record34 手当て
この話はサイドストーリーです。
読まなくても本編に直接の影響はありません。
どうしてこんなことになったのだろう。
目の前には佳奈がいる。
状況としては、佳奈と向き合うようにして浩介は椅子に座っていた。
そしてその彼女は、浩介の右腕を持ちながらも傷口を見てくれていた。
あの後、床をしっかりと綺麗にしてから今度は汚さないように帰ろうとしたら「手当てくらいならしてあげる」と佳奈から申し出てきてくれたのだ。
どうやら人が怪我しているのを見捨てられない性格らしい。
「っ! 痛いって! もっと優しくできないのかよ」
「ちょっと黙ってて! もう少しで終わるから」
湿布を張ると、それを固定するためにぐるぐると包帯で巻いていく。
その包帯を巻く強さが強すぎて、かなり痛い。
けれどそれも彼女の意図があってのことなのだろうと思い、黙っておくことにする。
――ったく、それより時間だってもうないってのに……。
そう思いつつも内心、浩介はこの状況を少しだけ良くも思っていた。
なんと言っても、同じ歳の女の子に傷の手当てをしてもらっているのだ。
普通なら願ってもない事態だ。
それに顔には絶対に出さないが、少しだけ佳奈の柔らかい肌の感触が伝わってきてドキッとくる。
さすがにこの状況に耐えきれなくなった浩介は他のことで気を紛らわせようと目線を別のところにやるが、自分の部屋とは違う景色が映る。
当然のこと、ここは佳奈の部屋だ。
だから余計に意識をしてしまう。
――あぁ、何も考えるな、浩介!
そう自分に言い聞かせながらも平静を装っていると、傷の処理をし終わった佳奈が顔を上げる。
「はい、これで終わり。どう? さっきよりはまだ少しいいでしょ?」
「確かに言われてみれば多少はいいかも。まあ治療中の痛さを除けばの話だが」
「それはしょうがないじゃない! だって、多分だけど骨も一緒に折れてる可能性があるんだもの……」
「なっ――」
嘘だろと叫びそうになり、ぎりぎりで思いとどまる。
さっき部屋で資料を見ていた時のことだが、手を動かすたびに痛みが走ったのを思い出したのだ。
「私も専門的な知識があるわけじゃないから絶対とは言い切れないけど、おそらく骨も折れているわ。あなた、床を拭くときに右手を曲げるだけでも痛そうな顔をしたでしょ。だから念のため、固定も含めて強めに巻いたの……だからその、痛いのはしょうがないの!」
佳奈の口調はきつめだが、浩介が痛そうにしていたことを意外にも気にしているのか表情はそれと異なっていた。
――なんだ、これじゃあまるで俺が我儘を言っているみたいじゃないか。
現に、佳奈が治療をしてくれたのは事実だし、文句を言ったのは自分だ。
それに彼女の言う通り骨が折れているのが本当なら、多少痛くても当然だ。
そう考えるとやはり自分の我儘としか思えない。
「あぁー、その、手当てしてくれたことに関しては感謝してる。それと痛くしたことを気にしてるなら平気だからな。俺も言うほどは気にしてないから」
「べ、別にそんなこと気にしてないわよ! さっきも言ったけど、痛いのは当然なんだから!」
顔を赤くしながらも、佳奈はそっぽを向いてしまう。
その仕草を見て、やっぱり気にしていたのかと浩介は確信する。
「あぁ、それは分かってる。自分じゃ気付けなかったと思うし、余計に悪化してたと思う。だから感謝してるよ、ありがとう」
「だ、だから、その……」
お礼を言われることに対してあまり免疫がないのか、途中まで言いかけて後半はごにょごにょと口ごもる佳奈。
そんな佳奈を見ていると、自分もこうも面と向かって女の子と話すのは久しぶりだなとふと思う。
まどかのことがあってからというもの、一定の女子と関係を持つことを避けてきたのだ。
