異国の王子(2)
「おい。ティア」
アイラはルルを後ろに引き連れ、尊大な態度でティアに話しかけた。
「あ! ライアさん! それにライアさんのお兄さんも」
アイラたちに気づいたティアは安心したような表情になる。
ファザドもこちらへ顔を向けると、彼は少し驚いた様子だった。カトリーヌの屋敷で見かけた相手と、こんな街中で偶然出会ったことにびっくりしたのだろう。
アイラは腕を組んでティアに言う。
「お前、自分が騙されかけてたことにも気づいてないだろ。知らない相手を簡単に信用しちゃいけないんだぞ」
「え? さっきの人たちのことですか? てっきり親切な人たちだと思ったんですけど……すみません」
アイラに叱られたティアはおどおどしながら謝る。
「まぁいいよ。そっちの奴が助けてくれたし」
アイラはそこでファザドの方を見た。ファザドは男だが、やはり異国の人間特有の色気があり、王子らしい上品さもうかがえた。
ティアは慌ててファザドに礼を言う。
「あ、ありがとうございました」
「ダイジョブですよ。気をつけて」
ファザドの言葉の発音には訛りがあったが、それが彼を少し可愛らしく見せていた。見た目からして成人で、容姿に可愛い要素はないのだが、喋ると愛嬌がある。
ファザドはティアとアイラを順番に見て質問する。
「二人は知り合いですか? キミはポルティカ伯爵の屋敷で見かけた子ですよね?」
「そうだ」
アイラは二つの質問にまとめて答えた。するとファザドは、少年のような無邪気な笑顔で言う。
「やっぱり! こんな可愛い子初めて見たから、一度見たら忘れないですよ」
そして自然にアイラの手を取った。
「歳はいくつ? 名前は何ていうんです? 伯爵とはどういう関係ですか?」
にこにこ笑いながらアイラの手をぎゅっと握る。異国の人間だからか、初対面だというのに遠慮がなく、距離が近い。
アイラはその距離の近さにも何も思わなかったが、ルルは据わった目をしてファザドに言う。
「この子はライア。十六歳。そして私はライアの兄です。私たちは伯爵の遠い親戚で、今はポルティカに遊びに来ているついでに屋敷に泊まらせてもらっているんです。そしてライアは男の子ですよ」
ルルはそう言いながらアイラの手をファザドから取り返した。ルルの首の後ろには奴隷の刺青が入っているが、髪で隠れているので強風でも吹かない限り見えないだろう。
ファザドはぱちぱちとまばたきして言う。
「男の子? 確かに男の子の格好をしていますけど……。おかしいな、ボクの勘はこの子は女の子だって感じてたんだけど……男の子か」
ファザドは残念そうに呟き、こう続けた。
「でも伯爵の親戚なのに、服は地味ですね」
「街で異国の人攫いにでも狙われたら大変ですからね。あまり目立たないようにしているんです」
ルルはアイラの後ろに立って、警戒するようにファザドを軽く睨みつけた。
しかしファザドはルルの態度を気にしていない様子で、陽気に返す。
「確かにキミたち兄弟は美形で目立ちますから、服装くらいは地味にしておいた方がいいですね。ボクが人攫いでも目をつけると思いますよ」
ファザドは冗談を言いながら「ハハハ」と笑った。
一方、隣で話を聞いていたティアは、ルルに向かってこう尋ねる。
「お二人って、ここのご領主様の遠い親戚だったんですね。どおりで気品のある方たちだと思っていました。そんな方たちがお供も連れずに旅をしていたのですか?」
「伯爵の親戚とはいえ、うちの家は落ちぶれて、身分は一般庶民とほとんど変わらないですから」
「そうなんですね。ご両親も亡くなっているとおっしゃっていましたし、大変ですね……」
嘘をごまかすための嘘をつき、設定がさらに複雑になってしまったなとルルは思った。アイラは今や、両親を早くに亡くし、ポルティカ伯爵の遠い親戚でありながら家は落ちぶれ、でも自分のことを王子だと思い込んでいる可哀想な子になっている。
だが、良くも悪くも純粋で騙しやすいティアは嘘に気づくことはないだろう。
ファザドの方もカトリーヌに口裏を合わせてもらえば問題はない、とルルが考えているうちに、アイラがファザドに話しかけた。
「お前、異国の王子なんだって? 確かマーディルとかいう国の」
「そうですよ。でも十三番目の王子ですから、特に価値のない存在です」
ファザドは笑いながら言った。自分に対して辛辣な言い方だが、言葉の不自由な異国の人間だし、本当はもう少し柔らかい言い方をしたかったのかもしれない。
そしてやはり異国の人間だからか、アイラの偉そうな喋り方にも特に引っかかってはいないようだった。
「価値はないってことはないと思うけど。まぁいいや。私、お腹が空いてるんだ。お前たち昼食は食べたか? おごってやるから一緒に食べよう」
ファザドのことよりも自分の空腹が気になったらしく、アイラはそう言った。
「またおごるんですか……。しかも王子にも」
こちらは逃亡生活中、あちらは異国の王子で貿易の仕事もしているんだからおごる必要はないのでは、とルルは思ったが、今はカトリーヌから貰ったお小遣いもあるしいいかと諦めたのだった。
その後、四人で適当な店に入って昼食を取った。身分も立場も違う四人だが、ファザドが友好的な性格だということもあり、空気は和やかだった。ファザドはティアが元奴隷だと分かっても、同じテーブルで食事をすることを嫌がらず、彼女に優しく接していた。
と言うか、ファザドはティアをちょっと気に入ったようだった。さっき二人組の男からティアを助けたのも、もしかしたらティアが若くて綺麗な女性だったからなのかもしれない。
男だと聞くまではアイラにもアプローチしようとしていたし、割と軽い男のようだ。
