014 TREK (一般に)(…へ)行く≪to≫
軽い旅装を整え、ユウ、ロシュディ、そして二人の子供が森の小屋を出たのは昼前だった。アリアが指差した方向へ、緩やかな下り坂の小道を歩き出す。途中、散歩に出かけたであろう牛がのんびり草を食んでいるのが見えた。
ロシュディはまだ杖をついているが、足取りは十分しっかりとしていた。
顔色も、彼を保護した日とは比べ物にならない程、血色が戻っている。
アベルがぴょんぴょん跳ねながら、ユウとロシュディの周りを小鳥のように駆け回る。アリアは何度も振り返ってユウに礼を言った。
「どういたしまして。おばあさん、早く良くなるといいね」
ロシュディは、そんなユウの様子を横目で見つめていた。子供たちを心から気遣う女に対して、底知れぬ感情が溢れていた。
道中、アリアが村の話をしてくれた。
「むらには、そんちょうさんとかじさんもいるんだ。くすしさんはずっといない。ずっとやまのうえ」
ユウは、村が比較的シンプルな共同体で成り立っていることを理解した。
元の世界での、村という単位。共同体を構成する近代的な設備や、複雑な社会構造は存在しないようだった。
「村長さんって、偉い人なの?」
ユウの問いにアリアは当然のように答えた。
「うん! いちばんえらい。むらはぜんぶそんちょうさんのだよ」
その答えに、日本の村社会の仕組みとどこか似ているような、それでいて全く異なるような、漠然とした違和感を覚えた。ロシュディは、そんなユウの問いかけを黙って聞いていた。彼にとって、村における村長の権威は、ごく自然なものなのだろう。
しばらく歩くと、森の木々がまばらになり、視界が開けてくる。
瞬間、昨日庭で感じた、視界が完全に切り替わるような感覚に、ユウは思わず立ち止まった。
ロシュディが声を落とした。
「防御結界の範囲は此処までか」
眼下に遠く、十数軒の家々が並ぶ小さな集落が見えた。
目視できてしまうほどの距離。
どうして、今まで気が付かなかったのだろう。
ロシュディの言った防御結界の範囲とやらが、見えないようにさせていたのか、ユウには判断が付かない。
土壁と藁葺き屋根の家々が寄り添うように建ち、家々の間には畑が広がっていた。
アベルが歓声を上げ、アリアは駆け出した。ユウとロシュディもその後を追う。
村に入ると、子供たちの姿を見つけた村人たちが、驚いたように声を上げた。
「お前たち、どこに行っていたんだ!」
村人たちが駆け寄ってきて、子供たちを抱きしめる。彼らの顔には、安堵と同時に、心配と怒りが入り混じっていた。
「ごめんなさい……おばあの、くすり……」
アリアが力なく答えると、村人たちの視線が、彼の隣に立つユウとロシュディに向けられた。警戒と疑問が入り混じった視線。彼らは、見慣れない二人の姿に、明らかに戸惑っていた。
「あんたたちは……?」
顔に深い皺を刻んだ老人が、前に進み出て尋ねた。
ロシュディは一歩前に出ようとしたが、ユウがそっと彼の腕を掴み、軽く首を振った。ロシュディが騎士であると名乗れば、却って村人たちを混乱させる可能性がある。
ユウは笑みを絶やさずも、どこか緊張した面持ちで口を開いた。
「こんにちは。私、ユウと申します。森で迷子になっていたアリアちゃんとアベルくんを保護しました。おばあさんの薬を探していたそうで、少しばかりですが、薬草のお茶をお持ちしました」
そう言いながら、茶葉がぎっしりと詰められた布袋を差し出す。
村人たちは、ユウの言葉に驚き、そしてその手に握られた布袋に、疑わしげな視線を向けた。
目の前にいる女は、彼らが知る薬師ではない。
見慣れない、そして若すぎる女が、子供を連れて現れたことに、警戒と不審の念を抱くのは当然だった。
「茶だと……? あんたは、何者だ?」
不信感が滲む。
「えーっと、最近、高地の奥に引っ越してきて……」
ユウはそう説明するが、村人たちの顔には納得がいかない様子がはっきりと見て取れた。
その時、ロシュディが静かに一歩前に出た。
彼の顔には、微かに笑みが浮かんでいる。
「貴方が村長殿だろうか、ご心配をおかけしたようだ。この者は、かの高地の魔女殿の力を受け継ぐ者。子供たちの要望通り、ご老人の痛みを癒すため、共に参った」
ロシュディの言葉に、村人たちの顔色が一変した。
畏怖と崇敬、そしてかすかな恐怖が混じり合った表情。
そして次にロシュデイからにじみ出る気品に、圧倒される。
彼の身につけている漆黒の衣と、腰に提げられた銀色の剣に釘付けになった。それは、彼らがこの高地で決して見慣れない、高貴な身分を思わせるものだった。
「魔女様の……! 騎士様……!」
村長が、震える声で呟き、その場にいた村人たちが、一斉に頭を垂れ、ユウの足元に額を擦り付けるように深々と頭を下げた。
ユウは、その光景に目を丸くした。
「え、えええ!? ちょっと待ってください! ロシュディさん、何を言ってるんですか!」
ユウは慌ててロシュディを振り向いたが、ロシュディは涼しい顔で、僅かに口角を上げている
「おねえさん、ほのお、ぼーって、すごいの」
アベルが純粋な笑顔でユウを見上げる。
アリアも、畏敬の念を込めた瞳でユウを見つめていた。
