかしなことを言うと声を上げて笑ってくれるようになった。そして帰る時には「またおいで」と誘ってくれるのだ。
事件があってからずっと悲しい気持ちを引きずっていた遺族たちだが、アイラと会話をすることで、ほんの少しは気分転換になっているのかもしれない。
そうして遺族たちと会った後、屋敷に帰ってカトリーヌと夕食を取った。
食事を終えると、アイラたちもカトリーヌも自室に戻る。
「それじゃあおやすみなさい、殿下。明日はあまりのんびり眠っていちゃ駄目よ。昼までにはここを出て、宿に向かってね」
「うん、分かってる。おやすみ」
その後アイラは風呂に入り、ルルに髪を拭いてもらっているところでふとティアのことを思い出した。
「そういえばティアにデートの相手の名前を聞くのを忘れてたな。今日ももう会いに行ってしまったかな」
日が落ちてすっかり暗くなった外を見ながら、アイラは言った。
「ティアに身投げ事件のことを詳しく話して、忠告しておいてやらないと」
「使用人にティアがまだいるか聞いてきましょう」
ルルはアイラの髪を拭き終えると、頭を撫でるように髪を整えてから部屋を出て行った。そして十分以上経ってから戻ってくる。
「ティアはまだデートには行っていないようですが、姿が見えませんね。もう仕事は終えている時間のようですが……。今、他の使用人にも探してもらっています」
「ふーん。待ってる時間が暇だし、私も探すか」
ティアが心配なのもあって、アイラは自分も動くことにした。
「デートに行ってないのは確実なのか?」
自室から出ながらルルに尋ねる。
「ええ。使用人にティアの部屋を確認してもらいましたが、デート用に準備したと思われる服が壁に掛かったままだったらしいです」
そんな会話をしながら廊下を歩いていると、前からカトリーヌが歩いてきた。カトリーヌは自分の世話係の使用人と一緒だったが、使用人がバスローブやタオルを持っていたので、これから浴場へ向かうのだろう。
「あら殿下。寝間着姿でどうしたの?」
「実はティアを探してるんだ。知らないか?」
「ティアを? さぁ、知らないわ」
カトリーヌはそう答えた後で付け加える。
「だけどただ一人になりたいだけかもしれないし、用事があるならまた明日にしたら?」
「うん。でもちょっと心配だから」
アイラはカトリーヌと別れると、ルルを連れて引き続きティアを探した。何だか少し胸騒ぎがするので、ティアの姿を確認しないと眠れそうになかった。
そのまま屋敷の東棟へ向かって、上階から順番にティアを探していく。
「ティアー!」
するとその声が聞こえたわけではないようだったが、偶然ティアがとある部屋から廊下に出てきた。
その部屋とはカトリーヌの私室だ。