カトリーヌも『ファザドは一途なタイプではない』と言っていたし、もしかしたらカトリーヌと同じく恋人が何人もいる可能性がある。
そして食事を終えると、みんなで店を出る。ファザドは結局、アイラの見ていないうちに全員の食事代を払ってくれた。ルルに「キミの弟、ちょっと変わってますね。振る舞いだけは、まるで貴族か大金持ちみたいで面白いですけど」と笑って言いながら。
「それじゃあ私はこれで……。お食事、ありがとうございました」
店を出たところでティアがぺこりと頭を下げる。
アイラは帽子を被りながら聞いた。
「何か用事があるのか?」
「いえ、あの、まだ仕事が見つかってないので探しに行かないとと思って。今日中に見つけないとまた野宿することになりますし」
「なんだ、まだ仕事が見つかってなかったのか。ポルティカみたいに大きな街で野宿するのは危ないぞ。変な人間もたくさんいるんだから」
「そうですよね。昨晩も港で休んでいたら、酔っぱらいの男の人に追いかけられて怖くて……。でも住むところを提供してくれる仕事は少なくて、探すのが大変なんです」
元気のない様子のティアに、アイラはこう尋ねる。
「そういえばお前の弟はどこにいるんだ?」
「トーイはもう仕事を見つけました。港で船の積み荷を運んだり、倉庫の貨物を管理したりする仕事みたいです。簡素ですが宿舎もあるのでいいなと思ったんですが、力仕事なので女は雇わないと私は断られてしまって。だから港での仕事は諦めて、街で何か仕事を探そうと思っています」
午前中も職探しをしていたようだが、見つからなかったようだ。
しかしポルティカは栄えているから店も多く仕事もたくさんあるだろうし、ティアもそのうち泊まり込みでできる仕事を見つけるだろう。
だが、それまで夜は野宿というのはやっぱり危険だと思ったので、アイラはこう提案した。
「だったらカトリーヌに仕事を紹介してもらおう。ティアもカトリーヌの屋敷に来ればいい」
「カトリーヌって、ここのご領主である伯爵様のお名前ですよね?」
ティアはそう確認した後、急いで首を横に振った。
「いえいえ! そんな、私みたいな元奴隷が伯爵様にお願いすることなんてできませんよ」
「遠慮するな。元奴隷は関係ない。それにこの土地を治める伯爵だからこそお願いするんだろ。働きたい者に仕事を用意するのも為政者の務めだって、本に書いてあった」
賢王サンダーパトロスの言葉を思い出しながら言うアイラ。
するとティアは、遠慮しながらもこう返す。
「ライアさんは本当に何て言うか……すごい子ですね。私とは全く考え方が違うみたいです。あの、じゃあ、もう少し自分で仕事を探してみて、それでも見つからなかったらライアさんや伯爵様を頼ります」
「それじゃあしばらく野宿になるかもしれないだろ。今日の夕方までは自分で仕事を探せばいいけど、日が落ちても仕事が見つからなかったら野宿せずにカトリーヌの屋敷に来るんだぞ。門番には、お前のことを中に入れるよう言っておくから」
「ありがとうございます。ライアさんには何てお礼を言っていいか……」
「礼なんていらない。自分より弱い奴からは何も貰うつもりはない」
アイラの言い方は傲慢ではあるが、アイラの中では困っている者に手を差し伸べるのは当たり前のことなのだ。これまでは両親や兄の目があって自由に人を助けることも難しかったが、今は元奴隷に手を差し伸べてもそれをとがめる者はいない。
「ありがとうございました」
ティアは午後いっぱい仕事を探すため、アイラに礼を言いながら雑踏の中に消えて行った。
そしてファザドも用事があるらしく、アイラとルルにこう言ってから手を振って去っていく。
「ライア君って変わった子だと思ったけど、結構まともなんですね。少し驚きました。それじゃあボクも用事があるのでこれで。また伯爵の屋敷で会えるといいですね」
二人がいなくなると、アイラはルルの方を振り返って言う。
「私たちはこの後どうする?」
「私は特にしたいことも欲しい物もないですが、アイラはどうですか?」
「それじゃあ海に行きたい。せっかくポルティカまで来たんだから」
「そういえばそうですね。だったら港の方に行きましょう」
アイラもルルも海を見るのは初めてだったので、少しわくわくしながら人混みを進んだ。
港の方に向かうにつれて人はだんだん少なくなっていき、歩きやすくなる。潮の香りもさらに強くなり、海鳥の鳴き声も聞こえてきた。
やがて海岸が整備された港に着くと、そこには碧く輝く美しい海が広がっていた。ポルティカの海は太陽の白い光を反射させていて、宝石を溶かしたかのようにキラキラ輝いていたのだ。
「わぁ、すごいな」
アイラは息をのみ、子供のように瞳をきらめかせる。
大きな船もたくさん停泊していて迫力があり、それはアイラが今まで見たことのない景色だった。
「綺麗ですね。それにとても広い」
ルルも海の広大さに驚いて、手で日差しを遮りながら遠くを見つめる。
しかし、確かに遠くの海は綺麗だが、港の岸壁から海をのぞき込むと、下にはゴミがたくさん溜まっていた。生ゴミも捨てられているのか、不快な匂いもする。
「なんだ、これ。美しい海だと思ったのに、岸に近いこの辺りは汚いな」
「せっかくの海がもったいないですね。誰がゴミを捨てているんでしょうか? 量からして、一人や二人の仕業ではなさそうですが……」
残念に思いながら二人がそんなことを話していると、それが聞こえたのか、近くにいた漁師らしき格好をした年寄りが声を掛けてきた。
「美しい海に若い娘が魅了されないようにと言って、奴らはゴミを捨てているんだ」