彼らがそれぞれもった異なる認識は複雑に絡み合い、ユウは謀らずしも『エオルトリア高地の魔女』として村人に受け入れられてしまったようだ。
ユウはひたすらに困惑していた。それに反して、ロシュディは平然としている。彼にとっては彼らの反応が魔女たる存在に相対するにあたって、相応しいものだったからだ。
「あの、皆さん、顔を上げてください。私は本当に普通の……」
しかし、ユウの言葉は届かない。
彼らはただ、謙遜の言葉だと受け止めている。
「村長殿、我々は子供たちの願い通り、癒しを施すために参った。案内していただきたい」
ロシュディの言葉に、村長ははっと顔を上げ、深々と頭を下げた。
「は、はい! どうぞこちらへ!」
村長の案内で、村の奥にある一軒の家へ向かう。
家の中は薄暗く、独特の匂いが充満している。奥の部屋には、顔に苦痛の色を浮かべた老女が横たわっていた。
「おばあ……」
アリアとアベルが駆け寄る。老女は、孫たちの声に辛そうに目を開けた。
彼女の顔色は青白く、額には脂汗がにじんでいる。ただならぬ気配を帯びた来訪者に驚いた老女は、身体をおこしかけて痛みに顔を歪めた。
何人もの人間が、閉め切った室内にいると、息苦しさが増す。
病人に良い環境とは思えない空間に、ユウは少し思案してから、アリアに家中の窓を開けるように伝えた。
「何か着替えるものありますか? 汗もかいているみたいですし、少し身体を拭いて着替えましょう」
ユウの言葉に村長が困惑したように言った。
「魔女様、水は貴重でございます。それに、身体を拭くなど、かえって病を悪化させるのでは……」
彼らの間では、水は飲み水として非常に貴重であり、身体を頻繁に洗ったり、患部を拭いたりすることは、病を招く行為だと考えられているようだった。
家の中も、埃が積もり、独特の匂いがするのも、そういった衛生観念が原因かもしれない。
「えっと、病気を治すには、清潔にすることがとても大切なんです。特に免疫力が低下……うーんと、身体が辛いときに、すっきりした匂いを嗅いだり、自分の寝ている所が綺麗だったら気分良くなりますし……」
ユウは説明しようとするが、村人たちは戸惑うばかりだ。
彼らの常識とはかけ離れたユウの言葉は、まるで別の世界から来た異質なものとして受け止められている。
「ともかく皆で協力して、綺麗にしましょう! それからお茶飲みましょう」
アリアがユウから受け取った布袋を村長に手渡す。
村長は遠慮がちに開け、その匂いを嗅いでみた。
「これは……確かに、薬師様の丸薬と似た香り……」
村長は、半信半疑の表情をしながらも、村人たちに指示して老女に薬草茶を飲ませた。
ユウは、薬の効能について簡単に説明し、清潔を保つことを繰り返す羽目になる。
その日の晩、村人たちはユウとロシュディをもてなすため、集落の中央にある広場に集まった。彼らが用意したのは、素焼きの皿に盛られた干し肉と、固く焼かれたパンと、水だった。
ユウは、内心で戸惑いながらも、感謝の意を込めてそれらを口にした。
しかし、数時間後、老女の家から、興奮した声が聞こえてきたのだ。
「おばあの痛みが引いてる!」
「信じられん……! 腰が、少し動かせるようになったと!」
村人たちが騒然となる中、村長が慌ててユウの元へ駆け寄ってきた。
「魔女様! 痛みが、和らいだと申しております! 本当に、魔女様の薬は……!」
村長は感極まったように、再びユウの足元にひざまずこうとした。ユウは慌てて彼を制し、ロシュディが隣で小さく咳払いをする。
「体に合わないなって思ったらすぐやめてくださいね」
ユウは、薬がすぐに効果を発揮したことに内心で驚きつつも、冷静に指示を出した。現代の鎮痛成分や抗炎症作用のある薬草の効能が、この集落の住人にとっては奇跡なのだろうか。
ユウのごくごく一般的な医療知識と、村の原始的な治療法との間の巨大なギャップが、目の前で明らかになった瞬間だった。
村人たちは、ユウの言葉を有難い御言葉として、熱心に聞き入る。
彼らは、ユウの姿に、かつて村に薬をもたらしたエオルトリア高地の魔女。すなわち高地の薬師の面影を重ねていた。
夜半過ぎ、ユウはロシュディと共に、村長から用意された簡素な小屋で眠りについた。
板を組んだだけの寝台に横になりながら、ユウは今日の出来事を振り返る。
「ロシュディさん、本当に魔女じゃないのに、あんなに崇められちゃって、どうしたらいいんですか……」
ユウが呟くと、ロシュディは天井を見上げたまま、静かに言った。
「この村の者たちも、お前の中に魔女の姿を見ている。彼らの長年の信仰を、容易に覆すことはできぬ。それに、君が彼らに与えた恩恵は、まさに奇跡に等しいものだな」
ロシュディの言葉に、ユウはため息をついた。
彼の言葉は、まるで彼女の能力を肯定し、その存在をこの世界に結びつけようとしているかのようだった。
自分が魔女として扱われることに、複雑な感情を抱く。
「それに……まさか、体を拭くこともあまりしないなんて……。この村、他にも色々なギャップがありそうですね。……ロシュディさんは、温泉知ってましたもんね。お風呂ある生活送ってたってことですよね」
ユウのどこか探るような言葉に、ロシュディは僅かに微笑んだ。
「――そうだな」




