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異世界の君  作者: 戒
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01話 輪廻の道から外れる男

目を開けると、知らない草原にいた。


「……ここ、どこ?」


青い空。風に揺れる草。遠くには森が見える。


少なくとも、さっきまでいた白い場所ではない。


僕はしばらく空を見上げた。


覚えている。

僕は死んだ。


いつもの帰り道で事故に遭い、白い部屋で自分の死を知った。


人は死ねば、輪廻の輪へ戻る。


そこから、次の生へ向かう――らしい。


もちろん、生きていた頃から知っていたわけじゃない。


ただ、あの白い場所にいた時は、不思議とそういうものなのだと思えた。


愛さんに見送られて、僕もその流れに乗った。


……はずだった。


最後に言葉を交わした、愛さん。


「愛さん」


呼んでみる。


返事はない。


ポケットに手を入れる。

スマートフォンもない。


「……そりゃ、そうだよね」


分かっていたはずなのに、胸の奥が少しだけ冷えた。


愛さんは最後まで僕のそばにいてくれた。


『私は君の課題が落ち着くまで傍にいるよ』


約束を守ってくれた。


だから、もう――。


「……行こうか」


どこへ行けばいいのかは分からない。


とりあえず森には近づかない方がいいだろう。


知らない世界で、知らない森に入る。


どう考えても危ない。


僕は森とは反対方向へ歩き出した。



◇


「……なんで?」


しばらく歩いた僕の目の前には、森があった。


振り返る。


草原。


もう一度、前を見る。


森。


「僕、反対に歩いてたよね?」


誰に聞いても返事はない。


昔から方向感覚には自信がない。


いや、自信を持って「ない」と言える。


初めて行く場所ならまだしも、何度か通った道ですら迷う。


そのたびに愛さんへ連絡していた。


『また迷ったの?』


何度そう言われただろう。


「今度は迷わないようにするって言ったのになぁ」


死んだ直後から迷子になるとは思わなかった。


とはいえ、ここで立ち止まっていても仕方がない。


森の縁を歩けば、どこか人のいる場所へ出られるかもしれない。


そう考えて歩き出した直後だった。


草むらの向こうで、何かが動いた。


「……ん?」


丸い。半透明。緑色。


ぷるん、と揺れた。


「スライム?」


ゲームや物語で何度も見たことがある姿だ。


異世界なら定番中の定番。


「おお……本当にいるんだ」


一瞬だけ感動した。


次の瞬間。


スライムの身体が大きく震え、何かが飛んできた。


「うわっ!」


反射的に横へ跳ぶ。


僕がいた場所に液体が飛び散った。


じゅっ、と嫌な音がして、草が変色する。


近くの木の幹にも液体がかかり、表面から白い煙が上がった。


「……危ないやつじゃん!」


可愛い見た目に騙された。


スライムがこちらへ跳ねる。


僕には武器もない。

戦い方なんて当然知らない。


「逃げるしかないよね!」


森の中へ駆け込んだ。


さっきまで絶対に入らないつもりだった森へ。



◇


後ろから、草を押し分ける音が聞こえる。


「まだ来てる!?」


振り返る余裕はない。


木と木の間を抜け、枝を払い、ひたすら走る。


そのうち前方に、岩壁のようなものが見えた。


「行き止まり!?」


近づくと、人一人なら通れそうな細い隙間があった。


「ここしかない!」


身体を横にして、岩の間へ滑り込む。


服が岩肌に擦れる。


背後で何かがぶつかる音がした。


スライムは入ってこられないらしい。


「助かった……」


そのまま狭い道を進む。


数歩。

十数歩。


やがて光が見えた。


「出口?」


岩の隙間を抜ける。

そして――。


「……え?」


そこは森ではなかった。


崩れかけた石壁。


苔むした柱。


地面には、かつて床だったらしい石板が並んでいる。


「遺跡……?」


振り返る。

今通ってきたはずの場所を見る。


「…………」


