077 TOKEN 兆候,兆し
冷気が石畳を這い、吐く息が白く染まる。
夜番の巡回すら通らぬ王城の裏手側に位置する訓練場に、三つの影が並んでいた。
ひとりはロシュディ。外套の裾を揺らしながら、手にした灯りを地面に置く。
「……よく来たな。人目はないな?」
「ばっちりです」
軽く片手を上げて笑うのはルネ。
髪を無造作に束ね、夜の湿気にうんざりしたように首をすくめた。
「殿下がこんな時間に呼び出すなんて。もしかして、夜食の付き添いですか?」
「夜食……」
ディエゴが鋭い目を向ける。
黒髪を短く刈り込み、整った軍装のまま姿勢を崩さぬ。
「軽口を叩く場ではない。殿下の命は――」
「いい、ディエゴ」
ロシュディが手で制した。
「むしろ、ルネの軽口くらいがちょうどいい」
「えっ、珍しい! 殿下が俺のこと認めてくれた~?」
「そう思うなら、せめて聞く耳は持て」
ルネがひょいと敬礼の真似をし、ロシュディは小さく息を吐いてから、真剣な面持ちに戻った。
「……王都に見えない流れがある。だが確証がない。おまえたちには、その証を掴んでほしい。汚れ仕事と言ってしまっても差し支えない」
ディエゴが一歩前に出る。
「対象は?」
「婚姻提案を推している上院三家だ。特にマクレインそれからラングの周辺」
ルネが口笛を吹いた。
「ひゅ~……陰謀の匂いしかしないっすね。でも、俺らなんかでいいんすか?」
「だからこそ、だ」
ロシュディの声は低く、しかし芯がある。
「お前達は、グレイドが認めた、信じられる目と耳だ」
ルネは肩をすくめながらも、表情を引き締めた。
「了解っす、殿下」
ディエゴは深く頭を下げる。
「命に代えても、必ず」
ロシュディは二人を見回し、灯りを手に取った。
「……いずれの命も無下に扱うなよ」
その一言に、二人の青年は同時に胸に拳を当てた。
「了解!」
ルネの軽い声と、ディエゴの重い声が重なる。
灯りの火がゆらりと揺れ、三人の影を石壁に映した。
王都の外郭を囲む結界の光が、遠くでぼんやりと瞬いていた。
その境界に近い水上輸送の拠点地――水路を通じて物資が運び込まれる、いまや唯一の生命線。だがその倉庫群の一角に、灯りを落としたまま動く人影があった。
「……うおおい、まさかまさか~」
低く呟いたのはルネだった。
頭巾を目深にかぶり、樽の影から、先をのぞき込む。倉庫の梁に這わせた綱を伝って、二人はここまで忍び込んだ。足音ひとつ立てず、息を殺して。
月明かりに照らされた倉庫の中央では、覆面をした商人と、見慣れぬ兵士風の男が低声で交渉している。二人の間に積まれた木箱には、見覚えのある紋章。
「武器と……これ、魔導薬の樽だよな? フェルギスじゃ禁制品だろ?」
できるだけ声を押し殺して囁くと、ディエゴが同意するように頷いた。
月光を反射した鋼の瞳が光る。
「結界維持のための補助剤と偽っているが、中身は戦闘用。王都では無論国内製造禁止のはずだ」
商人の声が、わずかに大きくなった。
「……納期は予定通り。代金は例の方から出る。あとはおまえらが黙って運ぶだけだ」
例の方――その言葉に、ルネの口元がにやりと歪む。
「この国を売っている誰かってことか」と呟いた瞬間、兵士風の男が何かに気づいたように顔を上げた。
ディエゴの手が、反射的に剣の柄にかかる。
だがルネがその手首を掴んで止め、二人は樽の影に身を沈める。緊張が走る。商人が周囲を見回し、風の音だと判断したのか、また低声での会話が再開された
「待て待て、今斬ったら話が途切れる、殿下はいのちだいじにって言ってったっしょ? 相変わらず脳筋肉なんだから~」
「すまん、だが見逃せば逃げる」
ディエゴの声には焦りが滲む。
「だーかーら、泳がせよーぜ。証拠を掴んでから一網打尽。その方が確実だろ?」
視線の先で、帳簿を抱えた商人が荷車の陰へ歩いていった。
商談は終わったらしい。兵士風の男も倉庫の出口へ向かう。複数の足音が遠ざかっていく。
ルネは片目を細め、懐から細い針金のような道具を取り出し「鍵ぐらいなら、俺に任せとけって」と、倉庫の中央に置かれた帳簿箱に忍び寄った。
「正式な許可を得ていない潜入に、慣れているのではないだろうな?」
「まっさか~?」
