あなたのぬくもりの中で6
「丸い月……って、なんか懐かしいんだよな」
腕枕をしてくれているダリウスが、ふとカーテンの隙間に映る月を見上げて呟いた。
「……懐かしい?」
まだ身体のダルさも、火照りも抜けない私は、顔だけダリウスに向けた。
「ああ、魔界には月や星はないんだ。なのに、なんでか懐かしく感じるんだよな。遠い昔……ひどく長い間、夜空に浮かぶ月をただ眺めていたような……」
魔界に空は無いと聞いたことがあるけど、本当にそうなんだ。
そう思った時、ダリウスが、なぜか泣いているように見えた。
「……ダリウス?」
「ん。どうした?」
ゆっくりとこちらを振り向いたダリウスは、いつもと変わらぬ表情をしていた。
どうやら、私の見間違いだったらしい。
「おかしいよな。天界に来たのは、つい最近のはずなのにな」
「ダリウスは月にでも帰るの?」
私はふふっと笑う。
「今、おとぎ話みたいだと思っただろ」
「だって……」
どんな所なんだろう。
ダリウスが、育った場所は。
興味はあるけど、やっぱり知るのが怖い気がする。
「じゃあ、月を見てはお前を恋しくなる俺を、お前が攫ってくれるか?」
そんな事を真剣に言う彼に、一瞬吹き出してしまう。
「分かった。攫ってあげるわ」
そう言いながら、私は腕枕をしてくれているダリウスにぎゅっと抱きついた。
ダリウスは小さく笑う。
「……それ、攫ってるって言えるのか?」
「ふふ……」
お互いに体温を感じ合いながら、私はふと思う。
そういえば、私も妙に懐かしいと感じる事があったっけ……
「……そういえば、私もあったわ」
「ん?」
「妙に懐かしいって思ったこと。
入学式の日、門を見た時にね。初めてなのに、なぜか懐かしいって思ったの」
「へぇ」
「それで、何かに誘われるように歩いて行ったら……ダリウスがいた」
「俺?……ああ」
ダリウスは思い出したような声を出す。
「式の前に一瞬会ったよな。あの時は正直イラっとしたけど」
「え!?なんで!?」
「だってお前、俺を見るなり飛んで逃げてっただろ?『なんだコイツ』って思った」
「だ、だって、ちょうどチャイムが鳴ったし……。っていうか!ダリウスはなんであんな所にいたの?講堂とは真逆だったでしょ」
「なんとなく?」
しれっとした顔で言うダリウス。
「なんとなく?なんとなくであんな所行く?」
「……俺も、何かに誘われるように足が勝手に動いていた。あそこに立っていたら……何かが起こるような、そんな予感がしたんだ」
彼の視線が刺さった。
その瞬間、ドキっとしてしまう。
「な、何それ……」
ダリウスの言葉に、嬉しくてたまらなくなった。
だって、それが本当だったら、私たちは――
運命の赤い糸で、ずっと前から繋がっていたみたいだから。
そんなふうに考えたら、思わず口元が綻んだ。
「ふふっ……私達は出会うべきして出会ったのかもしれないよね。
私が入学するタイミングで、こんな異例の共学が決まって出会えたんだもの。しかも隣の席だったし」
「かもしれないな」
でも、それはダリウスだけじゃない。
本来なら一生交わるはずのなかった悪魔たちとも、今、この学院で同じ時間を過ごしている。
それは、ただの偶然じゃなくて、何か……運命的な意味があるのかもしれない。
けど、もしそれが運命なら……
あの小柄な悪魔は、処刑される運命だったの?
「どうした?」
ハッと気付くと、心配そうにのぞき込むダリウスがいた。
「……ダリウス」
「ん」
結局、私は何も出来なかった。
あの悪魔を助けることも、確かな証拠を見つけることも。
無力さが悔しくて、情けなくて――
天界は正しく清い世界。
なのに、こんなにも歪んで見えるんだろう。
『この世がもっと良かったら』
こう思ったのは、今回が初めてじゃない。
その願いの根っこは、もっと昔に芽生えていた気がする。
物心がついた頃には、もう感じていた。
説明のつかない不安や、周囲の天使たちへの言いようのない違和感。
夜になると、根拠もないのに「怖い」と思う日もあった。
まるで、天使たちがいつか私に矢を向けてくるような……そんな恐ろしさが、胸の奥から消えなかった。
でも、そもそも、なんでこんなにも不安なんだろう。
「私、時々……この世界の事が分からなくなるの」
「え?」
「なんだか分からないけど……天使の慈悲や思いやりが、時々、全くの嘘みたいに感じる時がある。……おかしいでしょ?そんなはず無いのに」
私は苦笑いを浮かべながらも、少しずつ自分の中の想いを言葉にしていった。
「昔から、理由の分からない不安に襲われる時があるの。
何がそんなに怖いのか自分でも分からないけど、世界すべてが敵になってしまうような、そんな感覚が……時々ふと湧き上がってくる」
思い出せない恐ろしい記憶のようなものが、胸の奥で疼くような感覚。
私は寒気を感じて、腕を抱くようにして二の腕を掴むと、すぐにダリウスが私を抱きしめた。
「でも、それってきっと……
天界には、まだ目に見えないひずみがあるって、私が感じ取っているからなのかも」
「ひずみ?」




