032 THEORY 仮説,(現象を説明するための)理論
食事を終えたグレイドたちは、昨晩と変わらぬ手際で食器を片付け始めた。
ユウとロシュディが普段通りのんびりと家事をこなす時とは異なり、人手が増えたことでその作業は驚くほど効率的で無駄がない。軽快な皿の触れ合う音と、彼らの小声でのやり取りが、小屋の中に穏やかな賑わいをもたらす。
ロシュディたちが再びテーブルに戻り、真剣な面持ちで対話を始めるのを横目に、ユウは日常のルーチン作業をこなしていく。彼女は鍋を洗い、やかんから柔らかな湯気が立ち上る中で、彼らの声に耳を傾けた。
ロシュディが口火を切った。
「襲撃した者の正体を突き止めるのが、俺の目的だ。奴らは、何かを知っている。そして、それが露見することを何よりも恐れているか利用しようとしている」
グレイドは黙って耳を傾けていた。
彼の視線は、暖炉の手前にある籠の中で安らかに眠る黒龍に一瞬だけ向けられる。ロシュディが禁書に触れたという話は知っているが、その詳細までは知らされていない。
「俺を襲撃した者たちは――王太后や王弟とは別の勢力、あるいは、彼らの知らないところで動いている者かもしれない」
その言葉に、グレイドは深く息を吐いた。
長年、王族に仕え、王都の闇を知り尽くしているグレイドにとっても、ロシュディの推測は想像を絶するものだった。
「殿下……もしそれが真実ならば、王都は今、想像以上に危険な状況にあるかと……」
思わずと、もれた声には、抑えきれない衝撃が滲む。
王都の権力構造が崩壊寸前であるかのような、その示唆は、何よりも恐ろしい現実である。
「だからこそ、だ。俺は、彼らの正体を突き止める必要がある。そして、それ以上に重要な目的は、暗黒領域への山道調査」
ロシュディは、視線を小屋の外の森へと向けた。窓から差し込む光が、彼の横顔を照らす。
「冬を前に、魔物たちの活動が異常に活発化している。これは、数年前に辺境都市ゼリスを襲った大災害の前兆に似ている」
ゼリスの悲劇は、グレイドの脳裏にも深く刻まれている。
一週間足らずで焦土と化した都市の光景は、フェルギス王国民にとっては、身近で、恐ろしい悪夢だった。
焦げ付いた大地、積み重なった死体の山、そして空を覆う暗黒の魔力。
それは、二度と繰り返してはならない記憶だ。
「もし、あの時のように魔物が溢れ出すような事態になれば、この高地だけでなく、王都にも甚大な被害が及ぶ。俺を襲った者たちの動きと、魔物たちの異常な活性化。これらは一見無関係にも見えるが……新年に新王の即位が控えているのだろう?」
ロシュディは、二つの問題を並行して解決する必要があると考えている。
言葉には、王族の一人である責任感と、この世界の危機に対する深い洞察が込められていた。脳裏には、歴史書に記された幾度とない災厄の記録と、それらが引き起こした動乱の記憶が去来する。
「我々が持つ情報としては……過去に王立魔術研究所が、高地の魔物と、暗黒領域についての調査を行った記録があります。しかし、その多くは機密扱いとされ、詳細な内容は一部の者にしか開示されておりません」
グレイドは、自身の持つ機密情報に関する記憶を、懸命に辿りながら言葉を紡ぐ。つまり、この高地の危険性を認識しつつも、その全貌を把握できている人間は限られている。
「その記録を、見ることは出来るか?」
「……殿下の一時帰還が確約されるのならば……王弟殿下の名の元で閲覧可能かと」
グレイドは迷うように言葉を紡いだ。
ロシュディへの揺るぎない信頼と、王弟からの任務遂行という覚悟が綯い交ぜになる。自分たちが今、何をすべきか、グレイドの頭脳は高速で回転し始めた。
「なるほどな――それで結構」
ロシュディもまた瞬時に、自分の存在を秤にかける。
――惜しむらくは、この居場所、なのだが。
この場所を守るために、彼自身の帰還が重要ならば、迷うことは無い。
ユウは、作業台で水飴にナッツやドライフルーツを混ぜ込みながら、彼らの会話を静かに聞いていた。王家の秘密、魔物の脅威。彼女にとっては、完全に御伽噺の世界、寓話だ。内容は、現実のものとして捉えきれない。それでも、彼女の脳裏には、彼らの言葉が刻々と積み重なっていく。
「では、準備を進めよう」
ロシュディが立ち上がった。
グレイドもそれに倣う。二人の表情には、緊迫感と決意が満ちていた。
「ユウ。君は、この小屋で待機していてくれ。山道は危険な場所だから連れていけない」
「えっ……でも、私、案外、何か役に立てるかもしれませんよ?」
ユウは、思わず反論した。
「ああ。それは重々承知しているが……君の力は、この小屋でこそ真価を発揮するだろう。君がここにいてくれれば、俺も安心して動ける」
この小屋でこそ……。
そう、はっきりと言われてしまうと、引き下がるしかなかった。
この場所を離れた自分が出来ることと言えば、完全な部外者として物事を俯瞰してみる事くらいだろうか。結局、魔女だのなんだのといっても、彼らの世界で、ユウができることは限られている。
「……わかりました。何かあったら、すぐに戻ってきてくださいね」
いきなり一人になることへの不安と、彼らの役に立てないもどかしさが入り混じった複雑な感情が、彼女の胸中を渦巻く。
翌朝、ロシュディとグレイド率いる交渉部隊の男たちは、出立していった。
残されたユウは、防御結界が展開されているぎりぎりの範囲まで着いていき、彼らの後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
一人になった森の小屋の中は、急に静寂に包まれる。
この異世界へと来て、久しぶりの一人の時間。
ユウは、窓から差し込む光を見つめ、これからのことを考えた。
【クエスト更新:同行事項分岐判定発生中(未確定)】
【達成条件:心の距離、物理距離、共に規定値到達】




