贖罪
ファザドに恐ろしいことを言われた後、アイラはルルを連れ、恐る恐るカトリーヌの屋敷に帰った。
吸血鬼かもしれない女主人のいる屋敷になんて戻りたくなかったが、他に行くところがないのでしょうがない。
と、玄関を入ったところでちょうどカトリーヌと出くわしてしまった。
「あら、殿下。おかえりなさい」
「ひっ……!」
急に声をかけられて驚いたアイラは、思わずルルの腕をぎゅっと掴む。
今日も真っ赤な口紅を塗って派手な化粧をしているカトリーヌは、不満そうに眉根を寄せた。
「殿下ったらなぁに? まるでオバケに出くわしたみたいな反応して」
「いや……何でもない。いると思わなかったからびっくりしただけ」
アイラはとりあえず取り繕う。するとカトリーヌはこう返した。
「今日は仕事が早く終わったから、午後はずっと屋敷にいたのよ。さっきまでファザドも訪ねてきてたわ。殿下とも顔見知りになったって言ってたわよ」
「うん、まぁ……」
「彼には気をつけてね、殿下。ファザドは絶対に浮気性だし、女だってバレたらちょっかいかけられちゃうわ。ティアにも気があるようだし、本当に油断も隙もない」
カトリーヌはキッと目を吊り上げて言うと、話を変えて続けた。
「そろそろ夕食の準備もできる頃だわ。一緒に食べましょう」
「う、うん」
「……何だか今日の殿下は大人しいわね。これはこれで可愛いけれど」
控えめに頷くアイラを見て、カトリーヌは不思議そうに言ったのだった。
カトリーヌと夕食を取り、風呂に入って就寝の準備を整えたアイラは、ドレッサーの前でルルに髪をとかしてもらいながら言う。
「なぁ、ルル。部屋に鍵はちゃんとかけたか? 血を飲みに夜中にカトリーヌが入ってくるかもしれないぞ」
顔を青くしているアイラに、ルルは軽く笑って返す。
「かけましたよ。それから一応、魔法もかけてます」
「魔法?」
「伯爵がまだ合鍵を持っている可能性がありますから。ほら、あれです」
ルルが指さした場所には、部屋の壁と扉にまたがるようにして、小さな魔法陣が描いてある紙が貼ってあった。
「そういえばさっき何か書いてたな。何だ、あれ。あんな紙切れでドアが開かなくなるのか?」
「あれはドアが開かなくなる魔法ではなく、ドアが開けられた時に警報のような大きな音が鳴る魔法です。部屋に結界を張って他人が入ってこられないようにする魔法は、魔力の消費も大きく、私には一晩中発動させておくことはできませんから」
ルルは転移魔法が使えるが、特別優れた魔法使いというわけではない。なので、扉を開けられたら音が鳴るくらいの魔法をかけておくのが精いっぱいなのだ。
「音が鳴るだけの魔法かぁ。じゃあカトリーヌは合鍵さえ持ってれば部屋には入れるのか。不安だなぁ。今晩は怖くて眠れないかも」
アイラはそう言ってベッドに入ると、隣にいるルルにくっついた。
しかしやがて睡魔に負け、すやすやと寝息を立てて気持ち良さそうに眠り出したのだった。
翌朝、珍しくアイラの方が先に目を覚ますと、部屋の扉には昨晩と変わらずルルの描いた小さな魔法陣が貼ってあった。
眠っている間に音も鳴らなかったし、カトリーヌが勝手に入ってくることはなかったのだろう。
「だいたい、吸血鬼なんて私が恐れることないじゃないか」
朝になって明るくなったせいか、アイラは恐怖心を捨てて強気になっていた。
「実体のないオバケは怖いけど、吸血鬼は体があるんだから私の魔力で倒せるもんな」
うんうんと一人頷き、着替えを手伝ってもらうためにまだ眠っているルルを起こす。髪にかけていた魔法が切れたのか、金髪に戻っていたルルは、仰向けになって顔だけ横に向けた体勢で寝ている。
白い首筋があらわになっていたので、アイラは何となくそこに唇を寄せて噛んでみた。だけど力を入れて噛む気にはなれない。肌が傷ついて血が溢れたら気持ち悪いからだ。
「血を飲む吸血鬼の気持ちは分からないな」
体を起こして呟いたところで、ルルがぱちりと目を開けた。そしてアイラに覆い被さってきたかと思うと、今度はルルが首筋を噛んでくる。
「痛い!」
ほとんど痛くなかったが、アイラは大げさに叫んだ。
「なんで噛むんだ!」
「そっちが先に噛んだくせに」
ルルはアイラから離れ、金色の髪をかき上げながら言う。寝起きなせいかちょっと不遜な感じで、いつのも丁寧さがない。
