24. 苦悩
「あの王子様、反則なのよ!」
寮の自室に入ってドアを閉めると、頬を押さえてエリザベス(十二歳)は大きく息を吐いてから文句を言い始めた。
「だいたい、この世界がおかしいのよ! あんなに対策したのに、どうして王子様に追いかけられなくちゃいけないの!? それに、王子様だって王子様よ! あきらかに避けられてるんだから、とっとと諦めればいいのよ!!」
そう言いつつも頬が緩む。
「私も私よ、なんで簡単に騙されそうになるわけ? あんな言葉は全部嘘っぱちなんだから、信じちゃダメよ! ね、ナイト! そうよね!?」
肯定の印に何度も頷く使い魔を撫でて大きく息を吐く――。
学院に入学した日から、ほぼ毎日変わらない行動。
「だいたい乙女ゲーの世界なんていうものにはね、転生しちゃいけないのよ! だって右を見ても左を見てもイケメンじゃない! しかも私のポジションは最悪なのよ? 悪役令嬢で相手はメイン攻略者中のメイン! 王子様なんだから。
あとでこっぴどく振られるってわかってるんだから絆されちゃダメ!! 喜んじゃダメ!! 信じたらダメ!! ハッピーエンディングは来ないのよ!? 期待しちゃダメ!! しっかりして、エリザベスっ!」
ぱしぱし、と頬を叩く。
それでもつい、今日のウィリアム王子の動画を甘い台詞付きで脳内再生してしまった。
「そんなにつれなくしないで。仲良くなりたいんだ」
「怒った顔もかわいいけど、困った顔もかわいいんだよ。でも、笑った顔が見たいな」
「『はい』って言ってくれる日を待ってるよ」
ベッドに倒れ込んで悶える。
はあ。
ゲーム画面のイケメンじゃなくて、直で、言われるイケメンからの甘い言葉の攻撃力はゲームの倍どころじゃない。比例係数は二ではなく、四か、八か、……十かもしれない。
未来は破局だってわかっていなかったらとっくにこっちが攻略されている。とっくに婚約者だ。
立ち上がって鏡を見る。
「いい、エリザベス? 父親にも義母親にも愛されていないんだから、あなたは愛情に飢えてる。甘い言葉には人一倍――いいえ、五倍くらい引っ掛かりやすいの! 愛されたい、守られたいって思っちゃうのよ! そこが敵の狙い目なんだから、引っ掛かっちゃダメ! サリーが入学してきたら絶対豹変するんだから! あれはあなたの相手じゃないのよ!」
頬が赤い。目も潤んでる。
情けない思いでその眉間に指を突きつけた。
「ダメよ。信じようとしないで。姉から妹に乗り換えるような人なんだから、絶対頭の中は空っぽよ? それに、たとえ甘い言葉にドキドキしたって、それは好きってことじゃないでしょ? 恋愛じゃない。間違えちゃダメよ。私はちゃんと私を大切にしてくれる人を探すの」
そこにコンコンッとノックの音が響いて、エリザベスは大急ぎで乱れた心と髪の毛を整えた。
「はい、どなた?」
三秒前までの姿など欠片も交ざらない落ちついた声で応える。
「エリザベス様に、ですって。ウィリアム王子から」
ドアを開けた少女の頬が染まっている。差し出したのは赤いバラが一輪。
「『今夜、バラ色の夢を見られるように』ですって」
「う……」
あくまでも感情を交えない声でちらりと目をやるにとどめることができたと思う。
部屋を出ながら受け取って、そのまま食堂まで行ってそこにある花びんに挿す。
部屋に置くつもりはなかった。釣られるつもりもない。
こぼれる長々しいため息は見せかけのものではなかった。
「こんなはずじゃなかったのに……」
このひと月の出来事を思い返し、もう一つため息を吐く。
~~~~~~
入学式の日、エリザベスはプラチナブロンドの髪をくすんだ灰色に変えて式に参加していた。
できるだけ目立たないように、席も後ろの方を選んで座った。
前の方には攻略対象者のキラキラしい男の子たちがいるのがわかったけれど、壇上には在校生を代表して歓迎のあいさつをするために王太子がいたので、俯いて顔を上げず、間違っても目が合ったりしないように気をつけた。
