第14話 初の対人戦闘へ向けて
待ちに待った、楽しみで仕方がなかった朝が、ついに訪れた。
正直にいっちゃう。昨夜は興奮と期待でなかなか寝付けなかったよ。こんな経験、一体いつ以来だろう?
思い返してみても……前世の僕は、ただひたすらに勉強に明け暮れるばかりで、心を許せるような友人もいなければ、当然、誰かを好きになることなんてあるはずもなく。そんな奴を好きになってくれる人なんて、なあ……。
考えるまでもないな。まったく。
まあ、要するに、そんな灰色一色だった前世において、何かを心待ちにして眠れない夜なんてあっただろうか? いくら記憶を探っても、とんと思い出せない。
一言でぶった切れば「ない」で片付いてしまう、辛く悲しいお話さ。
過去を語るに、たった二文字で済むだなんて、悲しすぎる。
じゃあ、どうして僕が、そこまで楽しみにしていたかというとだね。それはもちろん、リヨンの町へ行く日だからで、何よりママンがいないからさ!
アンリエッタさんと二人きりで、お出かけできる貴重な機会だから。
高鳴る胸の鼓動、この、溢れ出る喜びよ。ふははは。いざリヨンへ!
リヨンへは不定期ながらも、城館に詰めている父さんから溜まった洗濯物を受け取り、代わりに清潔な着替えや日用品を届ける。という騎士爵家ゆえの用事がある。
その帰り道に、塩や貴重なスパイスなどの調味料や、自分たちでは作ることができない布や糸。その他、近隣の村では手に入らないような品々を調達して帰る日でもあるのだ。
なんだかんだ言って結構な手間と時間がかかるからこそ、母さんは今回、留守番を選んだんだろうけど。ママン、ナイス判断です。大好き。
馬車に揺られ一路リヨンを目指す。ゴトゴト、ガタガタと、不規則な振動が座席を通じて体に直接響いてきて、正直ちょっと辛い。
「アンリエッタさん、リヨン楽しみだね」
僕は隣に座る彼女に抑えきれない期待感を込めて、少し弾んだ声で話しかけてみたんだ。けれど……。
「……ええ、そうですね」
返ってきたのは、いつもより明らかに温度が低く、感情の抑揚が感じられない声だった。まるで、美しい能面でも被っているかのように、表情も硬い。
「馬車酔いは、大丈夫ですか?」
「うん、少し気持ち悪いけど、大丈夫だよ」
「……そうですか」
それきり会話は途切れてしまう。
彼女は窓の外に視線を向けたまま、こちらを見ようともしない。大好きなあの深い蒼色の瞳を、こうして間近で見られないのは、想像以上に心が痛む。
さっきまでストップ高のように跳ね上がっていた僕の喜び値は、今やブラックマンデーさながらの『僕的大暴落』で、底値更新真っただ中だった。
……彼女は、あの『カボチャパンツ事件』以来、どうも僕に対して少し冷たい。というか、明らかによそよそしい態度を取ってる。原因は十中八九、僕があの時、彼女の……その、ダサい、いや尊いドロワースを「恥ずかしがる意味がわからない。たかがカボチャパンツ」などと、この上なくデリカシーのない表現で馬鹿にしてしまったせい。
完全に自業自得とはいえ、この重苦しくて気まずい空気は、正直、かなり僕の心に堪える……。はぁぁ。癒しが無い。
そんな微妙すぎる空気も我関せずと、馬車は黙々と進み、ようやくリヨンの町へ到着した。城門をくぐり、活気あふれる石畳の道を城館へと向かう。目指すのは、町の中心に聳える領主様の城館へと続く、一番広くて立派な道だ。緩やかな坂道を、他の人々や荷馬車に紛れて登っていくと、やがて数人の屈強そうな衛兵が立つ、比較的小さな門が見えてきた。
ここから先は、許可なく立ち入ることはできない。
僕は少し背筋を伸ばし、門番の衛兵に父の名を告げた。
「アドリアン・コンスタンツェの家族の者です。父に頼まれて、必要な物を届けに参りました」
「おお、フェリクスか! 元気そうだな。アドリアン様なら中にいらっしゃるはずだ。すぐに呼んでくるから、そこで、いつもの嬢ちゃんと待っててくれな」
衛兵のおっちゃんは、僕たち二人の顔を覚えていてくれたようで、愛想よく応じてくれた。
アンリエッタさんのことは「いつもの嬢ちゃん」呼び。
彼女は人目を避けるように、町ではフードを深く被っている。そのおかげか、あるいは衛兵さんが気を遣ってくれているのか、ハーフエルフや髪の色に触れられることはない。
父さんが長年勤めている城館なだけあってか、はたまた辺境ゆえか。ここの人々は良くも悪くも顔馴染みが多く、彼女のことをあからさまに悪く言う人はいないんだ。それは本当にありがたいことだと思う。
その代わり、この町で悪いことなんて絶対にできそうにない。
何かやらかしたら、すぐに「コンスタンツェ家の坊主か!」と身元が即、バレてしまいそう。悪さをするつもりなんて、これっぽっちもないから別にいいけど。
僕たちは往来の邪魔にならないよう道の端へと寄り、アンリエッタさんと(今は少し距離を感じるけれど)当たり障りのない言葉を交わしながら、父さんが来るのを待った。
「おーい、フェリクス! アンリエッタも、待たせたな!」
門の中から聞き慣れた父さんの声が聞こえてくる。少し疲れたような顔をしているけれど、声には張りがあって元気そう。ほっと胸を撫で下ろす。
「ご主人様、いつもご苦労様でございます」
アンリエッタさんの、流れるような美しい所作で頭を下げる様子が、本当に様になっていて恰好良い。
花顔柳腰、八面玲瓏、温厚篤実、稀に『ポンコツ』
これら彼女を表す四字熟語に、新たにもう一つ『優美高妙』が加わった瞬間だ。
ん、なになに? 一つ間違ってるだろって?
