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世界の終りまで君と  作者: 佑
第一部 第三章 悪役令嬢の理由
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51. 悪役令嬢への道(花嫁修業)

 今日も誰にも怪しまれることなく、用事を言いつけられた使用人のフリをして学院の敷地内から出ることができた。

 まあ、学院長と門番のうち二人には王家から『ウィルベリー公爵令嬢の外出には理由があるため、万一気がついても見なかったことにするように』と内々に連絡が行っており、その門番の担当の日を選んで抜け出しているのではあるが。


 流しの馬車に声をかけ、パートリッジ公爵家の近くまで乗せてもらう。

 おろしてもらった場所には、既にくせ毛の黒髪をした少年が立っていた。


「おはよう、トリスタン。迎えに来てくれてありがとう」

「……おはよ。今日は何をやるの?」

「午前中は畑の手入れで、午後は子豚の丸焼きと桃のタルトよ」


 そう言うと、トリスタンの目が細くなった。


「畑はいいけど、子豚ってそれ、大丈夫なの? 僕、近くにいた方がいいやつ?」


 かなり引き気味に質問された。


「昨日のうちに処理してあるはずだから、大丈夫。でもこの前みたいに厨房で鳩が飛ばないように一応気をつけるわ」

「……ふふっ」


 新年度が始まって四カ月。


 ようやくトリスタンが笑ってくれるようになった。


 長年の逃亡生活の後だけに、パートリッジ公爵家に戻って来たトリスタンはかなり警戒している様子だった。実際、エリザベスが初めてトリスタンに会ったのは彼が戻ってきてから一か月が過ぎた頃だったし。


 学院内でトリスタンに会うことは殆どなく、会うのはパートリッジ家で家事全般を習う時が殆ど。それだって廊下ですれ違うとかで、なかなか仲よくなれなかった。


 祖父の言いつけで、エリザベスが流しの馬車を降りることになっている場所から――その場所は時々変わる――パートリッジ邸まで、そして帰りの馬車を捕まえるまで、は必ず送り迎えをしてくれるけれど、寡黙で必要のないことは話さないし、いつも俯いているし遠慮がちだ。


 それでも並んで歩きだせば歩調も合わせてくれるし会話を振れば応えてくれるから、こちらのことを気にかけてくれているのはわかる。


 エリザベスはそんな彼に会える日を、いつか魔王情報を聞けるかもしれないという目論見抜きで、けっこう楽しみにしていた。

 目の色がナイトによく似た金色だというだけで最初から好感度は高かったし、祖父の助手として夜中に呼びだされたというのに、図書館で寝過ごしたエリザベスを一言も責めなかった。

 それにエリザベスならではの失敗をしっかりカバーしてくれたこともある。


 ……エリザベスの失敗、それは、料理長が首を落として羽を毟ろうとした鳩の一羽に、つい同情してしまったことで起こった。


 はっと気がついた時には死にかけていたはずの真っ白い鳩は元気に復活して調理場を飛び回っていた。もちろん調理場は大騒ぎになって――たまたま近くにいたトリスタンが氷魔法で落としてくれた。それから用事がある、と適当な理由をつけてエリザベスを引っ張り出し、とりあえず鳩が全部『ちゃんと』死ぬまでその場から引き離しておいてくれた。


 あまり驚いていなかったように見えたので、祖父からエリザベスの魔法適性のことを聞いていたのだと思う。

 エリザベスを厨房に戻す前にトリスタンは、ちょっと困ったような顔をして「新しい使い魔が欲しかったの?」と一言だけ聞いた。


 あの鳩のことだろうか――まさか、と首を振るエリザベスを見てトリスタンはなぜかほっとした顔をして、そこで初めて笑顔になった。


「夕ご飯、楽しみにしてる」


 一言そう追加してどこかにいってしまう背中をしばらく呆然と見送った。


 嬉しかった。

 自分の作る料理を喜んでくれる人がいるというのはいいものだ。

 それにナイトと同じような金の瞳が笑ったせいで、なんとなく、ナイトも元気でいるような気がした。

 それに、夜は夢見もよかった。


「ね、トリスタンは桃は好き? この前のコンポート、どうだった?」


 歩きながら話す。


 三日前に来た時、メインは香草を摺り込んで皮を飴色に焼き上げた鳩のロースト(この日は飛ばれることなく無事調理できた)だったけれど、デザートは桃のコンポートだった。微かにピンクで、白ワインの香りがほんのり残った状態に仕上げて帰った。

