5 京都散策、笑顔以上の涙
京都駅に着いた。
「京都はバス路線が充実しているけど、できれば、今日は歩いてまわりたいんだ。でも、かなりの距離を歩くことになる。バスを使ったほうがいいかな」
「ううん、私も歩くの好きだよ。歩きましょう」
「うん、ありがとう」
最初に訪れたのは、東福寺だった。
通天橋から、境内の渓谷、洗玉澗を見下ろす。
「いい眺めね。紅葉の時は凄いでしょうね」
「うん、紅葉の季節にもまた来たいね」
「ええ」
今から半年ちょっと先。
その頃までには、岸本君ともっと親しくなれているのだろうか。
次に訪れたのは、無鄰菴だった。
電話で、行きたいところはありますか、と訊かれたので、行先はお任せします、と答えた。
その答えで、岸本君がどういう場所を選ぶのかにも興味があった。
無鄰菴か。岸本君、渋いわあ。
明治の元勲、山縣有朋の別邸。小川治兵衛の作庭。
権力者の別邸とは、とても思えない。
際立ったものを感じさせない庭だった。
「さり気ない庭だね」
「うん」
「こういう庭を観ると、色々と考えてしまうな。様々な意図、芸術的な意味合いを持った庭はたくさんあるけど、このさり気なさは何なんだろう。最終的にはこういうところに行き着くということなのかな。」
「一見、平凡だけど、何か深い意味があるのかもしれないわね」
「うん、それとも、そうやって考えてしまう人間から、別の境地に至ったものなのかもしれない」
母屋で、抹茶と和菓子をいただき、しばし庭を眺めた。
次は、泉屋博古館。
観る人はあまりいなくて、静かな博物館だった。青銅器がたくさんあった。
お昼は、由緒のありそうなお店に入った。
予約済だった。
懐石料理のコースランチ。
高校一年生には高価で贅沢すぎる。
が、事前に、千明は、俊輔から、
―今日のデート代、全て僕がだすから。
と、言われていた。
千明は、もちろん、そんなことできない。割り勘で。
と、言ったのだが、押し切られた。
俊輔は、父親に
―若い内に色々なことを経験しておけ。
と、言われており、お小遣いは、かなり潤沢にもらっている、とのことだった。
岸本君の家は、相当なお金持ちのようだ。
それは、今の同じクラスの、岸本君と同じ中学出身の女の子に聞かされていた。
あと、父親から
―女の子とデートするときは、勘定は全てお前がもつように。
と、強く言われているとのことだった。
千明は、有難く甘えることにした。
格調の高そうなお店だったが、普段着の俊輔は、自然に振舞っていた。
「この近くにね、有芳園という庭園があるんだ。住友家の庭園で、一般の人は入れないんだけど、父に伝手があって、去年観ることができたんだ。
さっき行った無鄰菴と同じで、小川治兵衛の作庭。
無鄰菴よりも規模が大きくて、いい庭だったよ。紅葉を観にくるときに、有芳園にも行きましょう。父に頼んでおくね」
午後は南禅寺境内の水路閣を眺めてから、
永観堂を訪れた。
ここも紅葉の名所である。
「みかえり阿弥陀」を拝観する。
「この阿弥陀様の謂れは、知ってる?」
「うん、『永観、遅し』だね」
「うん」
そのあとは、哲学の道を歩く。
「歩いていて気持ちのいい散歩道だね」
「うん、素敵」
「『哲学の道』っていうネーミングはどう?」
「かっこいい、と思う。でも、ちょっと決まり過ぎているかな、とも思う」
「うん、僕も同じように思ってた」
「西田幾多郎が、お散歩していた道だから、そういう名前がつくのも仕方ないけどね」
「うん、やっぱり知っていましたか」
途中、道沿いの、落ち着いた雰囲気の喫茶店に入り、しばし休憩。コーヒーを喫んだ。
慈照寺に着いた。
観音堂(銀閣)、東求堂を拝観して、境内を散策する。
「吉岡さんは、金閣と銀閣は、どっちが好き?」
「断然、銀閣。今日は来れて嬉しい。ありがとう。岸本君も銀閣のほうが好きなんでしょ」
「いや、僕は金閣かな」
「えっ、そうなの」
意外だった。
岸本君は、金閣より、銀閣の渋さを愛しそうだけど。
「うん、今日、あらためてそう思った。銀閣の外観、東求堂の室内を観ていて、足利義政の美意識は凄いと思う。繊細で、高雅で。でもあまりにその美意識が高すぎて、観ていてつらくなる」
「そうなんだ」
―その感覚は、ううん、難しい。
「一昨年、申し込んで、桂離宮を拝観したんだけど、そのときも同じように感じた。八条宮智仁親王の美意識は、凄いなって。で、やっぱり観ていてつらくなった。
