第30話 現世と異世界、共通の嘘(笑)
「ねえ、フェリクス君。今日はこれで終わりだから、この後、軽くエール一杯だけ付き合ってくれない?」
話が終わり僕がほっと一息ついたタイミングで、正面にいたアンさんから思いも寄らぬお誘いを受ける。
予想だにしていなかった展開。
「エールって、お酒、ですか?」
「そうよ。明日の打ち合わせも兼ねて、ね?」
ニコッと、片目を瞑るアンさんがいる。
確かに……、明日は彼女が僕の依頼に同行してくれることになったから、打ち合わせが必要なのは分かる。
だけど、まさかね。お酒に誘われるなんて。
「本当はね、一杯と言わず、何杯でも朝まで語り明かしたいところなんだけどね。残念ながら、明日の依頼に備えてお互い準備もあるだろうし、私も早く休みたいから……だから、本当にすぐ終わるわよ? すぐ!」
念を押すように「すぐ!」と繰り返すアンさん。
心に決めた女性がいるこの僕がだよ。他の、しかもこんなに若くて綺麗な女性と、二人きりで飲むのってどうなんだろう?
それに、アンさんって、たぶん……独身だよね?
冒険者ギルドのホールという、あまりにも人目につきすぎる場所で、衆人環視のなかを堂々と飲むのだから、やましいことは何もない。だから、いいのかな?
そもそもアンさんの場合は、僕の複雑な事情も話しちゃったわけだし、なおさら問題ないのかもしれない。
うおおお……誰か教えてぇ! 経験豊富な人生の先輩方ッ!
もうこの際だ、チーム青の皆でもいいっ
前世では、色恋沙汰とは完全に無縁な、ザ・灰色生活を送ってきたから。こういう時の男女間の機微というか、適切な距離感みたいなもの? が、さっぱり分からないんだよおおお。
それに、彼女がやけに『一杯』を強調するのも、前世で散々見てきた酒好きおじ達の常套句に通じるところがあって、ちょっとだけ不安だったりもする。
「お~へ~ん~じ~は?」
僕が一人でうんうん唸り悩んでいると、アンさんがぐっと覗き込んできて、少し意地悪そうな、楽しそうな声で催促してきた。おっと、いけない。悪い癖で長考しすぎてしまったようだね。
「あ、はい。是非! では一杯だけお付き合いします」
結局のところ、彼女の明るい笑顔と、有無を言わせぬ勢いに押される形で、僕はこくりと頷いていたのさ。
年上のお姉さんの、こういうちょっと強引な押しには弱い気がする、今日この頃。
「ふふ、決まりね! じゃあ、ホールで適当な席に座って待っててくれる? 私もカウンターを片付けたら、すぐ行くわ」
「わかりました。では、席を取っておきますね」
既にギルドとしての受付業務は終了しており、昼間の喧騒が嘘のように落ち着いたホールは、依頼を終えた冒険者たちがエールを酌み交わし、その日の成果や武勇伝(あるいは愚痴)を語り合う、賑やかな憩いの場へと姿を変えていた。
……そして、いま。その喧騒の片隅で。
昼間とはまた違う、少しくだけた雰囲気。
爽やかな笑顔と、あの……目のやり場に困るほど豊かな胸。ギルドナンバーワンの人気受付嬢様が、僕のテーブルの対面にどっかりと腰を下ろしていたのです。
そして、運ばれてきたばかりのエールを、実に威勢よく呷っているじゃありませんか。
これぞまさしく、『駆けつけ一杯』というやつですね、分かりますとも。
いくら片隅とはいえ、こんな場所で、アンさんとまだ年若い僕が二人きりでサシで飲んでいたら、どうなるか。
……答えは、火を見るより明らかです!
周囲のテーブルから好奇と嫉妬と、なんなら若干の殺意すら入り混じったような、熱くて痛い視線が、四方八方からビシバシと突き刺さりまくって痛いくらい!
