第31話 共闘開始!
ギルド前の喧騒を避けるようにリヨンを飛び出した僕たちは、自然と、魔の大森林へと続く街道を歩き始めていた。
昇り始めたばかりの陽光は元気がなく、空はまだひんやりとしていて、とても静かな朝といえよう。
「乗合馬車を待って、またあの冒険者たちに絡まれるのも、いちいち面倒よね。いっそ、このまま小走りで森へ向かってみない?」
隣を歩くアンさんが少しお茶目な様子で笑い、不意にそんな提案をしてくる。
「えっ、小走りでですか? ここから森まで結構な距離がありますよ?」
「まあね~。でも、秘密兵器があるから大丈夫よ。フェリクス君、ちょっと私の側に来てくれる?」
「こ、こうですか?」
「うん、そんな感じ。もうちょっと近くてもいいくらい。じゃあ、いくわよ、ちょっと待っててね」
「は、はい……」
何が始まるんだろう? 言われるがままに僕は彼女のすぐ隣に立つ。 すると、彼女が纏う石鹸のような、清潔で爽やかな香りがふわりと漂った。
アンさんが僕の隣で目を閉じて、集中するように呪文の詠唱を始める。
魔法を行使する際の彼女の声は、普段の明るく快活な響きとはまた少し違う、どこか古式ゆかしいというか、締まった力強さを帯びているように感じられた。
「──疾き風よ、大いなるヘニムアよ。道を征く我ら子に、ささやかなる一助と成れ【ヴィンドルフィア】」
「こ、これは……!?」
彼女の詠唱が完了した途端、僕たちの周りで明らかに不思議な現象が起こる。
さっきまで顔に感じていたはずの、微かな向かい風が完全に凪ぎ、逆に、背中からはまるで優しい大きな手にそっと押されるかのような、心地よい追い風が、びゅうびゅうと僕たちを後押しするように吹き始めたのだ!
「駆けてみればすぐに分かるわ。ふふ。さあ、競争よ、フェリクス君」
アンさんが、してやったりとばかりに得意げに笑う。言われるままに軽く地面を蹴って走り出すと、確かに体が驚くほど軽い! これは地味に、いや、かなり走りやすいかも。
「めちゃくちゃ、走りやすいです!」
「でしょう?」
長距離を走った経験がある人なら理解できると思うけど、向かい風の中を走るのって体力を消耗するし、思ったように速度も出ないんだよね。
それに比べて、この背中から吹き付けてくる追い風は、本当に楽に進める。
まるで、見えない優しい風が僕の背中をそっと押して、一歩一歩アシストをしてくれているような感覚。
この魔法のおかげで、僕たちはスイスイと軽快に森への道を進んでいった。
森の外縁……鬱蒼とした木々が壁のように連なる入り口に到着すると、念のため、道中の僅かな疲労回復と、そしてこれから始まるであろう戦闘に備えて、僕は自分とアンさんそれぞれに『強化再生魔法』をかけておく。
僕の魔法の淡く温かい光に包まれたアンさんは、
「 何これ、さっきまでの軽い疲れが一気に飛んじゃったわ! 本当にすごいのね、フェリクス君の治癒魔法って……」
と、大きな緑色の瞳をさらに丸くして驚いていたけれど、いざ森の中へと一瞥を向けると、その顔からは先ほどまでの快活な笑みは消え、キリリと引き締まった、頼れる元冒険者としての真剣な表情へと変わっていた。
その切り替えの速さは何とも見事で、ちょっと恰好いい。
「まずはフェリクス君の思うように、探索してみていいわよ。私は後ろからついて、周囲の警戒とサポートに徹するから。何かあったら合図してちょうだい」
そう言ってくれたので、僕は先頭に立って魔の大森林の探索を開始する。前回ゴブリンを殲滅した範囲とは、少し離れた別のエリアを探しているから、獲物となる魔物が枯渇しているということはないはず。
──いた! ゴブリンだ!
