ローブの香り2
「お前に辛い想いをさせて、悪かった」
何に対して謝っているのかと、必死で頭を巡らせてみても分からない。
「なんの……話?」
「前世のリシェルを殺したのは、俺だから……」
「え……?」
「魔力感知の能力さえあれば、一線さえ越えなければ大丈夫だと思ってた。
本当は、もっと慎重に動くべきだったのに……あの時の俺は、甘かった。俺が判断を誤ったせいで、リシェルは……」
言葉に詰まるダリウスに、首を振る。
「違う!ダリウスだけの責任じゃない。私も、全く同じ考えだったから!」
「それでも、俺があの時もっと慎重に考えていれば、結果は違っていたはずだ。
前世を思い出してからは、あの時の自分を何度も責めた。
そして、もし今世でまた同じ状況になったら……って、ずっと考えていた」
私は、静かにダリウスの言葉に耳を傾けた。
「前世の俺は、力も立場もなくて……ただ、魔力感知ができるってだけで魔王の補佐にされた」
目を伏せ、ほんの一瞬だけ視線を落とした彼は、すぐにまっすぐ私を見据えた。
「でも今世は違う。
名門ヴァルシオン家の血を引き、頼れる仲間も大勢いる。そして、あの時にはなかった豊富な知識もある。
……なにより今世には、前世にはなかった共存共栄の動きがある。
そのお陰で、ここに通う多くの上級悪魔たちの天使に対するイメージが変わってきている。それは天使側も同じだろ?」
そう言われて、ふと中庭で見た天使と悪魔のカップルや、遠慮がちに挨拶を交わす天使と悪魔たちの姿が浮かぶ。
「まぁ、あの事件で水を差されたが、それでも決してゼロに戻ったわけじゃない。
世界は、確実に変わり始めている。
俺はお前を守りたい。でも……感情だけじゃ、また同じ結末になる。
だから、もしバレて最悪の事態が起こった時……どうするべきか。どこへ逃げるのかを考えていた。
何を備え、どう動けば、お前の笑顔までも守れるのかも」
ダリウス……
「そこまで考えた上で、俺は答えを出した。……リシェルのそばにいると」
熱い想いに胸の奥がギュっとなる。
嬉しい。
嬉しくて、ずっと我慢しているのに涙が溢れそうになる。
けど――
頭に詰まった記憶が、警告を鳴らしている。
前世、ダリウスの力をもってしても逃げ切れなかった。
呆気なく見つかり、引き裂かれた。
だから、状況が多少違うからって……そんな話……
「まだ納得できないって顔だな。いや……もしかして、理由は他にもあるのか?」
そう呟くと、私の瞳の奥を探るように見つめてくる。
その何もかもを見透かすような赤い瞳に、私はドキっとしてしまう。
「まさか……滅ぼしの子か?」
その瞬間、ドクンと大きく胸が鳴った。
「なるほど、な……天界では当然のように信じられているんだし当然か」
そう呟くと、捕まえていた腕を静かに離した。
「分かった」
ダリウスは大きく息を吐くように口にすると、それ以上は何も言わず、ただ背を向けて歩き出した。
けど――
その背中からは、何か言いたげな言葉の余韻が、ふわりと漂っていた気がした。
私はその場で崩れ落ちる。
それからというもの、私はダリウスの姿を一切見なくなった。
不思議に感じたけど、でも自然なことだと思った。
今は基本的に、天使と悪魔では教室のある建物も、食堂の使用時間も、寮さえも分けられている。
だからこそ、あれほど頻繁に彼を見かけていた日々のほうが、むしろ不自然だった。
そうは分かっていても、戸惑いが隠せなかった。
……これでよかった。
そう思おうとするたびに、どうしようもなく寂しくて、悲しくて、恋しくて……たまらなかった。
私は今、自分が望んだはずの沈黙の世界にいた。
毎日一度は開いてしまう、クロークの扉。
そこには、あの夜、咄嗟に持ち帰ってしまった彼のローブがまだ掛けられている。
手を伸ばして触れたとき、ふわりと彼の香りが鼻をかすめた。
それだけで、涙がこぼれた。
ローブをぎゅっと抱きしめながら、何度も、何度も泣いた。
けれど――
その香りは、日に日に少しずつ薄れていった。
それは、まるで私の中に残っていた彼の気配と同じようだと思った。
それが、なんだか怖くて、たまらなかった。
だから……私は変わらずローブに触れてしまう。
あの夜から、時間だけがやけに静かに淡々と過ぎていっている気がする。
彼に触れたい。
閉ざした自分の心。
もう、触れたくても、もう触れられないものばかり。
私はついに彼のローブを鍵付きの箱にしまい、ガチャンと鍵を閉めた。
「私……なんの為に生きているのかな……」
…………
……




