第二話
「あなたには転生してもらいます」
突然の神からの申し出である。私は困惑した。
「ここどこですか?」
私は気づいたら一面真っ白な世界にいた。白い壁があるのではなく、白い無限に囲まれているような場所だった。私はそこで、絶対者と向き合っていた。といっても、姿が見えたわけではない。しかし、神は確かに私の目の前にいて、私を見ていた。
「ここですか、なんでしょうね、煉獄みたいな場所でしょうかね」
煉獄とは中世に発明された概念で、天国と地獄の審判を受ける順番待ちの部屋みたいな場所である。死者がこの場所にいる間に、地上の家族が全力で教会で祈ってくれると、天国に行く可能性が増えるということで、教会が信者に金を落とさせるために有効な概念だったらしい。実在したとは……。
「ちょっと待ってください。ということは、私は死んだんですか?」
「はい、先ほど、ベッドで」
神は淡々と答えた。
「事件ですか? 事故ですか?」
「事件です。あなたは殺されたのです。あなたの妻から」
「は?」
私は胸を押さえた。包丁が刺さっていた。酸素を多く含んだ生暖かい黒い血が指の間をすり抜けて、腕に伝っていった。
「ひどい殺され方ですね」
「そうでしょうか? どんな死に方でも、死は痛いものです」
「私は今日ほど孤独を覚えたことはないですよ。私は、妻に恨まれていたんですか?」
「恨みと言えば恨みでしょう。しかし、今度ばかりは、私も創造主として責任を取らないといけないかもしれません。あなたには、あまりにも大きなハンデを与えてしまいました」
「そうかな、五体満足に産んでもらえて、頭も悪くなかった。私は恵まれている方だと思うけど?」
「そういっていただけると、私も心が救われますが、しかし、あなたは五体満足の代わりに、一本とても不満足なものを持っていたと言わざるを得ません」
「一本不満足?」
「あなたの生殖器です」
聖書は「まず言葉があった」という言葉から始まる。そこに「光あれ」と神が言ったので光が生まれたのである。神の言葉というのは世界の最初の構成要素なのである。その力を私は今思い知っていた。神が「生殖器」と言った瞬間、私のペニスが光を放ち、粘土のようにさまざまな形に変形し始めたのである。
「これが、なにか問題だったんですか?」
「はい。率直に言って、あなたの生殖器はあまりにも小さいです」
「ああ、そうなんですか……」
どうでもいいことの気がするのだが。
「そのせいで、あなたは子供を残すことができていません。あなたが子供だと思っている二人は、あなたの子供ではないのです」
ん? ……え?
「あなたの妻は、子供が成長するたびに、その顔があなたにあまりにも似ていないことを認識して、とても恐怖していました。一方、彼女はずっと間男と関係を続けていました。それは、あなたも知っている人で、あなたのいた部活の先輩です。二人は、時々仲良くあなたの話をしていましたよ。しかし、子供が成長していくとともに、あなたの存在はいよいよ邪魔になっていきました。そこで……」
「言わなくていいです!」
淡々と続く神の告白を、私は遮った。19世紀フランスの作家ゾラの代表作に『テレーズ・ラカン』という小説がある。生命力のない夫を持ってしまったテレーズが、牛のような男ロランに心惹かれて不倫し、夫を二人で殺して結婚する話である。このまま話を聞いていても、後に続くのはそんな話だろう。
「ご明察です」
「……心の中で思っていることも全部聞こえているようですね」
「はい。今回のことも、テレーズ・ラカンと同じで、あなたの生命力のなさが原因で起こってしまったわけです。あなたの先輩は、立派な生殖器をお持ちでした。彼の性器は着実に彼女の子宮口に接着し、あなたの何倍もの数の精子を何度も彼女の膣内に送り出しました」
「ああそうですか」
「その彼の生殖器が、これです」
光を放ちながらうごめいていた私の股間は、一本の棒の形に収斂した。太くて長い棒だった。
「ペニスって、こんなに大きくなるんですね……」
「あなたには想像もできないことでしょうね。その上、あなたは敬虔にも、正常位しかしなかった。彼女の性的不満足は決定的なものでした」
私は月光に照らされて薄く伸びた父親のペニスを思い出した。あの飴のように伸びた青ざめたペニスを。そして、後ろめたいおやじの顔を。きっと、不倫相手も、私の父のような顔をして子供と会うことになる。そして、罪の意識のなかに死んでいくだろう。
私には不思議と後悔はなかった。私は、父のあの顔だけを恐れていた。あの顔をすることにならないことだけを目指して生きてきた。それでいいじゃないか。
「いえ、ところが、あなたには転生してもらいたいのですよ」
神は最初の話題にもどった。
「もちろん、条件付きでです。それ」
私のペニスがまた形を変え始めた。一度、股間の中に姿を消すと、股の間から植物のように芽を出し、ぐんぐん生え、上に向かって反り返り、しっかりとした重量のある一本の棒となり、光るのをやめた。
ほれぼれするほど生命力にあふれた一本のペニスが私の股間に生えたのだ。
天を突くようなその凛々しいさまは、見ているだけで胸が高鳴った。
「どうぞ、触ってみてください」
神からの誘いに、私は我慢しきれないように従った。ペニスは固く、少し押してもすぐに元の位置に戻って来るような弾力と丈夫さを持っていた。
「すごい、これを挿入してみたい」
素直にそう思った。
「そうでしょう。私が今作りうる最高の男性器です」
触るどころか、腹に力を入れるだけで私のペニスは上下に踊った。体を回すと、大きくて強靭なペニスが左右に暴れまわり、根本が引っ張られる痛みからペニスの存在感の大きさを実感できた。私は男たる恍惚をこれまでにないほど強く感じた。
「それが生命の喜びです。あなたは、この人生で、生命を恐れ続けてきました。しかし、生殖や性は、生物の本来の理由であり、人間にとって本質的な生きる喜びです。それをぜひ、転生して感じてきてほしいのですよ」
「私は、今日まで死んでいたのかもしれないな……」
「はい。そして、生まれ変わるんです」
「ありがとう。こんな機会をくれて」
「いえいえ、ではごきげんよう」
白い空間が光に包まれた。私はペニスを握りしめた。この存在こそが、私が新たに生を受け、これからの私が生きる根拠なのだ。私は目をつむると同時に意識を失った。
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目覚めた。
身を起こす。見回すと、石灰質の壁。窓の外には赤いレンガの屋根が見える。日本の伝統的建築素材とは全く違う。
股間では、ペニスが燃えるように熱く勃起して、反り返って腹に当たっていた。
「朝立ちか……」
立ち上がって窓を開けると、蔦のように生えたアサガオと目が合った。