雪月は知らない・表
香具山・半日後・オルトリーネside―――
「使鬼・シラユキは今どこに……」
「陽菜がお風呂に入れている……念入りに洗うっていうから、一時間ぐらいかかるんじゃないか」
徹夜明けの眠たい目を擦りながら、リーネは目の前でどこか可笑しそうに笑う北条氷穂の姿を薄気味悪そうに眺めている。
昨晩の戦闘の怪我であちこち包帯を巻いていたが、疲労に関してはそれほど深刻には見えない。
それほど大柄な体格でもないにもかかわらず、どこにそんな体力があるのか。
彼女は陽菜と違ってそういう特殊能力は持っていないはず、とリーネは疑問に思う。
「彼が着ていた……陽菜のカンパニー制服はこちらで処分するよ、代わりの服は……サービスだよ、こちらで弁償する」
「別にお前が壊したわけではないだろう……ま、貰えるものは貰うけどよ」
血と、それと小便で汚れたシラユキが着ていた制服。
だが血に関しては、彼の物ではない。
なぜならシラユキはまったくの無傷だったのだから。
つまりは返り血。
状況的にそうとしか考えられない。
彼は自分が負傷したわけでもないのに、戦闘に巻き込まれた恐怖で錯乱し、制服がズタボロになるまで駆けずり回ったのだろう。
(ま……非戦闘用の使鬼じゃあ、しょうがないけどよ)
もうちょっと、しゃっきりして欲しいぜ……とは思いながらもシラユキが無事だったことに素直に喜ぶリーネ。
仲間がいなくなるのは、やっぱり辛い。
「では、私はもう行くよ……私を騙した人間に灸をすえに行かなければいけないからね」
昨晩の戦闘からほとんど休むことなく次の仕事に向かう氷穂を、議員の娘は大変だねと他人事の様にリーネは見送る。
ただ別に呆れているわけではない。
本当に彼女は活躍した。
昨晩の帝乃槍の包囲網……後方で待機していた三百の兵士を夜襲でもって皆殺しにし、相手の戦意を叩き折った。
指揮官ライナルトは、全滅よりはマシとなんらかの取引を氷穂として撤退……こうしてリーネや陽菜、シラユキの伺い知らない所で勝敗は決した。
しょせんは一兵卒……対局を左右することはない。
私たちはただ、目の前の仕事を行うのみ。
いろいろあったが、結局のところ自分たちはそんな身分だ。
全ては元通り、数日後にはカンパニーに戻り、別な仕事を任せられるだろう。
(陽菜……大丈夫かな)
自分の監視対象であり、友人でもあり、そして自分よりも遥かに年下である彼女のことをリーネは思いやる。
そのためか、氷穂から感じた彼女の昨晩での報告に対する消しようのない違和感を、いつの間にか忘れてしまっていた。
*****
香具山・半日後・氷穂side―――
リーネと別れた氷穂に、配下の兵士が近づく。
話の内容を他者に聞かれないよう、周囲に人がいないことを確認したうえでの接触であった。
「穂乃香姫が意識を取り戻しました……全治一か月、炎砲魔術を受けてあれとはさすがは妖」
「運が良かったんだよ……直撃していたらいくら妖でもひとたまりもなかった」
勇敢な西条の姫を、無鉄砲で直情的、戦闘に置いて素人の域を出ない西条の姫を、氷穂は冷静に分析する。
紅の矢という範囲魔術で敵将を狙った彼女だったが、結局のところ放てたのは一回限り。
一度の攻撃で居場所を特定された彼女は術兵による砲撃を受けて重傷を負い、そのまま戦線離脱した。
あのまま砲撃が続いていれば、救助もままならず、そのまま粉みじんになっていただろう。
敵側の不自然な停止に助けられた形となった。
「西条秋虎と真白は……」
「真白は……抵抗されたのでそのまま処分しました、秋虎の方もそうすべきかと思いましたが……あの件もありますし、今は特に何もしていません」
「間違えないでよ……秋虎は抵抗しなかったから処分する必要がなかった……そうだよね」
「すみません……そうでしたね」
昨晩の戦闘の後、氷穂は即座に山狩りを実行していた。
その結果、今回の件に関わる二名を拘束、内一名を指揮官権限で戦闘行為とみなして敵兵として対処する。