周囲からの物言わぬ圧力が、本当にすごかった。
「おい、あれどういう事だよ。なんでアンさんが、あんなガキと飲んでんだよ!」
(どういうことか、僕も聞きたいです、はい……)
「何者なんだ、あいつは? アンさんの弟か何かか?」
(まあ、ある意味、弟みたいなものかもしれませんね。すいません……)
「知らねーよ。昨日今日ギルドに来たばかりの新人だろ?」
(どうしてこんな状況になったのか、僕も知りたいです)
「俺だって、アンさんと飲みてえよぉぉぉぉ」
(僕も別に、望んで飲んでるわけじゃ……まあ、悪い気はしないけど)
「アンさ〜ん(泣)」
(僕も泣きたーい)
そんな一部の熱狂的ファン? と思わしき冒険者たちの、熱く、そして若干湿っぽい(涙で?)視線の悉くを、アンさんは持ち前のスルー能力で華麗に受け流し、そしらぬ顔でエールの大ジョッキを、実に豪快に飲み干していく。
ゴクッ、ゴクゴクゴクッ──
「ぷっはーっ! やーん、やっぱり仕事上がりのエールは最高〜♡」
その満足げな表情と飲みっぷり。
仕事上がりのビール(この世界ではエールか)が最高に美味しいのは、前世の経験から痛いほどよく分かる。分かりますとも! でもさ。
「すみませーん! おかわりくださーい!」
アンさん。「一杯だけ」宣言は一体どこへ!?
アナタ、それもう三杯目ですけど!
このまま唯々諾々と、オヤジ化していくアンさんを眺めていても埒が明かない。
半ば呆れるように、こちらから話を振ることにする。
「アンさん、今日は本当にありがとうございました。助かりました」
「気にしないで。それより、明日から頑張っていきましょうね」
ようやく少し喉が落ち着いたのか、アンさんの方から本題である明日の狩りについての話題を投じてくれた。
「それでね、フェリクス君。以前、剣術と魔法が使えるとは聞いたけど、具体的にはどんな魔法が使えるの? 一応、明日からの連携のためにも、お互いの得意なこと、苦手なことは知っておきたいんだけど」
「そうですね。──剣術以外で僕が得意なのは、治癒魔法と火の魔法ですね。えと、土系統や風系統、雷なんかも一応使えはしますけど、得意ではありません」
これは本当のこと。
治癒魔法に関しては、前世で培った医師としての知識が功を奏して、圧倒的な効果と精密さを発揮できる自信がある。
火の魔法も、燃焼の原理や温度といった科学的な知識がある分、イメージの解像度が高く、他の人よりも少ない魔力で、より高威力の魔法を生み出せるアドバンテージがあると思う。今のところ、かなり強力な攻撃手段になっているはず。
でも、それ以外の土とか、風に雷といった系統の魔法は、それを魔法の威力や効果に直接結びつけるような、具体的なイメージが思いつかないでいた。
土魔法で強固な壁を作るって、どうすれば?
あるいは風魔法で鋭い刃を? どうやって?
効果を増強させるために必要な『理』が思い描けないから、これらの魔法に関しては、僕の実力も、この世界の魔法使いたちとあまり変わらないレベルだと思う。
「へぇ、治癒と火が得意なのね。それは頼もしいわ。私は弓が得意なの。だから後方からの援護射撃は任せてちょうだい。あと、魔法は風に土が使えるわね。色々サポートできると思うわ」
なるほど。僕が前衛で剣と火魔法で戦い、彼女が後ろから援護という形が良さそう。なかなかバランスの取れた組み合わせかもしれない。
僕たちは、お互いの得手不得手や明日の集合時間、大まかな行動計画など。必要な情報を何点か話し合ってから別れた。
結局、彼女はエールを六杯は空けたんじゃないかな? 酒好きたちの言う『ちょっと一杯』は、どうやらこの異世界でも嘘みたい。
その、ある意味で万国共通な残念っぷりが何ともおかしくて、僕は一人で笑みをこぼしてしまう。そのまま笑いながら、僕は駆け足でギルドの階段を上がり、二階にある自室へと戻るのだった。
◇ ◇ ◇
「きたわね、 おはようフェリクス君」
約束の時間より少し早くギルドの前へ赴くと、アンさんが溌剌とした笑顔で僕を待っていてくれた。昨夜あれだけ飲んでいたのに二日酔いの気配は微塵もない。さすが元冒険者、と言うべきか。
いや、それは冒険者に失礼かも。
ここは、さすが酒飲み、に改めるべき?
