↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
第一章 転生で初めて人の温もりを知る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/100

第17話 慟哭

 代わり映えしないようでいて、確かに満ち足りた日々。

 良き父と母に恵まれ、何より追い、求め、焦がれる女性(ひと)が側にいる。それが僕にとっての、他のどんな宝物にも代えがたい、かけがえのない幸せだった。

 降り続く雨が窓を濡らす薄暗い日も、強い風が唸りを上げ木々を揺らす日も、そして、世界が音もなく真っ白な雪に覆われる日も、一日、また一日と、季節は巡り、穏やかに時は過ぎていった。


 厳しい冬を乗り越え、無事に新しい年を迎えることができた。

 そろそろ畑に麦の作付けが始まる、そんな長閑(のどか)な春先のことだった。珍しくも我が家に、全く予期せぬ来客が訪れたのは。


 ドンドン! ドン! まるで城砦の分厚い門でも打ち破らんとするような、けたたましい扉を叩く音が、静かだった館全体に轟き渡った。

「は、はいっ! どなたですか!?」

 一体何事かと、僕は驚いて椅子から立ち上がり、慌てて玄関の重い扉を開ける。そこに立っていたのは、見上げるほどにがっしりとした体躯に、見慣れた顔。

 ──父さんの古くからの同僚であり、僕が初めての試合稽古で顔を合わせて以来、何かと目をかけ、可愛がってくれるベルガーさんだった。


 なるほど、この丸太のような腕で激しく叩けば、そりゃあ、あんな破壊的な音にもなるわけだ。と、瞬間的に想像してしまい、僕は思わずクスリと笑いそうになる。

 ……そんな考えはすぐに霧散することとなる。

 目の前に立つ彼の様子は、明らかにいつもと違っていたのだから。

 普段の快活な笑顔は欠片もなく、ただひたすらに険しい。


「坊主……いや、もうお前を坊主と呼ぶのは失礼だな、フェリクス」

 常とは違う、低く、押し殺したような声。

 その嫌な雰囲気に、僕の胸に言いようのない冷たい不安がじわりと、しかし急速に広がっていくのを感じた。

 

「いえ、そんな……。ベルガーさん、どうかなさったんですか?」

「……フェリクス、お袋さんはいらっしゃるか?」

 僕の問いには答えず、低い声で、ただそう尋ねた。

 

「はい、母さんなら部屋にいますが、呼んできましょうか?」

「ああ、頼む。少し、大事な話がある」

 我が家を訪れたことなど、ただの一度もないベルガーさんが、こんな時期に、しかも母さんを名指しで訪ねてくるなんて。いったい、どういうことなんだ?

 まるで冷たい水でも浴びせられたかのように、背筋に悪寒が走る。

 

「アンリエッタさん、どう思う?」

 ただならぬ雰囲気の彼にお茶を出すと、僕は重い足取りで厨房へと向かい、アンリエッタさんに小声で尋ねた。

「わかりません。ですが、あのようなお顔は初めて拝見しました。ただ事ではないような気がいたします」

 彼女もまた、美しい顔に不安の色を濃く浮かべ、細い眉を寄せている。

「僕もそう思う。何か、すごく嫌な予感がするんだ……」

 そんな不穏な言葉を交わしながら、僕たちは母さんの部屋へと向かう。狭い我が家のことだ、あっという間に部屋の前に着いてしまった。

 

 扉を叩き母さんに来客を告げて、早く階下に降りてくるように伝えると、僕たちは先に居間へと戻ってベルガーさんの相手をすることにした。

 いつもなら冗談の一つも飛ばしてくるはずの彼が、今日に限って押し黙ったまま、ただ窓の外を厳しい顔で見つめている。場を持たせる無駄話の一つもなく、鉛を飲み込んだかのような重苦しい沈黙が、部屋全体を支配している。

 その雰囲気に気圧され、かけるべき言葉を見つけられず。

 ただ俯くことしかできない二人。


「……フェリクスは、たしか十五だったか?」

 どれほどの時間が経っただろうか。不意に、ベルガーさんが重々しく口を開いた。

「いえ、十六になりました」

「そうか……」

 彼はそれだけを口に出すと、また黙り込んでしまう。

 

 ……僕の年齢が、何か関係あるのだろうか?

 まさか、徴兵の話? でも、それなら、ここまでの重苦しさはおかしいし、その話を父さんではなく、彼から聞くというのも殊更(ことさら)変な話だ。

 

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

 階段を降りる微かな衣擦れの音と共に、母さんが居間へとやってきた。

「奥方。急な訪問、どうか許されよ」

 彼は椅子から立ち上がると、恭(うやうや)しく頭を下げると、

「ベルガー様、お久しぶりでございます。こんな遠いところまで、ようこそおいでくださいました」

 母さんもコンスタンツェ家当主の妻として努めて平静を装い、優雅に挨拶を返す。

 

