72. 領地経営とは
「まず、ここの領地経営について教えて欲しいんですけど」
ため息を吐いたトリスタンが簡潔に切り出したら、祖父はものすごく嫌そうな顔をした。
「なんでそんな顔を――一番大事なことでしょうに。領地は収支が合わないと潰れるんだから」
やる気のある跡継ぎだと喜ぶならばともかく、嫌な顔をされる理由がわからない。
「マリー、外してくれんかの、お前さんには聞かせられん」
そう言われてマリーが出て行くと、祖父は盗聴防止の魔術を使った。
ふう、とひとつ息を吐く。
「うちの領地経営はよそとは違う。収支が合わんでも潰れん。国の管理に戻されることもないが、ダンジョンの管理がうまくいかなければ国ごと亡ぶ――なんぞということも無きにしも非ず、じゃ」
「は?」
聞き間違いかと思って顔をしかめたら、祖父はますます嫌そうな顔をした。
「ダンジョンの魔素を吸って魔獣や魔物が成長し、魔素に触れることで魔法を使う人間も生まれる――それはわかっておるじゃろう? ダンジョンは階層に別れておって、深くなるほど魔素は濃くなり魔物も強くなる。最奥には魔王――最近では『ラスボス』なんぞと呼ぶやつもおる――がおって、あやつを倒すとダンジョンは消滅する。消滅すればそれまでじゃ。土地は平和になるが、魔素は湧かなくなり魔獣は消え、魔法を使う人間もやがていなくなる。国はそれを望んではおらん。つまり倒すわけにはいかん。
ただし、逆のことも起こる。ダンジョンは放置するとさらに強い魔物や魔獣を生み出すようになる――そやつらが他の魔物や入り込んだ人間を吸収して力を増し、魔王はその魔物を取り込んでさらに強くなってダンジョンを掘り進める――ダンジョンは深くなり、魔素を吸った魔獣は凶悪になる――繰り返すうちにやがて人の手では倒せなくなると言われておる。そうなればやはりいずれ国が亡ぶ。つまり放置するわけにもいかんのじゃよ。
そしてここから話すことはシュヘル家と王家、公爵家当主とその妻で許された者のみが知る内情――口外無用じゃ。トリスタン、お前はここの領主になったことじゃし、エリザベスはその妻じゃ。聞く義務がある。
いいか、王族と公爵家の奥方は妊娠するとここに来る――前回王妃が来た時は――王女が生まれる前――何年前じゃったかのう……とにかく護衛付きで潜れるギリギリのタイミングじゃった。腹の中にいるうちに魔素に触れさせる方が生まれてからよりずっと安全じゃからの。だから王族と公爵家の子どもたちは魔力が多い――そうやって魔力の強い子を育てているんじゃ。今はあの時よりだいぶ深くなっておるでの、万一があってはいかんから妊婦を入れるわけにはいかん――幸い今は王家にも公爵家にも妊婦はおらんが――王太子は十八じゃろう、将来に備えてできるだけ削っておきたい。それが現状じゃ」
祖父はそこでいったん言葉を切って息を吐いた。
そしてちらりと視線を送った先は、なぜかエリザベスだ。
「冒険者たちはダンジョンに入って魔獣を倒し、道具にするための素材を得たり魔石を得たりする。そうやって中の魔獣を減らし、素材を外に持ち出すことでダンジョン内の魔素を減らし、魔王の力を削ぐ。それはダンジョンの階層を減らして浅くすることにつながる。ダンジョンを含めたこの土地の管理、それがシュヘル家の責務じゃ」
そう言って祖父は口を閉じた。
一度エリザベスに目をやってから、伝えることはそれで全部だとでもいうような顔をして、トリスタンを見る。
なるほど、確かにこの領地とダンジョンはこの国にとって随分と重要な物らしい。
けれど、それだけではないはずだ。
『領主がダンジョンに潜って減らして来るのが本当』護衛のお兄さんがそう言っていた。
『血の繋がった子どもが複数できないうちはダンジョンには行かせられない』っていうのもあったし、領主について、『見えてるのが本物だと思うな』ってのもあった。『伯父がダンジョンに取り込まれた』っていうのも――聞いていないことがあり過ぎだ。
どこから聞いて行くべきか。
「ダンジョンに潜って魔獣を減らして調節するのが領主の仕事なんだろ? その話はないのか?」
トリスタンがとりあえず最初に思い出した気がかりを口に出したら、「ソフィアに聞いたのか!?」と、祖父が目を剥いた。
「いや、ここの酒場兼食堂みたいなとこで昨日聞いたから」
そのまま答えた。
エリザベスも頷く。
祖父は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「あんなに早く着くとは思わなんだから――油断したな」
ぼそっと言う。
「それは今のところお前の仕事には入っとらん。それについては説明もせん。お前にはダンジョンに入る権利がないでのう」
「どういうことだよ? 領主になった、ってさっきは言ったろう?」
口調が雑になったけれど、祖父に気にする様子は全くない。