「それにちゃんと躾しないとと思って。私とアイラなら私が噛む側なので」
「なんだよ、それ。……まさか……お前も吸血鬼だったのか?」
「違います」
ぴしゃりと言うと、ルルはいつもの調子に戻り、ベッドから降りて「早く支度をしますよ」とアイラを促した。
朝の支度を終えると、いつものように朝食を取るため食堂へ向かう。カトリーヌと一緒に食べるため、食堂と言っても屋敷の豪華な部屋の一室だ。
髪は、魔法が解けてアイラも銀髪に戻っていたので、ルルが再び茶色に変えてくれた。アイラは髪の色は何でもよかったが、ルルは少し名残惜しそうに、廊下を歩きながらアイラの髪を触っている。ルルはアイラの綺麗な銀色の髪が好きなようだ。
一階へ下りて食堂へ向かう途中、廊下の窓から外を見ると、洗濯物の入った籠を抱えて歩いているティアを見つけた。これから洗濯をするのか、それとも洗濯は終わって干しに行くところなのだろう。
「ティア」
アイラは窓を叩いて声をかけた。そしてティアがこちらに気づくと窓を開ける。
「おはよう」
「おはようございます、ライアさん! ルルさん!」
ティアは笑顔で言った。朝から元気だ。
「仕事は順調か?」
「はい! 伯爵様も仕事仲間たちも良い人ばかりで、ここで働けて幸せです」
「それは良かった」
アイラは頷いてから、ティアが髪を結んでいるリボンにふと目を留め、尋ねた。
「お前もそんな髪飾りを持っていたんだな。似合ってるぞ」
「あ、ありがとうございます。実はこれ、トーイが昨日プレゼントしてくれたんです」
ティアの弟のトーイは、ティアより先に仕事を見つけて働いているという話だった。きっと貰った給料から姉に贈り物をしたのだろう。
ティアは少し寂しそうに、けれど安心したように言う。
「あの子はもう私がいなくても大丈夫だと思います。昨日ちらっと様子を見に行ったんですけど、力仕事もこなして、生き生きと働いていました。奴隷でなくなって、仕事も見つかり、自分に自信を持てているようです」
そしてこう続けた。
「トーイを見てたら、私も自分のための人生を生きなくちゃと思いました」
「自分のための人生?」
「そうです。例えば……恋もしたいです。せっかく奴隷ではなくなったんだから、自由に自分のしたいことをしたいんです。急に奴隷という立場ではなくなった時はどうしていいのか分からなくて困りましたが、今は仕事が見つかって余裕ができたからか、未来に希望を持てているんです。全部ライアさんのおかげです」
ティアはそう感謝を述べてから、仕事に戻っていったのだった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、アイラはルルに言う。
「ティアも結婚を考えていい年頃だし、恋をするのは良いことだな。あいつは良い妻、良い母になりそうだ」
希望に満ちたティアの未来を想像すると、アイラも何だか嬉しくなった。
朝食を食べ終えると、この日もアイラは身投げ事件の遺族の元へ向かった。街の外れの古びた家にいたのは、高齢の夫婦だ。彼らも一人娘を身投げ事件でなくしたらしい。
「娘は、私たちが年を取ってからできた子供でね」
父親である老人は、事件の調査をしに来たアイラとルルを家に入れると、二人に椅子を勧めながら話し出す。
「ずっと子供を望んでいたけどなかなか授からず、やっと諦めがついた頃に、娘は私たちの元へやって来てくれた。私はその時はもう五十歳近くになっていたが、妻と一緒に泣いて喜んだよ」
「授かったら授かったで、無事に生まれてきてくれるかって本当に心配してね」
妻の方も思い出話をするように言う。二人は七十歳前後だろうが、髪はすっかり白くなってしまっている。娘を亡くした心労のせいでそうなったのかもしれない。
「だけど娘は元気に生まれてきてくれて、親孝行な優しい子に育ってくれたのよ。私たちにはもったいない、本当に良い子だった。仕事を始めると、『お父さんとお母さんを楽させてあげたいから、頑張って働くんだ』って……。高齢の私たちの体を気遣ってくれて……」
そこで母親である女性は静かに泣き出した。父親の方も、ぎゅっと拳を握って辛そうな顔をしている。やはり家族を亡くした傷は簡単には癒えないようで、今もまだ傷からは見えない血が流れているように感じた。
「辛いな」