何いってるんだよ、あれこそが最も「いい味」出してるじゃないか。
「父さん、お疲れ様」
「おお、二人とも。わざわざこんな遠い所まで、いつもすまんなあ」
父さんは少し申し訳なさそうに、無精髭の伸びた頬をポリポリと掻いた。
「ご主人様、こちらが新しいお召し物と、奥様からお預かりした日用品になります」
アンリエッタさんが、手際よく包みを差し出す。
「ありがとう助かった。これが溜まっていた洗濯物で、そちらは館に持ち帰ってほしい書類だ。フェリクス、男なんだから荷物はお前が持つんだぞ?」
意外に思うかもしれないが、僕がいるこの世界では、騎士道精神のようなものはあっても、現代でいうところの「レディーファースト」的な考え方は、まだほとんど根付いていない。
誰もが自分の生活で精一杯で、必死に生きている世の中だからだろう。
父さんの言葉も、単に女性に荷物を持たせるな。というよりは、「男たるもの、弱い者を守り、力仕事は率先して引き受けるべし」という、騎士としての心構えからの教えなのだと思う。
だからかな、アンリエッタさんの手伝いで水汲みをしている姿を見ても、結局父さんは何も言わなかった。母さんには頭が上がらないけれど、懐の広い、実に大きな父さんなんだ。
「わかってるけど父さん、その洗濯物、臭かったりしないよね?」
僕は正直な懸念を口にする。屈強な男の一人暮らし(?)の洗濯物だから、ちょっと心配になるでしょうが。ねえ?
「ん? 服か? うーん、まあ、少しは臭うかもな。ワハハハ!」
父さんは悪びれもせずに豪快に笑うと、またしても僕の頭をわしゃわしゃと、ぐちゃぐちゃになるまで力いっぱい撫でる。これだけは「本当にやめて」と、何度頼んでも一向にやめてくれない。
髪型は一瞬で崩壊するし、何よりいつまでも子共みたいじゃないか。
「おっと、そうだフェリクス。折角ここまで来たんだ。少しだけ、お前の腕前を皆に見せていかんか?」
父さんが何かを思い出したように、しかしどこか申し訳なさそうな顔で言う。
「腕前を? どういうこと?」
怪訝な顔をする僕に、父さんがこっそり耳打ちしてきた。
「いや、なに、お前が最近メキメキと剣の腕を上げているのが嬉しくてなぁ」
「ふうん……」
親が、優しい目尻をさらに下げて喜んでいるのを見て、嬉しくない子がいるだろうか。いや、いない。たとえそれが、親バカといわれるものであっても。
「それで、つい同僚たちに『うちの息子は、近頃めっぽう強くなった。そこらの見習い騎士なんかでは、もう相手にならんくらいだ!』ってな風に、ちょっと話を盛ってしまってな」
「……それで?」
あれ? 何だか、急に嫌な予感がしてきたぞ。
「そしたら、言うにことかいてあいつら『どうせ親の贔屓目だろう』『嘘つけ!』ってバカにしやがる。ほんの少しだけでいいんだ。お前の実力を、あいつらにガツンと見せつけてやってくれ。な? 父さんの頼みだ」
大きな体を小さくして、僕に頼み込んでくる父さん。
その姿は、普段の威厳ある騎士の姿とは程遠いけど、何だか憎めない。……やれやれ仕方がないなぁ、父さんの面子の為だ。一肌脱ぐとしようか。
「別に構わないけど。本気でやっちゃって、相手を倒しちゃってもいいの? ここの騎士や、騎士見習いの皆さんが、ただの子供に負けたら格好つかないでしょ」
僕は、少し意地悪く聞き返した。
「はっはっは! 気にせんでいい。かまわん、思う存分やってしまえ!」
「まぁ、お二人とも……」
「フェリクス、母さんには内緒だからな?」
「プッ」「ワハハハ」「ふふ」
僕は少し苦笑い、父さんは豪快に笑い飛ばす。
一方、アンリエッタさんは呆れたような、それでいて面白そうな、複雑な表情で僕たち親子を見守っていた。
笑い方やその声量に違いはあれど、どこか似たような。屈託のない笑顔で笑いあう三人だった。