式は滞りなく進み、帰宅するために保護者が退場した。
新入生はこれから教師とともに学院内を見学し、設備の使用についての説明を受けて寮に帰る予定であるとアナウンスがあり、これで一安心――エリザベスはほっと安堵の息を吐いた。
が、その直後。
新入生名簿を確認していた教師の一人が驚きの声とともに立ち上がって隣の教師に名簿を示しながら何か言った。
隣の教師がさらに隣の教師に何か言って、その後で数名の教師が名簿をのぞき込んだと思ったら、全員男女別に一列に並ばされ、順に壇上にあがるようにと指示された。
女性教師の一人が手を一振りして門のようなものを出現させる。
そして男子から一人ずつそこを通り抜けるようにと指示された。
まず男子が通り抜けた――全員、何事もなく。
何かを訝しむ様子の教師たちに促され、女子生徒たちも通り抜け始めた直後、小さな悲鳴があがった。
何事かとあたりがざわつく。
燃えるような赤毛の女の子がしゃがみ込んでいた。教師が立たせて、席に着かせる。
そして少し列が進んだところでまたかん高い悲鳴があがった。今度は男の子たちの笑う声も聞こえた。
何が起こっているのかと伸び上がって前方を見てみる――通り抜けることを拒否しようとした子が一人、教師に追い立てられるようにくぐり抜けたその途端、顔を押さえて走って出て行った。
エリザベスはどういうことかと眉を寄せたけれど、理由はすぐにわかった――次に通るのを嫌がった子の髪の毛が、通り抜けた途端に綺麗な金色から濃い茶色に変わったからだ。半泣きになっている。
息を呑んで自分の髪の毛を押さえた。
あれでわかった。あの門はおそらく通り抜けた者を本来の姿に戻す魔術具――。
教師たちは誰一人として逃すつもりはないらしく、泣きそうな顔をした子がまた一人、観念したように通り抜けて、アフロのように膨らんでクルクルになった茶色の巻き毛を真っ赤になって押さえた。男の子たちの笑い声が響く。
同学年男子の前で女子のメイクを剥がしたりアフロ並みの天パをバラすとは――なんて恐ろしく残酷な魔術具。
エリザベスも忌々しく思いながら黒い門をちらりと見上げたものの、どうしようもない。
下を向いたまま通り抜けると、せっかく目立たないように染めたエリザベスの髪色も元の美しいプラチナブロンドに戻った。
驚いた教師に「なぜ髪色を偽っていたのか」と聞かれて、とっさに「妹と遊んでいたら落ちなくなったのでそのまま登校しました」とごまかしはしたのだけれど……。
「それなら戻ってよかったわね。エリザベス・ローレン・ウィルベリー」
女教師がにこやかにそう言った。
その言葉には特になんの意図もなさそうだった――けれど。
外見が変わったのは女子ばかり。
見た目的に悪い方に戻ることが多い子たちの中で、いい方に変わったのはエリザベスだけで、門を通り抜ける間もできるだけ目立たないように俯いていたのに、完全に男子生徒の注意を引いてしまった。
教師のせいで名前も全員に知られてしまった。いずれバレるとはわかっていたけれど、名字付きで呼ばれたせいで、初日だというのに自分が公爵家の娘だということもバレた。
しかも、腹立たしいことに、そこには在校生を代表して歓迎の言葉を述べた王太子がまだいて――スタスタとエリザベスのところまで歩いて来たと思ったら、突然顎の下に指を入れ、くっと顔を上げさせたのだった。
至近距離から超美形の王子によって注がれる揺るぎもしない視線と『顎くい』に、エリザベスの心臓がすごい勢いで鼓動を打った。膝が震え、頬に血が上ったのは、もう条件反射だったとしかいえない。
ただでさえ何度もプレイしたお気に入りのゲーム。その中でも王道の王太子。
驚いたように見開いている瞳はサファイアブルー。柔らかそうにさらりと揺れる金の髪。
形のいい眉とすっと通った鼻筋。少し薄い唇が微かに開いているのはこれも驚いているからか――そして顎の角度も完璧。
「……」
声も出せず見つめ合う。
なに、これ。
これがゲームの強制力ですか――!?