アイラは彼らに何と声をかけていいか分からずに、ただそれだけ返した。
その後、事件についての話も聞いたのだが、特に新しい情報は得られなかった。この家の娘は事件前に新しい恋人ができたということはなかったらしいが、元から恥ずかしがり屋で恋をしても親に多くは話したがらないタイプだったらしいので、実は密かに恋人ができていてもおかしくないと言う。
「あんたは伯爵様の知り合いらしいが、そんな人が事件に関心を持って調べようとしてくれるのは有難いことだ」
父親の老人はそう言ってから続ける。
「他には何か聞きたいことはあるかい?」
「いや、今日のところは特に」
アイラが答えると、老人は腰をさすりながら立ち上がった。
「それならまた何かあればいつでも来てくれ。私たちはこれから畑をしないといけないのでね」
「畑? ああ、裏にあるやつか」
家の窓から裏手にある小さな畑が見えた。しかし小さいと言っても老夫婦が耕すとなると骨の折れる広さだ。
「自分たちが食べるものと人に売る分が少し採れたらいいんだが、歳を取って段々と畑仕事も億劫になってきたよ」
老人は笑って言うが、実際大変だろうなとアイラは思った。そしてふと思いついて言う。
「私が手伝ってやろうか?」
「そりゃ手伝ってくれるなら有り難いが……いいのかい?」
「構わない。時間はあるからな」
後ろでルルが驚いている気配がしたが、アイラは快く手伝いを申し出たのだった。
そうして畑に出ると、クワなどの道具を貸してもらい、老夫婦と一緒に作業する。ルルは嫌そうな顔をしているけれど、アイラは楽しげだ。
「今日はニンジンを植えるつもりだからね。畝を作って種を蒔くんだが、その前に一度土を耕さないと」
「耕すってどうやるんだ?」
「土を掘り返すんだよ、こうやってね。でもこの前、肥料を蒔いてあらかた耕したから、今日は軽くでいいよ」
「こうか?」
「もっと深くクワをいれるんだ」
「結構大変だな」
土は柔らかいが、今まで働いたことがないアイラにとっては重労働だった。履いているブーツもどんどん汚れていく。
「あなた、全く土を触ったことないでしょう? 動きがぎこちないわ」
老夫婦の妻はアイラを見ておかしそうに笑っている。畑を耕すアイラの挙動が面白かったらしい。
妻の言葉を聞いて、夫も笑う。アイラの動きはよっぽど変なようだが、クワを持つのも土を掘り返すのも何もかもが初めてなので仕方がない。
「ルルは私よりは上手いな」
アイラは隣で作業しているルルをちらりと見て言った。
ルルは肩をすくめて返す。
「まぁ、親に売られて奴隷になる前は家で畑を手伝っていましたから。十年以上前のことですけど、体は覚えているものですね」
四人でやれば畑を耕す作業も手早く終わった。すでにアイラは疲れてしまったが、まだこれから畝を作って種を蒔き、水やりをしないといけない。
夫婦に畝の作り方を教えてもらうと、アイラは一人で集中して作業を進めていく。夫婦もアイラから離れてそれぞれ畝立てを行う。
と、ルルは一生懸命作業しているアイラにこう話しかけた。
「アイラは探偵ごっこをしてるのが楽しいだけだと思っていました。でも、まさか畑まで手伝うとは……。体を動かすのなんて好きじゃないでしょう?」
そう問われると、アイラは少し間を置いて答える。
「贖罪したい気持ちなんだ」
「贖罪?」
「娘を亡くして悲しんでいる夫婦の姿を見て、少し感じるものがあってな」
ぎこちない手つきでクワを動かしながらアイラは続ける。
「私の両親や兄は、特に罪のない人間にも言いがかりをつけて殺していた。十や二十じゃ収まらない数の人間を。そしてその一人一人にも親や兄弟、子がいたはずだ。彼らもこの家の夫婦のように、自分の家族が死んだと知った時には嘆き悲しんだだろう」
ルルは手を止めて話を聞いた。老夫婦は離れたところにいるので、アイラの声は聞こえていないだろう。
「私は両親や兄が生きていた頃、彼らに逆らうことはしなかった。あの三人は私よりも力があって、逆らってはいけない存在だと思い込んでいたからだ。そう教えられてきた。でも、今になって後悔してる。どうして私は親や兄に逆らわなかったんだって。彼らは魔力を持っていなくて、私の方が強かったのに。私が早く三人を止めていれば、犠牲者は少なく済んだのに」
アイラは土を見ながら話し続ける。
