3.
◇◆
青い空が眼前に広がっている。
砂埃が口に入り込み苦い。
私を投げ飛ばした相手は汗の一つもかいていないだろうと思うと悔しい。
全般的なことは割となんでもこなせるほうだと思っていたがそれは小さな集団生活のなかだけだったと思い知らされる。体格も自分の方が良い方だというのに投げ飛ばされてしまった。それも小回りが利くからとかそういうものではなく純然たるパワーと技術で負けた。ぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。
「休むのはそれくらいして立ちなさい」
凛とした声の主が寝転がる私の顔を覗き込んだ。濃いはちみつのような絶妙な黄色い瞳には軽蔑とか嫉妬とかあまりこちらに好印象を持っていない揺れがうかがえた。
静かに立つとそのまま回し蹴りが始まりまた突っ伏すことになる。
注意深く相手を見ながらゆっくりと立ち上がる。警戒心を読み取ってか鼻で笑われた。
「ルナ様がいらっしゃれば、私の役目なんでないでしょうに」
私の言葉に相手は口をゆがませた。挑発させたら技が荒くなるか鋭くなるかは賭けである。同じ師を持ったとて熟練度は相手上だ。奇をてらうしか今は届かないだろう。
「そりゃあ、そうよ!私はお嬢様に一目惚れして誰にも文句を言われないとこまで来たというのに!お世話も護衛もなんでもござれなスーパー侍女に成るべくしてなったルナの横に!あなたのようなねえ!」
「姉さんは手厳しいな」
「っるせえ!」
侍女ましてや令嬢あるまじき言葉遣いのルナが背を屈め距離を詰めた瞬間に手で握っていた砂をまいた。
目つぶしというやつである。卑怯者の戦法だ。卑しい平民めと罵られることは当然のごとくなかった。
相手はそんなことを気にせずという風体で目を瞑りそのまま回し蹴りが繰り出される。先ほどよりも動きを注視出来る余裕ができた分、腕で防御をこころみる。重い打撃はそのまま彼女の鍛錬の結晶であろう。
私が子爵令嬢であるルナを『姉さん』と呼んだのには正当性が一応ある。
リリエ様に護衛を任命されたから私は養子になったのである。平民のままでも構わなかったが、特異な存在にわざとなることもないだろう。命じられるのならばなんのそのと応じた次第である。
子爵様も大層お人柄のよいお方で、良い領主の元の部下はその色に染められるということがよく分かった。きっと姉さんとなる者もそういうものだろうと思っていたが話が違った。凛としたクールな佇まいからは想像もできないパワー系でありぽっと出の弟を大変、厚遇してくださる。嫌味である。
毎日のように早朝、夕方はお互いの手合わせ修練となっている。それ以外は基本的な貴族教育を詰め込まれ、リリエ様の傍にいて差し支えないよう自分を作り変えている。週に一度は町へ帰り本来の家族と過ごす猶予を与えてくださるので、住み込み形態の労働だと位置付けている。
「面と要領が良いわね。カシイ。その間合いであればアナタ程度の実力なら目を瞑ってもやれる。慢心では決してなく、ね」
「はー……参りました」
「よろしい我が弟」
抵抗空しく片腕をひねられた状態になり下がった私が降参すると力が緩む。これはどちらかが負けを認めたら終わる。一度も勝てたことがない。展望も見えない。
凛々しい姉を見上げることはあれど見下げる日は一生来ないだろう。
「カイト様へのお手紙を書く時間ですね」
もう終わりだと腕を緩めた姉への何気ない一言でまたも腕を絞られる。
ルナはリリエ様に一目惚れをしたという事象と、そのリリエ様の兄君がルナに一目惚れしたという事情が絡まりここに両家の令嬢を公平に守り抜く、護衛の必要性が出てきたのである。
カイト様はこの馬鹿強い姉に対しての愛情表現が強く当の本人が引くほどである。
「口の減らない弟ですこと。このまま我が家督を継いでくださらないかしら」
「とんでもない。一介の行商人の平民ですよ」
「身分制度なんて、この先何年持つか分からないわ。血の重さなんてあてにならない。それに一応、カシイは養子になったのだから自覚を持って」
「ははは。先進的な姉ですね」
貴族制度の見直しが進むのは少し先のことである。
着実にゆっくりと王族と裁判所、教会の立場が明瞭に境界線をもって、平民を交えた国会を開き三すくみを開始するまでの猶予期間である。実際のところ劇的な生活の変化は起こらないし、じわじわと意識が変わるのはまだまだ先のお話だ。
ただこの時点でこのような展望を話す若者は珍しい。親の、というよりも先代から続く血統を重んじる貴族のなかで弱肉強食の実力主義を謳うルナに眩しいものをカイト様は感じたのかもしれない。そういう家風だからこそ、私のような者を養子に入れこの年齢になったにも関わらず教育を叩き込んでくださったのだろう。
私は子爵を継ぐ気はなかった。
成り行き上、業務命令の上で籍こそ入れたものの護衛の務めが終われば放り出されるものだと考えていた。こんな厚遇を受ける資格はもともとない。お嬢様の鶴の一声で得たものに執着はなかった。
仲睦まじい子爵様のことである。弟君が生まれる可能性もあるだろう。
一つずつ私が何かを出来るようになっていくことで、目に見えない期待がのしかかるのをこの頃よく感じていた。環境さえ整えば自分のような者は沢山いるだろうに、それを知らない貴族は私に何を求めているのだろう。乾いた笑いが漏れるくらいには重い感情だと思う。
「二人とも、忙しいのですね」
つっけんどんな声が届く。
緩くなった腕からすぐに脱して振り返る。
砂埃の舞う訓練場に相応しくない帽子をかぶった少女がいる。口は不機嫌そうにへの字になっており付き人を侍らす様子もなくか弱い腕に、ラバスケットがかけてある。
汗クサくなっている自分が近づいて良いのか、荷物を持った方が良いのか逡巡したが結局、近づいて手を出すとお嬢様はそのまま荷物を寄越すことなく掲げた。
「お昼を持ってきたわ」
自分を渦中に引き込んだお嬢様は、誇らしげな表情になった。
そういうところがヒトを惹きつけるのだろう。