薬師寺東塔や、仏像では、中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像を観たとき、やっぱりそのように感じた。
そう感じるのは、
絵画では、フェルメール、坂本繁二郎、長谷川等伯の「松林図屏風」、金山平三の「大石田の最上川」。
茶碗では、無一物、大黒、卯花墻かな。
美を、それほどまでに研ぎ澄ませないでくれ、そこまで高い領域にいかないでほしい、そんな気持ちになってしまうんだ」
―美に関する、岸本君の感覚は、独特なものがあるみたいだ。でも…
「今、岸本君が言ったことだけど、私は、言葉にして分析してみる必要はないんじゃないかな、と思うよ。そう感じたなら、それだけでいいんじゃないかな」
俊輔は、ほんの少しだけ顔に驚きの表情を浮かべ、千明を見つめた。
「芸術は、分析するのではなくて、その美をただ感じるだけでいいと思う。
さっき、岸本君が色々挙げた建築物、仏像や、絵画、茶碗については、自分が最も好きな芸術ではない、美ではないと感じる、それだけでいいんじゃないかしら。
そこでとどまるよりは、自分が好きだ、と感じるものをどんどん見つけて、ふれていく。
そのほうが、こころが豊かに広がっていくのではないかなと思うよ」
俊輔は、黙ったまま、少し微笑み、小さく頷いた。
「岸本君が美少女が苦手というのも、同じ感覚なのかもしれないね。あまりに美しいものは、見ていてつらくなる、だから敬遠したくなる。そんな感覚なんじゃないかしら」
俊輔は、しばらく考え込んだ。
「たしかにそうなのかもしれない。でも僕は…」
俊輔は、またちょっと考えた。
「うん、やっぱりつらくなるものより、好きなものに取り囲まれて生きていきたいな。それに…」
「美少女が苦手というのは、それとは、ちょっと違うような気がする。僕は、そういう女の子たちに、共通に感じるものがあるんだ。
ずっとその可愛らしさを賞賛されてきて、自分の容姿に、自然に自信をもっている女の子たちに共通する天性の明るさというのかな。
僕はそういうのが、苦手みたいだ。もうそれで、自足してしまっていて、自分の気持ちもそこから広がっていかないんだ」
―そうか、女の子の容姿についても、そこまで自分の感覚を分析してしまうのか。
疲れないのかな。でも面白い。
これから、どう変わっていくのか、ずっと近くで見てみたい。
「これも、言葉にして分析してみる必要はないんだろうね。でも、吉岡さんには聞いてほしいな、と思った」
「ありがとう。
うん、美少女かどうかでこだわる必要はないと思うよ。好きなタイプかそうではないか、そう感じるだけでいいのではないかしら。
それで、自分がいいなと思う女の子をどんどん見つけていったらいいね。あっ、それはもう実践済か」
「うん、美少女だから苦手と分析してしまうのではなくて、単に苦手なタイプだと感じるだけでいいということだね」
俊輔が、千明を正視した。
「僕は、吉岡さんの顔立ちとか、全体の雰囲気とか好きだな」
「ありがとう」
千明は、涙ぐみそうになった。
「吉岡さん、今日は付き合ってくれてありがとう。吉岡さんと一緒にいると、とても楽しい。僕は、吉岡さんのこと、もっと知りたい。一生、お友達でいてほしい。要ともきっと、いいお友達になってくれると思う。みんなとも一緒に遊んでほしいし、時々はふたりで会ってほしい」
―話の流れでいったら、さっき、好きだと言ってくれたことについては、私は美少女ではないから、という意味も含まれていることになりそうだから、普通に考えたら、失礼なことを言われたわけだけど…。
でも実際そのとおりだし、もし、美少女だったら、岸本君は、私を誘おうとは思わなかっただろう。私のことをもっと知りたいとも思ってはくれなかっただろう。
―美少女でなくてよかった。
千明は、人生で初めてそう思った。
「はい、私も凄く楽しかった。こちらこそ、一生、よろしくお願いいたします」
「何か、プロポーズみたいだね」
「ほんとだ」
―ほんとに、そうだったらどんなに嬉しいだろう。
「でも、今日、一日でなんでそういう風に思ってくれたのかしら」
―常に話がはずんでいた、というわけではなかった。ふたりで黙ってしまっている時間も結構あった。
沈黙の時間も、特に苦痛ではなかったけれど
「吉岡さんは、言葉を大切に使う人だと思った。一緒にいて、この人とは、無理に話を続けなくてもいいな、と思った。黙っていても、一緒にいて安心感があって、居心地が良かった」