ルネは舌を出して笑いながら、帳簿箱の鍵穴に針金を差し込んだ。
かちり、と小さな音。わずか数秒で錠が外れる。
蓋を開け、月明かりに透かすようにして中身を確認すると二人の表情が引き締まった。
「……あった。マクレイン侯の印章。それと、カーネリア使節団名義の請求書だ」
紙束の一枚を素早く抜き取り、懐に滑り込ませる。
「――婚姻交渉の裏で、武器と魔導薬の取引が動いている……?」
ディエゴが低く呟いた。
「貴族たちは和平を偽装し、戦の準備を進めているのか」
「皮肉だねぇ。魔術を忌避してきたこの国が、魔導薬に頼っているという現実」
ルネが帳簿箱を元通りに閉め、鍵をかけ直す。
痕跡を残さない。それがこの手の仕事の鉄則だ。
立ち上がろうとした瞬間、倉庫の入口で物音がした。
二人は反射的に身を伏せる。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。
扉が開き、松明の光が差し込み、衛兵らしき男が二人、倉庫の中を見回している。
「誰かいるか?」
「いや、風だろう。この時間に誰が来るんだ」
松明の光が、ゆっくりと倉庫の奥へ近づいてくる。
ルネとディエゴは樽の影に身を縮め、呼吸すら止めた。汗が額を伝っていく。
光が、二人のすぐ横を通り過ぎた。
「……何もないな。戻るぞ」
「ああ」
扉が閉まる音。足音が遠ざいていく。
ルネがようやく息を吐いた。
「あっぶねぇ……心臓止まるかと思った」
「今のうちに離脱するぞ」
だがルネは動かなかった。
視線は、倉庫の隅に積まれた木箱に向けられている。
「どうも仕掛け人が別にいそうだ。見た? 商人たちの後ろにいた仮面」
「第三の勢力……?」
「さて、どうだろうね」
二人は来た時と同じように、梁を伝って倉庫を後にした。
夜風に吹かれながら、屋根伝いに王都の闇へ溶けていく。
川港の遠く、黒い空に結界の光が淡く滲んでいた。
薄明の光が、王都の屋根をかすかに照らしていた。
夜通しの冷気がまだ残る廊下を、靴音が二つ、急ぐ。
「まったく、予言でもしたのかってくらい的中だよ」
「殿下は、予感で動く方ではない」
ディエゴはきっぱり言い、手に抱えた布包みを強く握る。
その中には、倉庫から奪取した証拠の文書。密輸を裏付ける印章が確かに押されていた。
「勘も冴えてるが、たぶん……読み切ってたんだな。この国の貴族が、自分たちの利益のために、平和を金に変えることも」
重厚な扉の向こうで、まだ灯りがともっていた。
「ルネとディエゴ、ただいま戻りました」
「入れ」
ロシュディの声は低く、しかし研ぎ澄まされていた。
机の上には書簡の山。つい先ほども目にしたマクレイン候の印が見える。
「婚姻提案の正式文書、ですか」
ディエゴの問いにロシュディは薄く笑った。
「……実質的な支配権の譲渡依頼といった方が早いな」
「魔術忌避してた貴族連中も、そこまで浅はかじゃないと思うんすけどねえ」
「内と外の思惑が交錯しているんだろう」
黎明の光に照らされたロシュディの横顔は、若いのにどこか老成して見える。
「この提案は、内の腐敗を炙り出す餌にもなる。誰が何を守ろうとしているかが露わになる。だから――この縁談を受ける方向で調整している」
「……本気ですか?」
ロシュディの言葉に思わずぎょっとした様子でルネは声をあげた。
脳裏にはこの王都まで共にやってきた魔女の姿が過ぎったからだ。
「もちろん、そのままでは受けぬ。相手の駒を、こちらの盤に乗せてしまえばいい。彼らが動く前に、すべての糸をこちらで結び直す」
「……ま、俺らの仕事は証拠の保管と報告ってとこで?」
「いや。もう一つ引き受けて欲しい仕事がある」
ロシュディが書簡を一通、広げた。
「次はラングの屋敷を探れ。何かしらの取引、関税記録あたりが残っているはずだ」
窓の外、陽がゆっくり昇り始め、黄金色の光が、王都の瓦屋根を染めていく。
執務室を出る直前、ルネがふと振り返り、呟いた。
「なんか……あの人、やっぱ王様になるなぁ」
「おまえ、まだ殿下に聞こえる距離でそういうことを言うな」
「いいんだ」
ロシュディは、呟かれた感想に肩を軽く竦めた。
「今出来ることが、他に無いからな」
机上の印章の冷たさが、彼の決意を静かに映す――。




