033 TRAVAIL 辛苦,苦労
ロシュディ達が山道調査に出かけてから、半日ほどが過ぎた。
小屋の中は、彼らが去った後の静寂に包まれている。
ユウは、その静けさに、拭いきれない寂しさと不安が入り混じるのを感じていた。
「……行っちゃったな」
誰もいない空間に、ぽつりと呟く。
いつもなら、ロシュディの気配がすぐそばにあり、何かあればすぐに声をかけられる。彼の存在が、いつの間にか日常になっていたのだ。小屋の隅で微睡んでいた黒龍も、いつの間にか姿を消していた。
ユウは、大きく伸びをして、日中の家事に取り掛かった。
暖炉の火を調整し、料理を鍋に移し替える。
庭に出て、菜園の手入れをする。
土を耕し、雑草を抜き、水をやる。
植物たちは、ユウの手入れのおかげか、すくすくと育っている。
特に温泉水をまいた薬草や野菜類の成長が凄まじい。
ベビーリーフや青菜系の葉物は、籠いっぱいどころか、いつもの倍収穫でき、三分の二は牛たちの飼料にした。
ちなみにプランターの芋が復活した。
村長から相談を受けていたあの芋だ。
温泉水の効果は、栄養剤的なものなのかもしれない。
もしくは復活材?
もう少し真面目に実験しないとわからない為、ユウはあえて半分に折ったキュウリをプランターに突き刺し、温泉水をまいてみる。
ロシュディがこんな場面を見てみたら、またもや「それは何の儀式だ?」と盛大に眉を顰めそうだ。
「よし、これで今日の分は終わり! みんなが帰ったらサラダにしようかな~ マルゲリータっぽいピザも作れそう。てか調査って、行って即日帰って来るのかな……勤務形態よくわかんないなあ」
まともな休憩が取れないのなら、王都の騎士たちの仕事っぷりはブラック企業のそれに近しいのかもしれない。あの携行食の微妙な味を思い出す。
額の汗を拭い、小屋に戻る。
午後の日差しが、窓から差し込み、室内の埃をキラキラと照らしている。窓も玄関ドアも全開で、空気の入れ替えと、軽く拭き掃除もするつもりだ。
グレイド達の規律に沿った行動と対照的に、ユウの家事は、彼女自身のペースで、心地よいリズムを刻む。それは、この異世界で彼女が手に入れた、ささやかながらも確かな日常だった。
一通りの家事を終えると、温泉で軽く汗を流して、黒いファイルを開いた。
ロシュディがいない今こそ、じっくりとこれらと向き合う時間だ。
最初の頁に書かれてある文言は相変わらず変わりは無し。
設備一覧。道具一覧。この世界での過ごし方の提案。
「同行事項分岐判定……」
ユウは、その言葉を反芻した。
ロシュディが調査に出かけた今、このクエストが更新されたことには、きっと意味がある。
そもそも本プランに恐らく移行したのだから、いちいち課題を提示してくれなくてもいいのに。
まるでゲームみたいに時折告知される無機質な音声。
小屋の特殊設備なのだろうか。
もしくは過去の魔女達の創り上げた特殊な仕掛けとか。魔術というやつだろうか。
達成条件は心の距離、物理距離。
それはきっとロシュディとの関係性。
彼の隣にいることが、このクエストの進捗に関わる。
それは、彼が「君がここにいてくれれば、俺も安心して動ける」と言った言葉と重なっているような気もする。自分は、ただ待機しているだけではない。彼の安心を支える、大切な役割を担っているのだ。と、そこまで考え、ユウは一人で赤面した。
……何を言っているのだろう。
そもそも彼は、仮初の同居人。
一緒に暮らしていくうちに情が沸いたのは確かだけれど。
完全に余所者だった自分が、魔女の称号を得たことによって、先代のエミールの代わりに、この世界の一部に取り込まれたのかもしれないけれど、そもそも魔女という存在自体が異端であることには変わりない。
ロシュディだけではなく村人やグレイド達からの言葉の端々からも、ユウは異質を突き付けられてきた。
漠然とした不安と期待。