壁だった。ただの石壁。隙間なんてどこにもない。


「いやいやいや」


触ってみる。


硬い。

叩いてみる。

硬い。


「僕、今ここから出てきたよね?」


答えてくれる愛さんはいない。


「……ここ、どこ?」


当然、返事はなかった。



◇


遺跡の中を歩いていると、人の声が聞こえた。


反射的に足を止める。


今度こそ、人だ。


三人。


剣を持った男。

杖を持った女性。

弓を背負った若い男。


向こうも僕を見つけ、驚いたように立ち止まった。


何かを言っている。


「……?」


日本語ではない。

なのに、不思議なことに。

何を言いたいのかは、なんとなく分かった。


――大丈夫か。


たぶん、そんな感じだ。


「大丈夫……です」


僕が答えると、三人が顔を見合わせた。


言葉そのものが通じているのかは分からない。


でも、意味はある程度伝わっているらしい。

僕は身振りを交えながら、森でスライムに追われ、岩の隙間を通ったらここへ出たことを説明した。


三人の顔がだんだん険しくなる。


「……え?」


彼らが何かを説明してくれる。


単語は分からない。

けれど。

この遺跡から一番近い町までは、普通なら歩いて一日ほどかかる。

そんな意味らしい。


「一日?」


一本指を立てる。

三人が頷く。


「いや、僕、さっきまで森にいたんだけど」


森の方角らしき場所を指す。

首を振られる。


「……また迷った?」


三人には意味が分からなかったらしい。

僕は自分を指さし、それからあちこち違う方向を指した。


「僕、すごく道に迷いやすくて」


なんとなく伝わったようだ。


三人はしばらく黙った。

剣の男が口を開く。

意味は完全には分からなかった。

ただ。


「いや、そういう問題じゃないだろ」


と言われた気がした。




◇


三人は町へ戻る途中だったらしい。


僕を放っておけないと判断したのか、一緒に連れて行ってくれることになった。

ありがたい。

本当にありがたい。

この世界で初めて会った人たちがまともな人で良かった。


最初は真ん中を歩かされていた。


僕が妙な方向へ行こうとすると誰かが止めてくれる。


やがて道が広くなり、危険も減ってきた。

最後には、三人の一番後ろを歩くことになった。


「さすがに一本道なら迷わないよね」


誰にも通じない独り言を呟く。

しばらくして、大きな門が見えた。


「町!」


思わず声が出た。

人がいる。

建物がある。

店らしきものも並んでいる。

魔法なのか、昼間なのに淡く光るランプもあった。


「異世界だ……」


三人は門を抜けると、人混みの中を進んでいく。

僕もついていく。

ついていった。


……はずだった。


一台の荷車が僕と三人の間を横切った。


「おっと」


少し立ち止まる。

荷車が通り過ぎる。

前を見る。


「…………」


三人がいない。


「え?」


左右を見る。

似たような装備の人が多い。


「さっきの人たち……?」


たしか、こっち。

いや、あっちだったかもしれない。


「……まあ、一本道みたいなものだし」


僕は人の流れを追った。



◇

「ここ、どこ?」


知らない路地にいた。

どうしてこうなった。

あの三人について歩いていただけだったはずだ。

町へ着いて数分。

もう迷子。

壁にもたれて空を見る。


「愛さん」


反射的に名前を呼んでいた。


道に迷った時。

何度も、何度も。

スマートフォンを取り出して、愛さんに聞いた。


今いる場所を伝えて。

目印を探して。

地図を見てもらって。


『また迷ったの?』


呆れた声で言われるところまでが、いつもの流れだった。


「…………」


でも今は、スマートフォンがない。

愛さんもいない。


「そっか」


急に静かになったような気がした。

さっきまであれほど賑やかだった町の音が遠くなる。


「……愛さん」


もう一度だけ呼んだ。


「君」


「…………え?」


聞こえた。

僕は顔を上げる。

路地の入口に誰かが立っていた。

女性。

僕より背が高い。

見覚えなんてあるはずがない。

なのに。


「やっぱり迷ってたんだね」


その声を、僕は知っていた。


