真実
ルミエルとの訓練を終えたヴァーミリオンは、そのままルベルの執務室へ向かっていた。
普段なら乱れない足取りが、わずかに速い。
廊下に、硬い靴音が響く。
扉の前で一瞬だけ立ち止まり――間を置かずにノックした。
返事を待たず、扉を開ける。
「若様、失礼します」
机に向かっていたルベルが、書類から視線を上げた。
「なんだ? ルミエルに問題でもあったか?」
落ち着いた声。
だがその一言で、空気が張り詰める。
ヴァーミリオンは、ほんのわずか言葉を選び――
「……ええ、ありました」
ルベルは思わず立ち上がる。
「怪我か? それとも体調か?」
ヴァーミリオンは静かに首を横に振った。
「違います」
短い否定。
その声音に、ルベルはわずかに眉をひそめ――やがて椅子に腰を下ろす。
「……なら、なんだ」
ヴァーミリオンは一歩、踏み出した。
視線を逸らさない。
「確認させていただきたいことがあります」
一拍、間を置く。
「あの子についてです」
ルベルの指先が、ぴくりと動いた。
「……どういう意味だ」
低く抑えた声。
ヴァーミリオンは淡々と続ける。
「訓練中、違和感がありました」
「初めてのはずの動きに、迷いがない」
「まるで――」
わずかに言葉を切る。
「長く体に染みついたもののように」
沈黙。
ルベルの喉が、かすかに鳴る。
ヴァーミリオンはさらに踏み込む。
「これは才能では説明がつきません」
「……若様」
視線を突き刺す。
「あの子に、何を背負わせましたか」
ルベルの肩が、わずかに揺れた。
「……何の話だ」
否定の言葉。
だが――声は、震えていた。
「それだけでは、ありません」
ヴァーミリオンの声が、わずかに低くなる。
「あの魔力を見た瞬間――」
杖を握る手に、力がこもる。
「……懐かしいと、感じました」
静寂。
その一言が、重く沈む。
「それに……仕草や言葉の端々が」
ゆっくりと、言葉を落とす。
「かつて、私が失った娘に――酷似している」
ルベルの呼吸が止まった。
脇に控えていたエルが、静かにルベルを見る。
「主君……先生が知る資格はあります」
逃げ場を塞ぐような声音。
ルベルは額に手を当て、深く息を吐いた。
「……分かっている」
押し殺した声。
「分かっているが……」
言葉が、続かない。
ルベルは、言葉を選ぶように沈黙した。
そのわずかな間で、ヴァーミリオンは悟る。
隠されていたものの輪郭が、はっきりと浮かび上がる。
「……やはり、か」
かすれた声。
ルベルは目を伏せたまま、低く告げる。
「……否定はしない」
その一言で、全てが決まった。
ヴァーミリオンの指から、わずかに力が抜ける。
「先生の娘だ」
追い打ちのような言葉。
「ルミエルの中にいるのは――」
空気が凍る
ヴァーミリオンの顔から、血の気が引いていく。
思い出すのは――自分の言葉だ。
初めて対面した時。
あの子の視線に、違和感を覚えていた。
子どもとは思えない、あの落ち着き。
見透かすような眼差し。
それでも――
試すように、突き放した。
わざと冷たい言葉を選び、
距離を測るように、圧をかけた。
「……っ」
喉が詰まる。
あの時の自分の声が、頭の中で響く。
奴隷だった過去を――
責めた。
否定した。
切り捨てるように。
拳が、震える。
「私は……」
あの子の反応を、思い出す。
怒りでもない。
悲しみでもない。
ただ静かに――受け入れていた。
それが、余計に胸を抉る。
普段のヴァーミリオンが、ひどく小さく見えた。
ルベルは、その姿を見下ろしながら口を開く。
「……記憶も、近いうちに戻るかもしれない」
静かな一言。
だが、その意味は重い。
ヴァーミリオンが顔を上げる。
「それは……一体……」
声が、わずかに揺れる。
ルベルは視線を外さずに答えた。
「前例が現れた」
それ以上は語らない。
空気が張り詰める。
ヴァーミリオンは、わずかに息を呑んだ。
「……若様の話が本当なら」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「なぜ……分かるのですか」
「どうして、あの子が……あの娘だと」
沈黙。
ルベルは答えない。
ただ、目を伏せた。
「……契約だ」
低く、押し殺した声。
「それ以上は、話せない」
ヴァーミリオンは、口を噤んだ。
沈黙が落ちる。
ルベルは視線を外へ向けたまま、淡々と告げる。
「……嫌なら、教育係を降りてください。」
その言葉に、わずかな間。
ヴァーミリオンの指が、杖を強く握り締めた。
「――いえ」
短く、しかし迷いのない声。
「続けます。」
ルベルは何も言わない。
ただ、その返答を受け入れるように、わずかに視線を伏せた。
ヴァーミリオンは一礼し、踵を返す。
扉に手をかける、その一瞬だけ――
何かを言いかけて、やめた。
「……失礼します。」
静かに扉が閉まる。
部屋には、再び沈黙だけが残った。
――その頃。
屋敷の外では。
ルミエル達が、陽の下にいた。
気持ちのいい青空。
陽射しは柔らかく、風も穏やかだった。
――それでも。
ルミエルの表情は、硬いままだった。
「……やっぱり、帰らないと……」
小さな声が零れる。
その体は、レヴァントの腕の中にあった。
「部屋に閉じこもってりゃ安全ってか? 甘ぇな」
軽く言い放ちながら、レヴァントはそのまま歩く。
強引に連れ出された形だった。
後ろから、カリナとオニキスが追う。
「ルミエル様の言う通りですよぉ〜。ルベル様に怒られますぅ〜」
間延びした声。
だが、その目は笑っていない。
「……今は、命の危険もあります」
低く、抑えた声でオニキスが続ける。
「出歩かれるべきではありません」
そのまま前に出て――
レヴァントの進行を遮った。
足が止まる。
一瞬の静寂。
「どけ」
短い一言。
「――できません」
視線がぶつかる。
空気が張り詰めた。
次の瞬間――
レヴァントは、苛立ちを隠そうともせず、
オニキスの肩を掴み、強引に退けた。
「俺が付いてるんだ。嬢ちゃんには、傷一つつけさせやしない」
吐き捨てるように言って、レヴァントは歩みを速めた。
抱えられたままのルミエルの視界が、大きく揺れる。
「お前らは――自分達の心配でもしてろ」
その一言。
軽く放たれたはずの言葉が、
やけに耳に残った。
オニキスは眉をわずかに寄せる。
カリナも、何かを言いかけて――やめた。
風が、ひときわ強く吹き抜ける。
誰も、その意味を理解していなかった。
この時は、まだ。