簡単に言えば、女子自体と深く関わることに恐れを抱いていた。
また同じことが起こるのではないかと――。
浩介が感傷に浸っていると、いつの間にか復帰していた佳奈が訝しげに見つめてくる。
「それより、なんで骨折なんてしたのよ。ガラスで切るくらいならまだ納得はできるけど、普通骨折まではしないでしょ」
「いや、それは……」
まさか感情に任せてガラスを殴って骨折をしたなんて、恥ずかしくて言えない。
けれど他にいい理由も思い浮かばない。
正直に話すしかないと腹をくくったちょうどその時、佳奈が席を立ち上がる。
「言えないようなことなら別に無理して言わなくてもいいわ。じゃあそろそろ――」
と佳奈が言いかけた時、扉をノックする音が聞こえる。
続けて廊下側から声が聞こえてきた。
『良かったら最後だしみんなで食事を取ろうって話になったんだけど、佳奈ちゃんもどうかな?』
久遠の声だ。
なんていうタイミングで誘いに来るのだろうか。
ちょうど帰ろうという雰囲気になったところに来てしまうなんて……。
佳奈の方を見てみると、だんまりを決め込んだのか返事をしないままでいる。
――なるほど、居留守を使おうってことか。
確かに久遠からは、部屋の中に佳奈が居るかなんて分からないはずだ。
中の音は外へは聞こえないのだから。
さすがだと浩介が関心をしていると、久遠が予想外の言葉を口にする。
『佳奈ちゃん、居るのは分かってるんだからね。早く部屋から出てきて、一緒に食事をとろうよ!』
――なっ!? なんでバレてるんだ!?
声だって廊下には聞こえていないし、音だって漏れていないはずだ。
このままじゃまずいと思い佳奈を見るが、浩介とは対象的に涼しそうな表情をしていた。
――なんであいつはあんなに余裕な顔をしてられるんだよ!
「おい、どうするんだよ! このままじゃ完璧に変な疑いをかけられるぞ!」
浩介は小声で、けれど早口で佳奈に対して話した。
大きな声で話しても外に聞こえないと頭では分かっていたが、考えるより先に体が動いていた。
そもそも考える猶予など今はないのだ。
すると、佳奈はいつもと同じ声量で返事をしてくる。
「馬鹿ね、何を焦っているのよ。私が部屋に居るなんて知っているわけないじゃない。どうせ勘で言っているに決まっているわ」
「いや、でももし扉を開けられたらどうするんだよ! カギはかかってないんだぞ?」
「はぁ、部屋主が了承していないのに勝手に開けるわけないじゃない。それよりいつまで小声で喋ってるつもりよ。外に声は聞こえないのよ?」
「いや、でも……」
(久遠さんならそんなことを考えるような性格じゃない)
そう言葉を続けようとした時に、浩介の嫌な予感が的中する。
『そっちが来ないなら、こっちから開けちゃうからね? いいよね~?』
良くないですよ、久遠さん!
心の中で盛大にツッコミをいれながらも佳奈のことを横目で見ると、ありえないという表情をしたまま固まっていた。
――まあ、久遠さんが開ける前にカギを閉めちゃえば問題はないんだけどな。
そう思いすぐに行動に移そうと扉に近付こうとするが、それより先にノブが回る。
『もう入るよ~?』
やってしまった。まさか、こうも早く開けようとしてくるとは浩介も思っていなかった。
今から閉めに行っても、もう間に合わないだろう。
周りを見ても、自分が身を隠せるような場所は特に見当たらない。
信じてもらえないかもしれないが、正直にすべてを話すしかないか……。
そう考え、諦めモードに入ろうとした時、後ろから服の裾を引っ張られる。
「早くあそこに隠れて!」
「ん?」
この状況に及んでまだ何か策でもあるのだろうか。
後ろを振り向くと、佳奈がある場所を指さしていた。