クエストを達成すれば、何かが変わるのだろうか。
ロシュディとの関係が。あるいは、この異世界での自分の立ち位置が、もっと明確になるのか。
ユウは、窓から外の森を眺めた。夕暮れが迫り、森の闇が少しずつ深まっていく。風が小屋の隙間を吹き抜け、ひゅう、と不気味な音を立てる。
遠くから、微かな、しかし聞き慣れない魔物の鳴き声が聞こえてくる。
それは、普段この高地で耳にする鳥や獣の声とは違う、もっと不気味なものに聞こえた。
ロシュディたちが調査している魔物だろうか。彼らの活動が異常に活発化しているといっていた言葉が、脳裏をよぎる。
小屋の中は、暖炉の炎が揺らめき、温かい光を放っている。
ユウは、その炎を見つめながら、静かに息を吐いた。
この場所は、彼女の居場所だ。
ユウは、小屋の番人として、彼らの帰りを待つ。そして、この場所で、自分にできることを。
◇◇◇
ロシュディたちは、小屋から北へ伸びる獣道を辿っていた。
その道は、この高地の奥深く、人智の及ばぬ暗黒領域へと続く道だとされているわけではない。暗黒領域へ至る道筋は、都度、その痕跡を掻き消してしまうのだ。
それでも騎士たちの足取りは軽快だった。
グレイドは先頭に立ち、周囲の気配に神経を研ぎ澄ませている。ディエゴはロシュディの護衛につき、常に尊い身の安全を確保しようと注意を払っていた。ルネは後方で弓を構え、物陰に潜むかもしれない敵の動きを警戒し、常に周囲に目を光らせている。連携は完璧。
しかし、彼らの行く手を阻んだのは、魔物だけではなかった。
「殿下、この雨は異常です」
グレイドが、空を見上げながら言った。
彼らがこの高地に来てから、雨の日が尋常ではないほど多い。
エオルトリア高地は、本来、雨が少ない地域のはずだ。
奥に入れば岩肌が剥き出しになり、草木もまばらな荒涼とした景色が広がるが、魔女の小屋のある辺りまでは深い緑に包まれ、冬以外は非常に過ごしやすい気候だ。
だが、この数日は、にわか雨が過ぎ去ったかと思えば、すぐにまた空が曇り、冷たい雨粒が降り注ぐ。彼らが経験したことのあるどの気候とも、明らかに異なっていた。
「確かによく降る」
ロシュディもまた、空を見上げた。
そういえは、ユウが雨が多いと零していたのを思い出す。
高山地の天気は崩れやすいが、この天候は、崩れっぱなしという方が近い。何かが、自然の摂理を歪めているかのように。
彼らの行く手には、再び深い霧が立ち込める。
視界は数歩先までしか利かず、足元はぬかるんでいる。
雨で柔らかくなった土は、彼らのブーツを捕らえ、一歩進むごとに体力と時間を奪っていった。
シェル・グロウの群れは、霧に紛れて奇襲を仕掛けてくるため、彼らは常に神経を張り詰めていなければならなかった。特に霧の中では、その姿を隠し、音もなく接近してくるため、非常に厄介だった。
「くそっ、また来たっす!」
ルネが叫び、素早く矢を番える。霧の中から、黒い影が複数、猛禽のように滑空してくる。ロシュディは剣を抜き放ち、グレイドもまた、冷静に指示を飛ばす。
「散開! 連携を崩すな!」
シェル・グロウは、霧を味方につけ、調査隊の連携を分断しようと執拗に攻撃を仕掛けてくる。その動きは、以前よりもさらに攻撃的で、狡猾になっているように感じられた。
「魔物たちの活性化も尋常ではありません。何かに駆り立てられているかのようです」
ディエゴが、大剣を振るいながら叫んだ。
彼の顔には、疲労と、そして困惑の色が浮かんでいる。
彼らは熟練の騎士だ。しかし、断続的に魔物の襲撃が続くのは異常だった。暗黒領域に物理的な距離が近づくに連れて、魔物の数は格段に増え、その凶暴性も増している。
霧と雨、そして絶え間なく襲い来る魔物たち。調査は思うように進まず、彼らは引き返しては別の進路を選択する事を余儀なくされた。
山道調査は、早くも暗礁に乗り上げていた。