探索を開始してから、そう経たないうちに、僕は前方の茂みの奥に微かな獣臭、そして複数の気配……ゴブリンの集落らしきものを発見した。よし、今日は幸先がいいぞ。
奴らに気づかれないように、僕は後続のアンさんへ向けて、音を立てずに手で合図──騎士団で使われている簡単なハンドサインのようなものを送り、敵の発見と位置を知らせる。
気配を殺しながら、アンさんが僕の隣まで滑るようにやってきて、二人で茂みの中から集落の様子を注意深く窺いながら、小声で作戦を練り始めた。
「……いるわね。まあまあの規模の集落かしら。ざっと見て……三、四十は下らないんじゃない?」
「ええ、僕もそう思います」
「あ、あれを見て、フェリクス君。ほら、あそこにいる他のゴブリンとは少し違う、みすぼらしいローブを着て、杖を持った奴がいるでしょ? あれがゴブリンシャーマンなの。初心者泣かせな奴よ」
アンさんが小声で指差す方向を見ると、確かに集落の奥、他のゴブリンたちを見下ろすような位置に、明らかに違う雰囲気の個体が数匹いる。
「ゴブリンシャーマン? ゴブリンの上級職みたいなものですか?」
「ええ、そうよ。直接的な戦闘力は大したことないんだけどね、シャーマンは攻撃魔法を使ってくることがあるから、集団戦では特に注意が必要ね。先に潰しておくに越したことはないわ」
「わかりました」
「じゃあ、作戦だけど……フェリクス君には悪いけれど、わざと目立つように正面から突入してもらえる? 奴らがキミに気を取られている隙に、私が弓でシャーマンを狙い撃つわ。奴らさえいなくなれば、あとは烏合の衆よ。その後は二人で連携して残りを仕留めていきましょう」
「了解です、任せてください。でも、アンさんこそ無理はしないでくださいね?」
「あら? やっぱり心配してくれるの? ふふ、色々教えてサポートしに来たはずなのに、何だか逆みたい」
「はは……」「ふふふ……」
敵に悟られないよう小声で囁き合うせいか、必然的に、お互いの顔の距離がすごく近くなる。息がかかるほどの距離……。
こ、これは、勘違いしちゃう人も、いるんだろうな……。
「じゃあ、行きますね」
「ええ、気を付けて」
ゴブリン程度、如何に数が多かろうとも、今の僕の敵ではないはず。
これは決して慢心ではない。アンリエッタさんや父さんと来る日も来る日も積み重ねてきた、確かな経験と実力に裏打ちされた自信なんだ。
僕は、父さんの形見である刀を、音が出ないように鞘から静かに抜き放つ。独特な紋様をもつ青銀のような刃が、木漏れ日を反射して妖しく光る。
アンさんは弓を構えると、矢筒から矢を一本抜き取り、矢筈を弦に素早くかける。
弓を引き絞る彼女の横顔は真剣そのものだった。
「ゴブリン共ッ! 覚悟しろ!」
僕は大きく息を吸い込むと、今回は陽動役として、あえて隠れることなく堂々と茂みから歩いてゴブリンたちの集落に突入していく。
僕の姿を認めると、集落にいたゴブリン共は一瞬、何事かと驚いたように動きを止め、そして次の瞬間「ギャアアア!」「グギィィ!」と一斉に騒ぎ立てる。
手に手に持った粗末な武器……木の棍棒や錆びついた剣、石斧などを振りかざし、憎悪に満ちた濁った目で僕を睨みつけ、醜悪な顔を向け一斉にかかってきた。
地面を踏みしめる多数の足音が土埃を上げ、耳障りな奇声が森に響き渡る。
迫り来るゴブリンたちの群れ。
剥き出しの牙、振り下ろされる汚れた刃。向けられる純然たる殺意。その全てを冷静に見極めながら、僕は敢えて反撃には転じなかった。
そうだ。アンリエッタさんとの稽古を思い出せ、彼女のあの動きを。
僕は、懸想する女性の動きをトレースするかのように、まるで流れる水のように、奴らの攻撃を最小限の体捌きでひらりひらりと躱し続ける。ゴブリンの棍棒が空気を唸らせて僕の頭上を通り過ぎ、錆びた剣がすぐ脇を掠める。
あまりの物量に躱しきれないとなれば、刀でいなしては攻撃を凌ぐ。
僕の狙いはただ一つ。
できるだけ多くのゴブリンの敵意と注意を、この僕自身へと引き付け続けること。
よし、後方のシャーマンたちは群がる味方が邪魔で魔法が使えない。
僕の狙い通りだ。
シャーマンたちが焦れたように杖を振り上げ、射線を通しやすい開けた場所へとせかせかと移動を始めた、まさにその時!
後方の茂みの奥からアンさんが、弓を強く引き絞ったのが気配で分かった。そうして放たれた矢は、ヒュンッ! ヒュヒュンッ! と、三条の鋭い風切り音を残して、寸分の狂いもなくシャーマンたちの頭蓋や胸元を射抜く。
奴らは断末魔の悲鳴すら上げる間もなく、まるで操り人形の糸が切れたかのように、その場にどさりと崩れ落ちた。 見事な腕じゃないか、アンさん!
シャーマンという頼もしい味方を失い、明らかに動揺し始めたゴブリンの群れ。
統率を失い、動きは明らかに散漫となり、互いに顔を見合わせるような仕草を見せるゴブリンも出始める。
──悪いが、ここからは僕の独壇場だ、覚悟してもらおう。
僕は、それまでの回避主体の動きから一転! 全身の筋肉を爆発させ、地面を強く蹴り、一気にトップスピードへと加速する。
そして、烏合の衆と化した残るゴブリンの集団の中へ、まるで旋風のように身を躍り入れると、父の形見である刀を縦横無尽に振るい、次々と奴らの命を刈り取っていく。
右から迫るゴブリンの棍棒を潜り抜けざま胴を切払い、左から襲い来る剣を刀でいなし、がら空きになった胴を正確に突き貫いた。
回転しながら周囲の敵をまとめて薙ぎ払う。僕の剣が閃くたびに、ゴブリン共の汚れた血飛沫が熱気のまま舞い上がり、甲高い断末魔の悲鳴が森に木霊する。
回転切りの際に、高く舞い上がったあの女性のスカートを思い出し、一瞬速度が落ちたのはご愛敬。我未だ未熟也よ。
視界の端では、アンさんが木陰や岩陰を遮蔽物として巧みに利用し、僕から離れた位置で様子を窺うゴブリンや、混乱して背中を見せ逃げようとする敵を、次々と正確無比な矢で射抜き強力に援護してくれていた。
既に、ヒュンッ、ヒュンッと風を切る彼女の矢の音は、僕にとっては何よりも頼もしい味方の音色となっている。
その矢の命中精度は本当に驚くほどに高くて、まるで熟練の狩人のよう。
改めて思う。何で、こんな弓の腕を持っているのに、彼女は冒険者を辞めてしまったのだろう。いつか聞いてみたい……。