彼女のやり方は、強引かつ無慈悲になりがちである。
その事実を知る者の中には、氷穂は特権階級として生まれなければ大成できなかっただろうと陰口を叩くが、本人は気にしていない。
それが自分が選んだ手法であり、嘘偽りのない事実であったからだ。
「報告は以上です」
「そうか……ではこれより秋津本島に戻る……秋水の耄碌ババアを締め上げなければならないからね……まったく、私が泣き寝入りする女だと思っていたのか」
ぶつくさと文句を言いながら、氷穂は呼びつけていた馬車へと急ぐ。
睡眠と食事、休息は地震のように揺れる早馬車の中で行わなければならない。
それも慣れた物だった。
「そうだ、忘れていたよ……カンパニーから制服を買っておいて、二着……あの二人へのサービス」
「二着……陽菜様と、オルトリーネ様用ですか」
「いや、陽菜とシラユキ」
「え……」
兵士が浮かべたのは驚愕だった。
軍人として、表情を表に出さないよう訓練されている彼にしては珍しい。
それが氷穂の興味を誘った。
「使鬼には制服なんて必要ない……違う……生きていることが不思議?」
表情から心内を探ろうとする無礼な上司に、どぎまぎしながら兵士は氷穂の疑問に答える。
そして、今度は氷穂の顔に驚愕に彩られる。
「剣の一撃は内臓深くまで届いていました、それで生きているとは……」
「そこまで……」
「さらにはあの男の権能……元より人間、使鬼に耐えられる物ではありません」
「……」
「生きていたとしても廃人……いや制服が必要という事はまさか正気を保って?」
「いや……詳しくは聞いていない」
氷穂は己のうかつさを悟った。
使鬼・シラユキ。
戦闘に巻き込まれて、ビビッて失禁した臆病な使鬼とばかり思っていたが……。
人間を含め、生物には耐えられる限度と言うものがある。
精神力は関係ない、ある一定以上の負荷を掛けられれば、どんな人間だって壊れる。
そういう意味では、その一定以上の負荷をたやすく掛けられる、あの男の権能は恐るべき力であった。
もっとも……同輩の河野が大きく出世したせいか、自身の権能を過剰に過小評価していたようだが。
「恐らく、痛みに対するすさまじい耐性があるのでしょう……恐ろしいほどの訓練を受けたに違いありません」
「そんな訓練を伊達や酔狂で行うほどカンパニーも暇ではないね……蛇の件、まさか関係があるのか」
先の戦いの決定打となった「蛇」。
あれが敵兵を三百ほど殺戮したことが帝乃槍の士気崩壊に繋がったのだ。
機密保持もかねて、夜襲の結果だと、手柄を横取りすることにしたが……。
それとは別に……あの蛇が、シラユキだけを標的から外した事は疑問であった。
それまでは偶然という名の幸運だと決めつけていたが、その考えを氷穂は改めた。
自分が見た時には……香具山本部に運び込まれた時には、シラユキは無傷であったのだ。
「シラユキ周りに間者を……万が一、シラユキが術者であり、あの蛇が敵に回ると脅威だ……場合によっては始末も許可する」
「はっ……」
氷穂が厳命を下す。
味方には大して評価されていないシラユキ……雪月を、敵である氷穂は高く評価していた。
仲間ではなく、敵として。
人材としてではなく、脅威として。
雪月が知らぬ間に、彼の周りの包囲網は少しずつ狭まっていたのだ。
*****
香具山・半日後・雪月side―――
俺は今、陽菜と共にお風呂にいる。
(俺、何をしているんだろう……)
俺は今、裸にひん剥かれたあげく、ヒノキで作られたそれなりに整ったお風呂(穂乃香専用らしい……知るか)で陽菜に身体を洗われていた。
状況を整理しよう。
あの時、蛇を召喚して戦いに臨んだ俺はあっさり捕まり、痛めつけられたあげく、地面に丸まってガクガクと震えていた。
そこを氷穂の親衛隊に救助されたのだ。
痛めつけられた時に命乞い。
その上復讐は諦めるとのヘタレ発言。
あげくに、おもらしとは……本当にどうしようもない。
「熱くないですか……水で薄めましょうか?」
「……大丈夫です」