「ふぅぅ……」

 挨拶の途中でベルガーさんが深く、そして重い溜息を吐いた。

 貴族の礼儀作法から考えても、ありえないその無作法な行動が、僕たちの胸に渦巻く不安をさらに増大させる。

「……奥方。突然お訪ねして、このような話をしなければならないのは、このベルガー、断腸の思いで……本当に、心苦しいのだが……」

 彼は、苦渋に満ちた表情で、一言一言、言葉を喉の奥から絞り出すように続けた。

「我が、無二の友、アドリアンが……アドリアン・コンスタンツェが、先日の任務で……亡くなったのだ」

 

 その言葉が、まるで巨大な鉄槌のように僕の耳を殴りつけた瞬間、世界から完全に一切の音が消え去ってしまう。

 窓の外で囀っていたはずの鳥の声も、厨房でコトコトと何かが煮られていた音も、何もかもが聞こえなくなったような、絶対的な静寂、無。それが、この居間を支配してしまった。

 誰も、話せない。

 誰も、動けない。

 心臓が、まるで氷塊のように凍り付いて、脈打つことすら忘れてしまったかのように。


 ……あの、父さんが?

 僕が、初めての試合稽古で、年上の騎士見習いに勝った時、まるで自分のことのように顔をくしゃくしゃにして、子供みたいに大声で喜んでくれた、あの父さんが?

 ……死んだ?


 何を言ってるんだ、この人は……。

 そんな訳があるはずがないだろう。何かの間違いだ。

 悪い冗談だ。たちの悪い嘘に決まっている。

 父さんはなあ。領主様に仕える、強くて誇り高い騎士なんだぞ? 城館に勤めているんだ。危険な戦場ならともかく、どうやったら死ぬっていうんだよ。冗談はやめてくれ。


 ──ゴトッ。


 張り詰めた静寂を無慈悲に打ち破る、何かが、テーブルの上に置かれた。

「あ……ああっ、あなた……!」

 それを合図としたかのように、それまで呆然としていた母さんが、わっと声を上げて泣き崩れた。肩をプルプルと小刻みに震わせながら、嗚咽を漏らしている。

「……すまんっ、奥方、本当に……すまんなぁ……っ」

 あの厳つい顔の、いつもは豪快に笑っているベルガーさんまでもが、声を震わせ、男泣きに泣いていた。

「これを持って帰ってくるのが、俺には精一杯だった……。どうか、受け取ってやって欲しい」


 そう言ってテーブルの上に置かれたのは、父さんが騎士として叙任されて以来、片時もその身から離さず、常にその腰に佩(は)いていた使い込まれた長剣だった。

 先ほど置かれた、歴戦の傷が刻まれた鈍い光を放つ鉄製のガントレット(手甲)の隣にそっと並べられる。

 

 その剣を見た瞬間、僕の中に僅かに残っていた微かな希望も、願う奇跡も、ガラス細工のように砕け散ってしまう。

 父さんは、もう、二度と帰ってくることはないのだ、と……。

 だって騎士が、己の誇りであり、魂ともいえる剣を、自らの意思で手放すことなど、絶対にありえないのだから。


 ひっく、ひっくと、泣き崩れる母さんの痛ましい嗚咽が、僕の耳に突き刺さる。隣を見ればアンリエッタさんも、声もなく、大粒の涙がその白い頬をとめどなく伝う。厨房の入り口ではオデットさんが床に泣き崩れていた。

 父さんに、一体何があったのか。それを聞かなければならないのは、残された唯一の男である、僕の役目だ。そうだよね?  父さん。

 僕は、あなたの、たった一人の自慢の息子だから……。

 

『フェリクス、荷物はお前が持つんだぞ? 男だからな』

『フェリクス! さすが俺の自慢の息子だ!』

 走馬灯のように、父さんとの他愛ない、けれど温かい記憶の数々が、次々と脳裏に浮かんでは消えていく。それに合わせて自然と目頭が熱くなり、僕の頬にも止めどなく涙が伝い始めた。


「……父さんに、何があったんですか」

 震える声を、奥歯を噛み締めてなんとか絞り出す。

「……俺たちの務めは、領民を守ることだが、時には恐ろしい魔物と戦わねばならないこともある。それは、フェリクスも知っているな?」

 ベルガーさんが涙を腕で乱暴に拭いながら、重々しく語り始めた。

「はい、知っています」

 この世界が、剣と魔法の世界であることを。

 

 危険な魔物が跋扈(ばっこ)する世界であることは、もちろん知っていた。父さんが、このコンスタンツェ騎士爵領を長年に渡って守ってきてくれたおかげなのかは分からないが、幸いにも僕はこの領内で、ただの一度も魔物と遭遇したことすらなかったけれど。


「先日、少し離れた集落から、魔物の大群に襲われていると、緊急の救援要請があってな。アドリアンも俺も、騎士団の主力として、従騎士や腕利きの衛兵たちと共に、一団を組んで救援に向かうことになった」

 彼は、苦々しい表情で当時の状況を語る。

 

