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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
第三章 黒が忌諱される理由

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第99話 信じる優しさと、沈黙する優しさ

 食堂に灯が入り、夕食の匂いが満ち始めても。

 アンリエッタさんの姿はなかった。

 空になった彼女の席が、僕の心をどうしようもなくざわつかせる。


「……探しに行ってきます」

 僕がそう呟くと、隣でミゲルさんがすっと立ち上がった。

「私の責任でもあります。私もご一緒に」

「待ってミゲル君、君はここにいて」


 彼の申し出を、マリーさんのどこまでも静かな一言が制した。

 彼女は大きな緑の瞳で、僕のことだけを真っ直ぐに見つめている。


「一人で行かせてあげて。お願い」

「マリアンヌ殿……わかりました」


 その言葉の意味。

 それがわからないほど、僕は馬鹿じゃない。

 僕は二人に一度だけ深く頷くと、一人、夜のグリザイユの街へと駆け出した。


 駆けても、駆けても、あの女性(ひと)は見つからない。

 土地勘が絶望的に無いせいもあるだろう。

 息が上がり、ほんの少しの休憩を求めて広場の椅子へ向かった時。夕暮れの茜色と夜の藍色が混じり合う公園の片隅で、僕は彼女を見つけた。


 それは本当に、幻想的な絵画のようだった。

 大きな噴水の縁に腰を下ろすアンリエッタさん。

 その肩や膝、差し出した手のひらの上にまで、沢山の小鳥たちが彼女を慕うかのように集っている。

 森の小さな命たちだけが、懸命に彼女を受け入れている。

 そんな、美しくもどうしようもなく寂しい情景に、僕の胸が強く締め付けられた。痛いほどに。


 僕は彼女の聖域を壊さないようにと、そっと一歩、また一歩と近づいていく。

 けれど、突如現れた無粋な客のせいで、小鳥たちが一斉に夜の空へと羽ばたいてしまった。


「……アンリエッタさん」

「フェリクスさん」


 僕は彼女の横に、ただ立ち尽くす。

 言いたいことは山ほどあるはずなのに、言葉が出てこない。

 彼女と話すためなら、いくらでも回ったはずの口は、肝心な時にてんで役立たずだった。

 それでも、せめて。

 僕がこの手で傷つけてしまったことだけでも、謝らなければ。

 そうだろう?

 

「……ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕が、あまりにも子供で……アンリエッタさんを、いっぱい傷つけた」

 僕の魂からの謝罪が、どうか彼女の心に、少しでも届きますように。

 その願いも虚しく、彼女は静かに首を横に振るだけ。

 美しかったその顔は、今や泣き出しそうに、痛々しく歪んでいる。


「……いいえ。悪いのは私の方なのです」

 か細く、震えるような声が僕の耳に痛い。

「貴方が、あんなにも知りたいと願ってくれたのに。それを語れない私が、悪いのです」


 彼女を包む、あまりにも痛々しい雰囲気の理由。

 それが僕には、どうしても分からなかった。


「……名前の話なんて、するべきじゃありませんでしたね」

 彼女が、そう、後悔の言葉を口にする。

 その裏にある、彼女が一人で抱え込む、深い、深い、闇の正体を。

 僕はまだ、何も知らなかった。


「もしかして、僕のことが……嫌いに、なりましたか?」

 口にするのも恐ろしい、心臓が凍りつくような言葉。


 けれど知りたかった。

 なぜ、最後の最後でいつも僕を拒否するのか。その理由を知りたくて、僕はまた、踏み越えてはいけない一線を、自ら踏み越えてしまっていた。


「……いいえ」

 その答えに、心の底から安堵する僕がいる。

 でも、肝心の答えは遠ざかるばかりで……。


「じゃあ、僕のことをどう思っているのですか。聞かせてくれませんか、アンリエッタさん。僕の気持ちは、あの頃から今も変わっていません」


「……ごめんなさい」

「違う。そうじゃない。謝って欲しいんじゃない。……お願いだから、せめて。好きか、嫌いか。ただそれだけでいいんです」

 まただ。僕の、あまりにも子供じみた懇願が止まらない。

 いつもこれで、彼女を苦しませるのに。


 その問いにアンリエッタさんは一度、ぎゅっと唇を噛み締め、絞り出すように囁いた。

「……好き、です」


「じゃあ、なんで……っ!」

 

 僕の悲痛な叫び。

 渇望と悲鳴のじみた声が、夜の静寂(しじま)へと吸い込まれていく。

 

 それを彼女は、どこまでも悲しい瞳で受け止めるだけだった。

 僕はもう、何も言えなかった。

 その沈黙こそが、答えそのものであるかのように重くのしかかってくる。

 やがて、僕の口からぽつりと、諦めにも似た言葉がこぼれた。

「……何かが、僕には、足りないんですね」


「違います」

 彼女はそれを、きっぱりと否定した。


「全ては私が悪いのです」

 そこにはもう、何の言い訳も弁明もない。

 変えることのできない運命そのものを突きつけられたかのような、絶対的な拒絶の響きだけが、僕たちの間に横たわるのみ。

 

「こんな私でもよければ、貴方の側にいたい。……だめですか?」

「だめな訳がない。だって、僕はいつだって、それを望んできたのだから」

  

「……僕は、アンリエッタさんの本当の名前が知りたかっただけなんだ」

 僕は続ける。これが僕の本当の想いだから。

「でもそれは、貴女が話したいと思う時まで待ちます。貴女が僕を、その資格がある人間だと認めてくれる日まで、いつまでも」

「貴方には、貴方に向いた……いえ、いいです」

「アンリエッタさん、続けてよ」

 

 それきり、彼女からの返事はなかった。


 僕は、何を間違えて、何が足りないというのだろう。

 いいさ、分からなければ、分かるまで探し続けてみようじゃないか。

 僕の前世と今世。

 二世代かけて、やっと見つけた女性(ひと)なのだから。

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