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黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記  作者: 神崎水花
第三章 黒が忌諱される理由

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第100話 追憶

 ◆ ◆ ◆ ─ Reminiscence & Lorienlala side ─


 エルフの里フィンデルの夕暮れは早い。

 天を覆う巨木たちの枝葉が、西に傾く陽を遮ってしまうからだ。家々の窓から漏れる灯りが、里の小径を頼りなく照らし始める頃。


 そんな家並みの一つで。

 幼い姉妹が二人、扉の前で母の帰りを待っていた。

 

「はぁ~疲れたぁ。ただいま、私の可愛い娘たち。お留守番、良い子にしてたかな?」


 仕事から戻った母に、幼い姉妹が二人同時に駆け寄っていく。

「「おかえりなさい、母様!」」

「あのね、お姉ちゃんと一緒にお掃除もしたんだよ!」

「ふふ、えらいわね。二人ともありがとう」

 そのあまりにも愛おしい二つの小さな体を、フルールドリスは力強い腕でぎゅっと抱きしめる。


 食卓に並ぶのは、母の手作りの料理の数々だ。

 茸と木の実がたっぷり入った温かいスープ。香ばしい樫パン。そして甘酸っぱい森の木苺のジュースに、姉妹たちは目を輝かせている。

 色鮮やかな食卓も。

 緑あふれるこの里も。

 母娘三人で仲睦まじく暮らすこの光景も。

 なにもかもが、森の恵みそのものだった。

 自然と森を愛する『森人』、所謂エルフと言われる親子の穏やかな営みが、確かにここにはあった。


「母様、あのね、今日ね」

「まあ、そうなの。それで?」

 他愛もない今日の出来事を一生懸命に話す娘たちに、母フルールドリスは優しく相槌を打つ。

 彼女にとって、この何気ない食卓の時間こそが、聖樹や里を守るという過酷な使命を乗り越えるための、何にも代えがたい癒しだった。


「ねえ、母様。次はいつ頃、父様は来てくれるの?」

 不意に、妹のロリエンララがそう尋ねた。

 あまりにも無邪気な問いに、母フルールドリスの美しい顔がほんの僅かに、寂しげに歪む。

 幼い妹にはわからない、ほんの僅かな歪み。

「……そうね。もうすぐ夏祭りの頃だから。きっとその時には、会いに来てくださるわ」

「ほんと? やったぁ」

 満面の笑みを浮かべる妹の横で、姉のフィルシルフィアは小さく伏し目がちになる。

 

 人族である姉妹の父は、このエルフの里で共に暮らすことはできない。

 年に数回訪れるその僅かな時間だけが、家族四人が揃うことを許された、奇跡の時間なのだと。姉のフィルシルフィアはもう、そのどうしようもない世界の理を理解し始めていた。

 だから、彼女は何も言えなかった。

 ただ黙って、母のその寂しげな横顔をじっと見つめているだけ。

 

 夜が更ける。

 三人は一つの大きな寝台で、身を寄せ合って眠る。

 母フルールドリスの、細くも逞しい、優しい腕の中で。

 そこは二人の娘にとって、世界で一番安全で、そして温かい場所だった。


「……母様」

「なあに?」

「聖樹さまの、お話をして」

「ええ、いいわよ。……むかしむかし、この森がまだ冷たい闇に包まれていた頃。天から一粒の光の種が落ちてきました──」


 フルールドリスは、静かに語り始める。

 この里を、そして世界を見守る、偉大なる聖樹フィンデールの物語を。

 その穏やかで優しい子守唄のような声に包まれて。

 幼い姉妹はいつしか、幸せな寝息を立て始めた。

 

 遠く、里の奥にそびえる聖樹フィンデールのシルエットが、闇夜に静かに蒼く煌めく。それはまるで、あまねく森人に安らぎをもたらし、この小さき姉妹の行く末を優しく見守るかのようだった。

 

 あまりにも幸福で、二度と取り戻すことのできない日々の記憶。

 その中心には、いつだって彼女らの母がいた。

 里に選ばれし聖樹フィンデールの守護者、フルールドリス。美男美女ばかりが住まうこのエルフの里においても、誰よりも美しく、誰よりも強い私たちの母。


 けれど、その幸福な記憶が、これから彼女たちが背負うことになる過酷な運命の、ほんの僅かな序章に過ぎないことを。

 まだ誰も、知らない。


 何よりも温かい記憶の最後の輝きを、私──妹であるロリエンララの魂は、今も決して忘れることができずにいる。


 平和で輝かしい日々が過ぎ、私たちが少しばかり大きくなった頃。そう、あれは、雨が降り続ける薄暗い日だったと思う。

 父様の知り合いと名乗る、見知らない男の人が訪ねてきたのは。


 なにやら深刻そうな雰囲気に、私たち姉妹は不安でいっぱいになっていた。


「信じてもらえないだろうことは承知している。だが、これを見てくれ」

「なっ……それは、あの人の!」

「ああ、そうだ。あいつの剣の鞘だ。血塗れで倒れていたあいつから、これを託されたんだ」

「じゃあ、さっきの話は本当だというの?」


 母と、父の友人だというその見知らぬ男との緊迫したやり取りが続く。

 当時の私たちには、まだその言葉の本当の意味は分からなかった。

 ただ、母様の美しい顔からすうっと血の気が引いていくのを見て、とてつもなく悪いことが起ころうとしているのだと、子供心に悟ったのを覚えている。


 男の人は、母の前に深く頭を下げた。

「奴は言っていた。『うちの妻は綺麗で強いんだ』とな。その時はただの惚気だと思ったが、今は違う。どうか共に助けに向かってくれ。頼む!」

「でも、私には聖樹の守護者たる役目が……。ここを離れるわけには……」

「あいつを助けたら、すぐ戻ればいい。半月もかからん。あの可愛い姉妹を、父無し子にしてもいいのか? 今ならまだ間に合うかもしれないんだぞ!」

「……っ。わかったわ」

 

 そこから母様の決断は早かった。

 母様は一度だけ、私たち姉妹の顔を大きな瞳でじっと見つめ、何かを振り払うように立ち上がった。


「シルフィア」

 母様は、私の大好きな姉の名前を呼び、引き出しから取り出した革袋を、その小さな両手に力強く握らせた。

「いま家にあるお金を、全て貴女に託します。これでララと二人、良い子にして待っているのよ」

「母様……? どこに行くの……?」

「大丈夫。すぐ戻るから。母様は強いのよ? ……二人でしっかりお留守番しているのよ」


 私と姉をきつく抱きしめた、その言葉を最後に。

 母様はもう二度と振り返らなかった。

 降りしきる冷たい雨が、遠ざかっていく母の足跡を、一つ、また一つと泥の中に消していった。

 

 それが、私たちの大好きだった母、フルールドリスとの最後の別れになるだなんて。

 母様は二度と、私たちの元へは帰ってこなかった。

 聖樹に選ばれた、里で最強の使い手であったあの母様が……。

 今回の視点変更の表記について、少しだけ。

 大きな視点変更の際には、読者様の混乱を避けるため─ [Character] side ─と表記することを、心がけています。

 ですが、このエピソードは「追憶」の物語です。その夢のような時間の流れを、無粋に断ち切りたくないという想いから、冒頭にまとめて記載させていただきました。


 そして、もう一つ。本作も、『百話』という大きな節目を迎えることができました。ここまで長く、物語と共に歩んでくださった全ての読者の皆様に、心より感謝申し上げます。


 彼らの旅路はまだまだ続きます。これからも見守り続けてくださることを願って。

 神崎 水花

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