「──最初は、順調だったんだ。現れたのはオークやゴブリンといった、ありふれた魔物が主で、数こそ多かったが鍛えられた俺たちの敵ではなかった。このまま押し返せば、任務もすぐに終わるだろう、と。誰もが、そう信じていた矢先に、あいつが……魔の大森林の奥から、あいつが現れたんだ」

 そこまで言うと、ベルガーさんはギリリ、と歯が砕けてしまいそうなほど奥歯を強く噛み締め、抑えきれない憤怒(ふんぬ)にその巨体をわなわなと震わせた。

 

「あいつとは、なんです!」

「全身が、まるで夜の闇そのものを固めたかのような、漆黒の巨大なオーガ(鬼)だ。俺も長年騎士をやっているが、あんな禍々しい色の魔物は初めて見た。おそらく突然変異種か、あるいはもっと邪悪な、何かの影響を受けた個体だったのかもしれん」

「そいつに……父さんは?」

 僕の声が震える。

 

「その黒オーガは、馬鹿みたいに強くてな。奴が一歩、大森林からその集落に踏み入れた途端、そこはもう阿鼻叫喚の地獄絵図へ早変わりだ。奴が、その巨大な戦斧を振るうたびに、村の男達は言うに及ばず、武装した衛兵や、鍛え上げられた従騎士までもが、まるでボロクズのように吹き飛ばされ、命を落としていく……。あまりにも強すぎた……。悔しいが、俺たちは撤退するしかなかったんだ」

 ドン! とベルガーさんは怒りと無念さにテーブルを強く叩きつけ、その顔に深い口惜しさと、どうしようもない無力感を浮かべている。

 

「アドリアンは……本当に良い奴でな。最後まで、騎士としての誇りを捨てなかった。負傷者が運び込まれていた村で一番大きな建物……そこを守るために、たった一人で黒オーガの前に立ちはだかって、最後まで、勇敢に戦ったんだ」


「……っ、あんたは! あんたはその時、何をしていたんだよ!」

 父さんの壮絶な最期を聞き、僕の中で何かがプツリと切れた。

 言いたいことは分かる。撤退が最善だったのかもしれない。でも、他の騎士や従騎士たちは、その時、何をしていたんだ? なぜ父さん一人に、そんな危険な役目を押し付ける! 理不尽な怒りが頭にカッと血を上らせ、僕は気づけば彼の胸倉に掴みかかっていた。


「ぼっちゃま!」

 アンリエッタさんの悲鳴のような制止の声が聞こえる。だが、ベルガーさんは、掴みかかってきた僕の手を力ずくで払いのけるでもなく、ただ静かに、深い悲痛を湛(たた)えた表情で言葉を続けた。

「俺は、泣き叫びながら逃げ惑う村人たちを、一人でも多く安全に逃がすために、村の門で、後から、後からと押し寄せてくる他の魔物の群れを、必死で食い止めていたんだ」

「……ッ!」


「黒オーガの出現に恐慌をきたしたのだろう、近隣にいた他の魔物どもも、半狂乱になって村へとなだれ込んできていたからな。……おそらく、人も魔物も、ただひたすらに、あの黒オーガという絶対的な恐怖から必死で逃げるのに夢中で、たまたま逃げる方向が同じだったのだろうさ」

「父、さん……」


「泣き叫ぶ村人たちが雪崩れ込む村の門に、狂った魔物の群れを通すわけにも、いかんだろうが!」

 ベルガーさんの、魂から絞り出すような声。

 その言葉の重みに、僕は掴んでいた手をだらりと力なく離すしかなかった。……悔しいけれど、その通りだったからだ。もし、父さんがベルガーさんと同じ立場だったとしても、きっと同じ選択をしただろう。騎士として、守るべき民のために。


 ああ、そうさ、頭では理解できる。理解はできるけれど、この胸を締め付ける痛み、怒り、悲しみは、納得なんて到底できるはずがない。だって、亡くなったのは、他の誰でもない。僕の、たった一人の、大切な父親なんだから。


 それからどれくらいの時間が経ったのか、もう分からなかった。

 ベルガーさんは全てを伝え終わると、力なく立ち上がり、引きずるような重い足取りで僕たちの家を去って行った。

 嵐が過ぎ去った後のような居間にはただ、三人の女性の嗚咽だけが響いている。あの優しくて、大きくて、少し不器用で、でも誰よりも僕のことを誇りに思い、その成長を心から喜んでくれていた父さんは、もう、どこにもいない。


 前世では、僕は三十数年という決して短くはない時を生きた。そして、この世界に来てからも、思い返せばもう、かなりの年月を過ごしてきたつもりだった。けれど、僕は本当の意味で、「誰かの人生を背負う」経験をしたことがなかったのだ。


 今にして思えば、ただ一人で好きなように生きて、勝手に人生というものを、その複雑さや重さを分かった気になっていただけなんだ。

 

 一家の大黒柱が、心の拠り所となる精神的な支柱が、ある日突然ぽっかりと失われてしまうということが、残された者たちに一体どのような現実をもたらし、どのような結末を辿ることになるのか。僕は、その本当の重さを、この瞬間でさえ、まだ、まるでわかっていなかったのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。