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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
二章 取り戻すために

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第64話 初めての野営

 オーガとの戦いを制した僕たちは、再び森の奥深くへと歩みを進めていた。

 幾重にも重なる木々の隙間から、夕焼けの赤い光が差し込み始め、間もなくこの森が漆黒に染まる時を知らせている。


「……そろそろ陽が沈むわね。この辺りで野営の準備を始めた方が良さそうよ」

 マリーさんが、辺りを見回しながら足を止め、そう提案した。


「それなんですけど……この森での野営は、本当に大丈夫なんでしょうか」

 僕は、自身の懸念を正直に打ち明ける。

「僕が以前、この森で死にかけたあの夜……『ルイン(灯火)』を使った途端、おびただしい数の魔物に襲われる羽目になりました。あれが、もしこの森の常だとしたら……焚火すら、使えないことになります」


 僕の深刻な言葉にも拘わらず、マリーさんとミゲルさんは意外そうな顔で顔を見合わせている。

「……ご主君を否定したいわけでは、ないのですが」

 先に口を開いたのは、ミゲルさんだった。

「私がまだ騎士団にいた頃、この魔の大森林でも何度か野営を経験したことがあります。ですが、灯りを使ったことで魔物の大群が押し寄せてくるなどということは、ただの一度もなかった、かと」

「私もよ。ギルドで働く前は冒険者をしていたのは知ってるでしょ? そんな悪夢のような夜が常態化しているなら、熟練の冒険者だって、誰もこの森で夜を越せやしないわ」


 二人の経験に、僕は「確かに、そう、ですよね……」と頷くしかない。

 では、あの夜の出来事は、一体何だったというのだろう。


「もしかすると……」

 ミゲルさんが、何かを思い出したように、険しい顔で続けた。

「ご主君、黒いオーガが関係しているのかもしれません。私があの戦いで大怪我を負った時もそうでした。周囲の魔物たちが、明らかに様子がおかしく、半狂乱となっていたのですから……」

「恐怖なのか、何かは分からないけれど、その黒いオーガの存在そのものに、他の魔物たちを狂わせる何かがあるのかもしれないわね」

 マリーさんの言葉に、僕はベルガーさんの報告を思い出す。

 逃げ惑う民衆と同じように、半狂乱となった魔物が門へ雪崩込んだと、彼も確かに言っていたから。

「つまり、黒オーガさえいなければ、通常の野営は可能、ということですかね」

 僕の問いに、マリーさんが力強く頷く。

「ええ。もしキミの経験したようなことが常なら、それこそ、どんな熟練の冒険者だってこの森の深部を目指すなんて不可能よ。そうでしょ?」

「……そう、ですよね」

「今回は前回と違って、血塗れということもないしね」

 

 そうか……。初めて死の恐怖を感じたあの漆黒の闇夜、あの夜のせいで少し臆病になっていたのかもしれないな。

 野営を恐れる冒険者なんて、話にならない。

 それに、あの時とは決定的に違うことがある。

 ──今の僕は、一人じゃない。


 話がまとまったところで、マリーさんが、パンッ、と軽快に手を叩いた。その表情は、先ほどまでの思案を巡らせていたものではなく、もういつもの頼れる優しいお姉さんのものに戻っている。

「じゃあ、決まりね! 早速、野営の準備を始めましょうか。フェリクス君は私と天幕を張るのを手伝ってくれる? ミゲル君はその間に火を起こして、薪の確保をお願いね」

「はい、わかりました」

「承知しました」

 

 僕とミゲルさんが頷くのを確認すると、マリーさんはにっこりと微笑んだ。

 そしてそのまま慣れた手つきで僕の革袋から、蝋引きされた布と二本の木の柱、それに何本かの縄紐を取り出した。

「こうやって、まず布の四隅を固定して、と……。フェリクス君、そっちの柱を持ってくれる?」

 彼女は、布の片方の端に柱を立てて僕に支えさせると、もう片方の端にも柱を立て、それぞれの柱から伸びる縄紐を、テンションをかけながら地面の杭へと巧みに結びつけていく。


 なるほど、こういう仕組みなのか……。

 異世界に来てから、なんだかんだで万能選手気取りでいたけれど、こういう、生きることに直結した実践的な知識は、僕には全くと言っていいほどなかった。

 前世の僕は、勉強漬け且つ灰色の日々で……。

 火の起こし方だって、文献で読んだ知識があるだけ。実践はしたこともない。

 だからか、彼女のこの手際の良さが、今は眩しく見える。さすがは、元一流の冒険者と言うべきだろう。

 