「私はここの老夫婦には何もしてないけど、彼らが悲しむ姿を見ていたら、両親や兄が悲しませた人間たちに何もできていない罪の意識が出てきて、何となく畑を手伝いたくなった」
そこで一旦手を止めると、アイラは「いたた」と腰を伸ばしてからこう言ったのだった。
「サチには感謝してる。あいつが父たちを殺してくれなかったら、私は今も王城で、罪のない人間が殺されていくのをただ見ていただけだっただろう。父や兄には逆らえないし、それは仕方のないことだと思ってたから」
結局一日中畑仕事を手伝ったアイラとルルは、老夫婦に感謝されて帰路についた。
「良いことをしたから気分がいいな」
疲れてはいたが、アイラの足取りは軽かった。たった一日仕事を手伝ったくらいでは大きな助けにはならないだろうし、それどころか畑作業に慣れていないアイラは足を引っ張ってしまったかもしれない。だが、そんなアイラの世話を焼く老夫婦が「まるで新しい子供ができたみたいだわ」と笑っていたから、一時的にでも悲しい気持ちを忘れられたなら良かったなと思う。
「ですが、アイラはひどい有様ですね……」
ルルは、全身土で汚れているアイラを見て言う。
「ブーツが汚れるのは分かりますが、どうして顔や上半身まで泥だらけなんです?」
「一度転んだからかな」
クワが置いてあるのに気づかず、足を引っかけてしまったのだ。
「それだけじゃないでしょう? 土で汚れた手であちこち触るからですよ。どこか触る時は、まず手についた土を払ってからにしないと」
「そうか」
幼児でも自然にやっているようなことをルルに教えられながら、アイラは街の中を進んだ。もう日が暮れかけているが、ポルティカの街はまだまだ賑やかだ。
とその時、アイラは人混みの中にファザドがいるのに気づいた。ファザドは若い女性と親しげに話しながら歩いている。
「ティアのことが気になるって言ってたのに、やっぱりあいつは軽い奴だな」
離れていたのでアイラのその声は聞こえていないだろうが、ファザドもアイラとルルに気づくと女性をその場で待たせてこちらにやって来る。
「やぁ、奇遇ですね。人が多くてもキミは目につくからすぐ気づきました」
ファザドはそこでアイラの頬に土がついているのに気づいて、親指で優しく撫で取った。
そしてにっこり笑って言う。
「汚れてますよ。しかしキミは本当にカワイイ顔してますし、やっぱり男にしておくのがもったいないですね」
「すぐそこに女を待たせながらよく言うな」
アイラは呆れて言う。
「これから食事にでも行くのか?」
「ええ。停泊してるボクの船で食べようと思って。彼女がボクの船を見たいと言うので」
そう言うと、ファザドは「では!」と明るく手を振って女性のもとに戻っていった。
「カトリーヌもすごいけど、ファザドもなかなかだな」
アイラは逆に感心しながら呟く。あっちもこっちも口説きながら悪びれる様子もないのが、ある意味すごい。
するとルルは眉間にしわを寄せてアイラの頬をごしごしと手でこすり始めた。
「汚れならさっきファザドが取ってくれただろ」
「土は取れましたが、彼が触ったせいで違う汚れがついた気がするので」
「すごい失礼なことを言うな、お前」
だがルルがあまりに不機嫌な顔をしているので、アイラはされるがまま頬を拭かれたのだった。
そしてカトリーヌの屋敷に着くと、全身土だらけのアイラに驚いた使用人から風呂を勧められた。
そこで風呂に向かう途中、廊下でカトリーヌと出くわす。カトリーヌも最初は汚れたアイラの姿にびっくりしていたが、畑を手伝ったのだと説明すると今度はうっとりとした顔をする。
「畑を手伝う優しい殿下も好きよ。以前はお城で着飾った姿ばかり見ていたけど、こういう姿も見られて嬉しいわ。どんな殿下も愛おしい。それに殿下は庶民の格好をして土で汚れていても、気高さはなくならないわね」
カトリーヌはそう言ってアイラの頬に手を添えようとしてきたが、アイラの後ろにいたルルがスッと手を伸ばして阻止したのだった。
邪魔されたカトリーヌはムッとルルを睨んだが、ルルは知らん顔をしている。
「まぁいいわ」
カールした長い髪をばさりと払うと、カトリーヌは気を取り直してアイラに言う。
「ところで殿下、話しておかないといけないことがあるの」
カトリーヌの声は急に真面目になった。
「もうすぐサチがここに来るわ」