 一つ持ち帰って寮の冷蔵庫で冷やして食べたけれど、なかなか美味しくできていたと思う。


「……桃は、好きだよ。あと、美味しかった」


 よしっ。


「……それに、香りもよかったし、色もきれいだった」


 よしよしっ。


「豚肉は……好き?」

「……好きだけど、食べるなら飛んだり鳴いたりしないやつがいい」


 ふふっ、とまたやわらかく笑う。


「私も。食べるならちゃんと火が通っている方がいいわ」


 二人で小さく笑い合った。


 公爵家まで歩き、玄関先で別れる。


 エリザベスはそこから中に入り、公爵家の使用人の制服に着替え、使用人たちに交じって生活の知恵を学ぶ。

 トリスタンの方は祖父のところに行って魔法や魔術具、魔獣の勉強――に加えて、やはり生活の知恵を教えてもらっているらしい。逃亡生活中の暮らしと今の暮らしの差を埋めるために。けっこう忙しそうだ。



 ~~~~~~



 トリスタンは先月から男爵領の母方の祖父ホルスト・エルク・シュヘルとの手紙のやり取りを始めていた。

 祖父には今も親指にはめたままのシグネットリングをもらった時に会ったきりで、顔も会話の内容も覚えていない。――ただ、普段はめったなことでは領地を離れないのだ、と母が言っていた。


 トリスタンは祖父に送る最初の手紙に、アーノルドの勧めで「自分が住むことになるはずの土地とそこに住む人々、そこにある『ダンジョン』のことを教えて欲しい」と書き、「好きな人と一緒にそこで生きるために『魔王』の名前を利用した」ことやその経緯も正直に書き記した。


 祖父からの返信は簡潔で「『絶対に』逃がすな。必ず二人で来い」とだけ書かれており、追いかけるように翌日「こちらに戻る日を楽しみに待っている。この辺りは長閑だが、魔物がけっこう強い。農業と畜産業のスキルは重要。狩猟の腕も重宝される。人々は温厚で親切だが冒険者も多く、中にはならず者もいる。『ダンジョン』は潜った方が早いが危険なので潜るときには仲間が必要になる。卒業までに友人を作れ。重ねて言うが彼女は『絶対に』逃がすな。『魔王』の名前なら好きなだけ利用して構わない」と書かれた手紙と、それとは別にパートリッジの祖父宛の手紙が届いた。

 そちらの中身は知らないけれど、ものすごく珍しいことに、それから二日ほどパートリッジの祖父が静かで、なんだか気落ちしているように見えた。まあ、その後の一週間ほどは怒っていたので、手紙のせいではなかったのかもしれないけれど。


 もちろん、エリザベスのことは絶対に連れて帰るつもりでいるけれど、『絶対に』ということは貧乏男爵家はやはり嫁不足らしい。公爵家の令嬢であるエリザベスが満足するような暮らしをさせることはあきらかに無理だろう、そう思って小さく息を吐いた。

 『魔王』の名前を利用するのは構わない、という返事にはものすごくほっとした。

 戦いや狩猟の実技については、祖父に相談して二つ上の兄ディミトリに頼んでナイジェルに話を通してもらい、弓と剣の扱いを教えてもらうことになった。

 初めて扱う武器の類。上達はなかなか難しいようだけれど、ナイジェルは嫌な顔一つせずに引き受けてくれた。


 そしてエリザベスの習得科目にもさりげなく『菜園の作り方』と『動物の世話の仕方』が加わった。祖父の手回しだ。


 必然的にトリスタンは学院で過ごす時間が増え、エリザベスの方はパートリッジ家で過ごす時間が増えた。朝晩の送り迎えが難しくなるところだったのだが、そこは祖父が王家に了承を得て、パートリッジ家と学院を繋ぐ特別な扉を内密に設置させてもらえることになった。

 実際はトリスタンのためのもので、学院内に簡単に転移ができるよう、トリスタンと祖父だけが抜けられるように設定されているのだが、パートリッジの兄弟たちが問題を起こした際に祖父が駆け付けやすいから、という表向きの名目で申請されて――その日のうちに許可された。


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