 それは、驚くほど単純な構造でありながら、見る間に、雨風をしのぐ形に変わっていく。そうして出来上がったのは、僕が昔、本で見たことがあるような、ごく簡素な三角テントに近いモノだった。

 ささやかな屋根の下で、僕たちは雨風から身を守るのだ。

 僕は、その現実的な広さをまじまじと見つめて、ふと、素朴な疑問を口にする。

「ん……それにしても、マリーさん。この天幕、思ったより狭くないですか? これで皆、寝るんですよね?」

 僕の純粋な、いや、ほんの僅かに羞恥と好奇を帯びた疑問に、マリーさんが、きょとんとした顔で答える。

「そうよ? 冒険者が使うのに、これ以上大きいと荷物になるだけじゃない。二~三人なら、これくらいが普通よ」

「ふ、普通……ですか……」

(この広さで、マリーさんと……?)

 僕が内心で余計な想像を膨らませかけていると、隣にいたミゲルさんが、なぜか一人で深く納得したように、しかし真顔で口を開いた。


「ああ、ご安心ください。私は、そこの木の幹にでも背を預け、野営の番を務めますので。未来のご主君の奥方様になられるかもしれないお方と、(しとね)を共にするなど、家臣として、あってはならぬことです」

 彼は、どこまでも真剣な眼差しで、そう断言した。


「あ、あんたねえ! そういうことを平気で言うから、変に意識しちゃうんじゃないっ!」

 マリーさんの、顔を真っ赤にした怒声が、静かな森に響き渡った。

 魔物すら、逃げ出しそう。

 当のミゲルさんは、なぜ彼女が怒っているのか、全く理解できないといった顔で、ただ僕たちを見ている。

 これが、彼が仲間に加わってからの……僕たちの新しい日常だった。


 いよいよ夜の帳が下り、僕たちの小さな野営地を照らすのは、パチパチと薪が爆ぜる焚き火の光だけになる。

 舞い上がる火の粉が、時折、夜空を昇っては、闇の中へと消えていく。


 僕たち三人は、その焚き火を囲むようにして、腰を下ろしていた。

 熱したナイフで切り分けた、ずっしりと重いライ麦パン。それに、それぞれが近くの枝を削って作った即席の串にチーズを刺し、焚き火の炎へと無言でかざしている。

 やがて、チーズの表面がぷつぷつと気泡を立て、香ばしい匂いをあたりに漂わせ始めた。


 僕は、とろりと溶けて、今にも串から滴り落ちそうになっているチーズを、急いで自分のパンの上へと運ぶ。

 じゅう、という音と共に、熱々のチーズが、無骨なライ麦パンの表面を覆い尽くしていく。その、あまりにも魅力的な光景に、僕はごくりと喉を鳴らす。

 それから、見た目にも完璧な最初の一枚を、僕は自分の口に運びたい衝動をぐっと堪え、隣に座るマリーさんへと、そっと差し出した。


「どうぞ、マリーさん」

「え、いいの? 私も今、焼いているところなのに」

「ええ。特別上手に乗せられたので。その代わり、マリーさんが今焼いているそのチーズ、僕がもらっても構いませんか?」

「ふふ、もちろんよ」

 戸惑う彼女に、僕は悪戯っぽく笑いかける。

「女性を優先するのは、騎士の嗜みですので」

「ん、もう。口ばっかり達者なんだから……そもそも、キミ騎士じゃないでしょ」

 マリーさんは、呆れたように、けれど本当に嬉しそうに、その熱いパンを受け取った。そして、ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら、小さな口で、おずおずと一口運ぶ。


 もぐもぐと咀嚼を始めた彼女の動きが、ぴたりと止まる。

 その大きな緑の瞳が、驚きと感嘆に見開かれていった。

「……んっ……! おいしい……!」

 まるで、初めて食べた物の味を知った子供のように、彼女は純粋な歓喜の声を上げる。

「なにこれ、すっごく、おいしいわ! パンの酸味と、チーズの塩気と、それに、このとろとろ加減が、もう、最高……っ。やだ、私これ、大好き」

「ふふ、とろとろに溶かしてパンに乗せると、また格別でしょう?」


 彼女の、あまりにも幸せそうな笑顔に、僕と、それまで黙って自分のチーズを焼いていたミゲルさんも、思わず顔を見合わせて、笑みをこぼすのだった。

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