「おはようございますアンさん。すみません、お待たせしましたか?」
「ううん、今来たとこだから大丈夫よ」
挨拶を交わしていると案の定、どこからともなく数人の冒険者たちが現れては、アンさんを取り囲むようにして話しかけてくる。
「アンさんおはよう! 今日も一段と綺麗だな!」
こういうのを臆面もなく言えるのは、ある意味すごいよ。
僕も見習いたいところ……いや、待てよ? 下手すると、ただの軽薄な奴だと思われる可能性もありそうか。うーん、難しいところだね。
「アンさん、なんでこいつとパーティー組むんだよ⁉ 俺たちと組もうぜ、なぁ」
まだ朝も早いというのに、彼女の周りには既に数人の男たちが群がっていた。
今日も朝から大人気である。
まあ、これは仕方ないか。これだけ愛嬌があって、仕事もできて、誰にでも分け隔てなく。おまけに美人だもん。人気が出ない方がおかしい。
僕には、もちろんアンリエッタさんがいるから、彼女に対して特別な恋愛感情を抱くことはないけれど。それでも、もし、アンリエッタさんという絶対的な存在がいなかったとしたら、僕もコロっといってたかもしれない、なんて。
それくらい彼女は人間として、そして女性として魅力的な人だと思う。
たった数日の付き合いだけど、身に染みてわかった。
「おはようございます、皆さん。彼はまだギルドに登録したばかりの新人さんなので、色々と教えてあげたいことがあるんです。それに、今日は私、お休みの日ですから。また今度お願いしますね~」
アンさんは、そういう誘いには慣れた様子で、やんわりと、しかしきっぱりと彼らの誘いを断り、申し訳なさそうに頭を下げる。
……それにしても、休みの日だというのに、わざわざギルドの前まで来てしまったばかりに、朝からこんな対応に追われるなんて。
これじゃあ、本当に大変だ。プライベートも何もあったもんじゃない。
さすが異世界、超ブラックだ。
「なっ、色々教える、だと!?」
「ずるいぞ! 俺たちにも色々教えてくれよ、アンさん!」
「この、どこから来たかも分からん、くそガキに……?」
彼女の言葉尻を捉えて、男たちの色めき立つ声。
というか、最後のは完全に僕への悪態じゃん。
どうやら彼らは「色々教えてあげる」という言葉に、何か別の、邪な意味合いを感じ取ってしまったようだね。やれやれ。
ふう、妄想も、大概にしておいたほうが身のためだと思うよ。
彼らも僕にだけは言われたくないか。
くっ、誰も否定しないのかよ! くそぅ。
「はぁ……もう、皆さんまだ朝ですよ? いい加減にしてください。フェリクス君行きましょう」
アンさんは心底呆れたように、やれやれといった感じで溜息をつくと、僕の手を素早く掴み、有無を言わさずそのまま足早に駆け出した。
「え? ちょ、アンさん」
僕らは、後ろから聞こえてくる小うるさい冒険者たちの怨嗟の声を背に、ギルド前を逃げるように走り去る。緩やかな坂道をそのままの勢いで駆け抜け、リヨンの街の外壁を超えた辺り、ようやく足を止めて小休止した。
「はぁ、はぁ、ごめんね、フェリクス君。朝から見苦しいところを見せちゃって。野次馬がうるさくて。でもここまで離れれば、もう大丈夫だと思うわ」
少し息を切らせながら、アンさんが申し訳なさそうに言うのが何だか気の毒になってきた。
「いえ、大丈夫ですから気にしないでください。それよりアンさんの方こそ、朝から大変でしたね」
……それにしても、アンさんって、本当に人気があるんですね、と、つい口から出そうになったけれど、それはぐっと飲み込んでおいた。
きっと、あれはあれで彼女なりに大変なのだろうし、本人はそんな状況を望んでいないことなのかもしれない。
余計な詮索はしないでおこう。今は、目の前の依頼に集中すべき時だ。