「領主になったからといってすぐに引き継げない仕事もあるんじゃよ。経験も足りんし――とりあえず領主として登録はされたが、今のところは見習いといった状態じゃ。まずは住人や冒険者たちの意見を聞いて、ダンジョンの攻略がしやすい街づくりから。エリザベスもそうじゃが、領主夫人としてここの住人に顔を見せて、それから困りごとの内容を聞いて改善に努めてくれ。なにしろここに領主の妻としての女性がいなくなってからは、もう長い。――それにアーノルドの話では白魔法が使えるとか――治療院に寄ってみるのもいいかもしれん。改善点など探してな、なに、狭い街のことじゃし、皆歓迎してくれる。二人で一緒に見て回るといい」
「だけど説明するくらい――」
言い募ったトリスタンをじろりと睨む。
「今はせん。それにダンジョンに入れん以上は説明しても意味がない。いずれは入るにしても、少なくとも、もう少しダンジョンが浅くなるまでは危険は冒せん。この領地は血族による限定相続――この意味は分かるな? お前が死んだらその時点でエリザベスはわしの嫁じゃ。ふぉっふぉっふぉっ」
このジジイ全然笑えないことを楽しそうに。
言われた内容にぴし、と固まったエリザベスの肩を抱き寄せた。
それを見てまた祖父が高笑いをする。
「エリザベスも当面はダンジョンには近づくな――トリスタン、近づかせるなよ? 街中に行く時も、必ず二人一緒に行動するんじゃ。こんな辺境に嫁に来る娘がまずおらんことはもうわかっておるじゃろう? 逃げられたり攫われたりしたら次はおらんと思って――しかも白魔法使いで、特異体質――いや、隠さんでよいし、詳しくは話さんでよい。アーノルドの手紙にもあったし、わかっとるわい。ここは田舎で生活の便は悪いが、魔王の名前を利用してお前さんを保護することはできる――ダンジョンの管理をするわしらはいわば魔王の関係者じゃからの」
そう言うと今度はちょっと申し訳ない顔になった。
「ひ孫を望んどるのも否定せん。限定相続、とはそういう意味じゃ。正直に言えば今すぐにでも欲しい。今の状況は危険すぎるんじゃ。シュヘルの血を引く子どもが二、三人おればまた違うんじゃが、ソフィアは死んで、ルークが行方不明。今残っとるのはわしとトリスタンだけじゃ。わしの方は今さら子どもなんぞ残しとうはない――あの世の妻に申し開きもできんしな」
そこで一度小さく笑って、また眉を下げた。
「申し訳ないとは思っとる。美人なだけでのうて、能力もある娘じゃ。しかも公爵家の長女。本来ならエリザベスは自分の好きな相手を選ぶべきじゃと思う。誰でも選べる立場でありながら、問答無用でこんなところに来させたのは、わしらと国のため。トリスタンには適当な妻を四、五人程あてがってお前さんのことは自由にしてやりたいところじゃが、人材不足でのう……」
晴れ晴れとした笑顔に戻る。
「まあ、そういうわけで、そっちも大事な務めじゃと思ってひ孫の五、六人はがんばって――」
その言葉に、トリスタンまでがぎくりと身体を硬くした――。
さっきは二、三人おれば、って言ったのに。増えてる。
眉の下がったエリザベスを見て、トリスタンは慌てて祖父を止めた。
「そっちの口出しはいらないから!!」
「そうか? なら任せるが、とにかくどっちが欠けても困ると思って仲良くやれ」
ふぉっふぉっふぉっ、とまた高笑いをした後で、す、と真剣な顔になった。
「ところでの、頼みがあるんじゃが」
そう言って視線を送った先は――またエリザベスだ。
トリスタンが警戒する顔つきになって、こちらは首を傾げて訪ねる顔つきになったエリザベスに祖父がまた申し訳ない顔をする。
「わしはもう歳でのう――体調が思わしくないことがよくあるんじゃ。そこでの、昨日のあれを週に二回ほどやってもらうわけにはいかんかのう……」
昨日の、というのは魔力をごっそり抜かれたあれのことだと思う。
驚きで目を丸くしたエリザベスにホルストは力のない笑いを見せた。
「昨日のあれで腰痛がだいぶ良くなってのう……できれば目も耳も、もう少しまともに働くようにならんものかと」
本当に申し訳ないのじゃが、と追加で言われれば、断る理由はない――はずではあるのだけれど。
トリスタンの眉が寄った。
「それは、もちろんかまいません。でもあの、私だけだとそんなに頻繁にはできないんです。昨日もトリスタンが魔力を分けてくれたのでこうしていますけど……」
エリザベスも少し躊躇う言葉だ。
なにしろあの減り具合だ。エリザベス一人だったら、回復するまでしばらく寝込んだかもしれない、と思う。
「そうか! お前たちは魔力のやり取りができるのか、それはええことじゃ、わしとしても安心できる」
祖父は笑顔になったけれど――大丈夫なのか。
「僕の方は平気だけど――エリザベスに分けるぶんくらいなら問題ないし一日で戻る――だけど、あれだけの魔力を使う治癒っていったい――」
「なにせ歳じゃで、あちこちボロボロなんじゃ」
祖父は急いでそう言うと、今度は「ひっひっひ」と、妖怪じみた笑い声をあげた。
「じゃが多少の時間稼ぎにはなる」
そう言って、またエリザベスを見たその目だけが酷く真剣だった。