後ろから陽菜の心配そうな声が聞こえてくる。
ついで布のようなもので背中をごしごしと擦られる。
それ自体は気持ち良いのだが、堕ち行く俺のテンションを止めるには至らない。
ちなみに彼女は今、布(タオル?)一枚だけ巻いているだけだ。
俺を洗うのが長期戦になると踏んで、そういう形にしたらしい。
数週間ほど前の俺ならば、これが彼女の好意の現れであるとでも舞い上がっただろうが……多分、子ども扱いされているだけだ。
(これからどうしようか……)
俺には復讐するなんていう気力も能力も精神力もないことは証明済み。
が、果たして復讐もとい、ファッション・復讐を諦めて何をすると言うのか。
俺には蛇がいるが、あれを見せたところで、何か凄く評価されるよりは、それ相応の厳しい職務やノルマを課せられる可能性の方が高い。
カンパニーとはそういう場所だ。
あちらの世界と変わらない社畜人生……もう絶望しかない。
(考えろ、考えるんだ……ここで諦めるとマジで二度目の人生が……積む)
今まで流されるように生きていたが、目の前に崖を見せつけられると本気にもなる。
後ろで俺が無言でいることに不信感を抱いている陽菜を感じるが、彼女はすぐになぜか納得して、背中洗いを再開する。
え……もしかして、俺がたまにおかしなことをする人間だと勘違いしてない?
そんなことないですよ……?
思考がそれた……十二人の同窓生を一度に相手しても勝てない。
ならば各個撃破……十二人は本当に鉄の結束を誇る程に仲が良いか。
もしかして、この世界での与えられた地位の不均衡とかで、実は滅茶苦茶仲が悪いのではないだろうか。
そこに付け込めないだろう。
あるいは……俺の正体を晒して、打倒河野で協力……最後にはそいつも始末とか。
うむ……我ながらなんという知略、俺は天才か。
と言うよりも……俺を殺していい思いをしたことを少なからず罪悪感を覚えてぎくしゃくして貰わないとちょっと心情的にキツイんだけどな。
雪月……別にどうなっても構わないし、それよりこいつを売り飛ばしたお金でファミレスいかねぇ?……とか気楽な気分だと俺がもう立ち直れない。
「では……今度は前を」
「ああ、前は自分で洗うのでいいです」
背中だけで残りは断った俺に、しょんぼりとする陽菜。
ごめんね、俺中身子供じゃなくて中年の男なの。
一応、君年頃の女子だから、立ち直って正気に戻った俺はこれ以上は断らなくてはいけないの。
十年経ったらまた相手してね。
俺それまでほぼ確実に、彼女いない歴四十で童貞だから。
多分、陽菜はその時、俺なんかに見向きもしなくなるだろうけどさ。
(とはいうものの……ご機嫌取りも必要か)
河野ら十二人と接触するには情報と、何よりもコネが必要だ。
カンパニーの情報とコネをより大きく使用できそうなのは、間違いなく上司の陽菜であり、部下のリーネではない
取り入るのならば、陽菜……リーネは切ってよし(ただしあまり邪険にしてリーネを怒らせると女子団結フラグが立ち、陽菜も炎上してしまうため、そこら辺はうまくやろう)。
どんどんと愉しくなる復讐計画。
絶対に破滅へと向かっているであろう俺の第二の人生。
だがどうすることもできない。
もう、俺は崖から落ち、血と泥に手を染めてしまった。
もう戻れない。
(三百人ね……今度はうまくやらないとな)
じっと手を見る俺のスキをつこうとする陽菜を牽制し、身体を洗い終える。
部屋に戻ると、なぜか布団は一組。
やや顔を引き攣らせた俺は、そのまま抱き枕よろしく、陽菜にギューと抱きしめられてそのまま引きずりこまれた。
非常に暑苦しい。
陽菜から漂う日向のような匂いもその高温の前では霞んでしまう。
寝床について三十秒で睡魔に落ちた陽菜とは別に、俺はなかなか眠れない。
日向の匂いの次に感じた薬のようなツンとした匂い。
彼女はもしかして昨晩の戦いで、負傷していたのかもしれない。
「……」
熱さと朝という時刻、だと言うのに俺はいつの間にか、微睡み、陽菜と同じく眠りの世界に旅立っていった。