―ああ、岸本君も、同じように感じてくれていたんだ。
「それでいて、吉岡さんには、自分のことをついつい語りたくなってしまう。自分のことをもっと知ってほしくなる。吉岡さんは、僕をそういう気持ちにさせる女の子だ」
―この人は、女の子をその容姿ではなく、本質で見ようとする人だから。
容姿にはこだわらない……違うか。普通の男の子と逆のこだわりがある人だった。
「吉岡さん、僕はありがたいことに、女の子のお友だち、たくさんいるんだ」
「うん、知っているよ」
「これからも、みんなと楽しく仲良くしていきたい。吉岡さんみたいに、この人とは一生お友だちでいたいな、と思う人も何人かいる」
「うん」
「でも、さっき美というものについて、言ってくれたことにしても、僕は男の子を含めても、同世代の人から、あんなにこころに響くことを言われたのは初めてだ。
吉岡さんは、僕にとって何か特別な人なんじゃないかな、と思う。そう感じる」
「ありがとう」
千明の眼から、涙がこぼれてきた。
今の会話で、涙は相応しくないと分かっていた。
でも、この人は、私のことを、とても大切に思ってくれているのだ、ということが、千明のこころに伝わってきた。
さっき、私の顔立ちと雰囲気が好きだと言ってくれた言葉は、ちょうどそういう話をしていたときだったから、その瞬間の岸本君が、意識していたのかどうかは分からないけれど、美少女かそうでないかというようなこととは関係なしに、岸本君が、こころから感じて言ってくれた言葉だったと思う。
容姿については、ずっとコンプレックスを持っていたけど、そんな私の外見を好きだと思ってくれる人がいたんだ。
そのことの喜びを表現するのに相応しいのは、笑顔以上の涙しかない、と千明のこころが選択した。
―岸本君には、一生、女性のお友だちがたくさんいるんだろうな。それでも、このひとは私のことを、一番大切に思ってくれるし、毎日をともに過ごしたい、と、思ってくれるのではないかな。
―岸本君が、将来、お嫁さんにしたい、と思うのは、私なのではないだろうか。
千明は、素直にそう思った。いや、そう感じた。
もし、そうなったら……
私も、男性のお友達がたくさんいる一生を送ることになるんだろうな。
それは、とても楽しいことではないかと、千明は思った。
お読みいただきありがとうごさいます。
この小説については、岸本俊輔、新田要、吉岡千明の三人を中心に、中学二年生から高校一年生まで、できれば高校の三年間も、色々なエピソードを重ねて描いていきたい、と思っていました。
が、結局、書きたいことの最低限だけ書いて終わらせた作品になってしまいました。
書きたい人物がどういう人物なのか、その性格や趣味と、その状況を書けばそれでもういいかと思ってしまい、細やかなエピソードを積み重ねていくのは苦手なようです。
最終章は、今、高校生に戻れたとしたら、どういう女の子と、どういう場所にデートに行ってみたいか、という気持ちで書いてみました。
ただし、この小説に書いたような、様々な分析と説明は、したくありません。
例えば、このデートについても、もっとゆったり細やかに文章を重ねたかったのですが(美に関する分析と説明なしで)、エッセンスのみの点描になってしまいました。
私に精力があれば、この作品はパイロット版として、想定している地域と時代の雰囲気も伝えるような長編の本編を書いてみたい、という気持ちはあります。
さらに、青春小説のヒロインは、ほぼ美少女というイメージがあるので、美少女とは見られていない、そういう女の子たちを、俊輔、要との関わりを基軸として、魅力的に描いていきたい。そんな気持ちもありました。
でも、女の子を魅力的に描こうとすると、感情移入してしまい、描いていくのにかなりの精神的エネルギーが必要になってきます。
本作品を書き始めてみて、あらためてそう感じました。
これまで何編か、私にとっては、魅力的と感じる女の子が登場する小説を書いてきましたが、年齢的に、そろそろその種のエネルギーが尽きてきたのかもしれません。
「緊褌巻 改訂版」の、杉野和美
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「ホアキン年代記」の、メイリン、クサンチッペ、ナターシャ、シュアン(人妻)、マンドハイ(人妻)、九宝玉(未亡人)
女の子、人妻、未亡人。
かなり色々なタイプの女性を描いたと思います。
私にとっては、みんな魅力的でした。