「随分探したんだよ」


喉が動かない。


「……愛さん?」


「うん」


返事は、いつも通りだった。

僕はしばらく彼女を見上げた。

そこにいる。

声だけじゃない。

本当に、人の姿で。


「……愛さん、背ぇ高くない?」


「そこなの?」


「そこ大事でしょ?」


愛さんは数秒黙った。

そして、呆れたように笑った。


「君は、本当に君だね」



◇


「今度はちゃんと隣を歩いて」


「そんな子どもみたいな」


「数分で迷子になった人が言う?」


「……はい」


愛さんに連れられ、僕たちは大通りへ戻った。

彼女はこの世界の言葉を僕より理解しているらしい。

道を尋ねる時も、店の人と話す時も、僕よりずっと自然だった。


「愛さん、なんでそんなに分かるの?」


「なんとなく」


「僕よりずっと分かってるよね?」


「そうみたいだね」


「なんで?」


「私にも分からないことはあるよ」


聞き覚えのある答えだった。


「それ便利だよね」


「便利に使ってるのは君でしょ?」


否定できない。


やがて、大きな建物の前へ着いた。

看板には、剣と盾を組み合わせたような印が描かれている。


「ここ?」


「たぶん冒険者ギルド」


「たぶん?」


「文字はまだ全部分かるわけじゃないからね」


愛さんでも完全ではないらしい。


中へ入る。

広い。

受付がいくつか並び、その向こうには掲示板。

反対側は食堂のようになっていて、昼間から酒を飲んでいる人もいる。

僕たちがきょろきょろしていると、受付にいた若い女性が声をかけてきた。


新人なのだろうか。


少し緊張した様子はあるが、姿勢はきちんとしている。

愛さんが応対する。

僕は横でなんとなく話の流れを聞いていた。


その時。

入口の扉が勢いよく開いた。

三人組が飛び込んできた。


「あ」


さっきの三人だ。

三人とも明らかに焦っている。

受付の女性に何かを必死で説明している。

人を探している。


たぶん、僕だ。


「……申し訳ない」


言葉が通じるか分からないが、思わず呟いた。

受付の女性が彼らの話を聞いている間に、弓を背負った若い男がこちらを見た。

目が合う。


「…………」


「…………」


彼が指をさした。

三人が一斉に振り向く。


「あ」


僕は小さく手を上げた。

三人が駆け寄ってくる。

怒っている。

いや、怒っているというより、呆れと安堵が混ざっている。

剣の男が僕の肩を掴み、何かを言った。

意味は細かく分からない。


でも。


「どこ行ってたんだ!」


たぶん、そう言っている。


「いや、僕もそれが分からなくて」


三人が揃って頭を抱えた。


「ごめんなさい」


今度は頭を下げた。

すると三人の空気が少し緩んだ。

無事ならいい。

そんな感じだった。

本当にいい人たちだ。


受付の女性が今度は愛さんを見る。

誰なのか、と聞いているらしい。


「一緒に来た人です」


僕が言う。

愛さんが補足する。

受付の女性は少し不思議そうな顔をしたが、何かを書き留めた。


その様子を。


食堂の隅から、一人の男が見ていた。


大柄。

銀色に近い灰色の髪。

無精髭。

酒瓶を片手に、完全に出来上がっているように見える。


「…………」


目が合った。


男は酒を飲んだ。


「誰?」


「さあ?」


愛さんも知らないらしい。


受付の女性が何か困った顔をすると、食堂の方へ声をかけた。

どうやら、あの男を呼んでいる。

男は聞こえているはずなのに動かない。

もう一度呼ばれる。


「…………」


男は酒瓶を見た。

受付を見る。

僕たちを見る。

深いため息をついた。

そして酒瓶をテーブルへ置く。


「ったく……」


何か呟いたあと。

立ち上がった。


「仕事するか……」


その言葉だけは、なぜか意味が分かった気がした。

酒臭そうな大男が、こちらへ歩いてくる。


この時の僕はまだ知らなかった。

この酔っぱらいが。

この町の冒険者ギルドを預かる男――。

ギルドマスター、ギルド・マイスだということを。


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