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10話

『ぐっ……』


 喉が焼ける様に熱い。アシュレイの細く白い指が、薄い皮膚をかきむしる。


『申し訳ありません。貴女には、死んでいただきます』

 ためらいがまるで無い、無機質な男の声がする。


『ど……し、て……』

 アシュレイはかすれた声で、今更どうにもならない事を問いかけた。


 朦朧とする意識の中で、ローエンはにっこりと微笑む。


『戦争は儲かりますので』




「いやーーーーーーーーーっ!!」

 悪夢を見て、アシュレイは飛び起きた。その勢いで、隣で眠っていたミシェールは床に転がり落ちる。


「いやーーーーっ!!なんで!? どうして!?」

「ちょ、ちょっと何よ。アシュレイ、どうしたの?」


 頭を抱えて叫んでいる従姉妹を、ミシェールはそっと抱きしめた。


「何か怖い夢でも見たの?」


「ろ、ローエンさんに殺される……夢を見たの」


「あーーーーーーーーー」


 ミシェールはアシュレイの告白に対し、間延びした声を上げた。


「あれでしょ?戦争は儲かりますから〜って言って毒殺された?」

「そ、それ、それそれそれ」


 何故知っているのと訝しげな視線を向けると、ミシェールはアシュレイを見下ろし、ニヤリと笑った。


「だってそれ、ローエンのバッドエンドだもん。戦争の火種にするために、毒殺されちゃうんだよね〜」


 けろりと吐かれた言葉に、顔が引きつる。そんな人だと思わなかったのに……とアシュレイは唇を噛んだ。


「あ、でも昨日も言ったけど、本当にこれクソゲーだからさ。そのバッドエンドは無理やり感あるから、シナリオの被害者って事であんまウケが良くないんだよね」


 進行をミスしなければそのルートには行かない。アシュレイにはミシェールの言っていることが相変わらず理解できなかったが、ひとまずは自信ありげな従姉妹の言葉を信じる事にした。



 身支度をしてダイニングへ向かうと、眩しいほどの日差しの中でリカルドが新聞を読んでいる。


「おはよう、僕の子豚ちゃんたち。食っちゃ寝して大きくなりたまえ」


 朝の爽やかな空気の中、朝食の席での彼の第一声はそれだった。


「お父様ったら。相変わらず口が悪いわ。黙っていればスチルみたいだったのに」


「スチルと言うのは、お嬢様の世界で『物語の中の印象的な場面を絵画にしたもの』を指します」

 背後に立ったフェリックスが、そっと注釈をつけてくれた。


「あ、ありがとう」


 彼は暗殺者だと言っていた。この人も『間違え』たら私を手にかけるのかしら、とアシュレイは冷や汗が流れるのを感じた。フェリックスはその恐れを感じ取ったのか「ご心配なさらずとも、彼女の味方である限りあなたもまた、私のお使えするお嬢様ですよ」と告げて去っていった。



 ラングレス侯爵家の朝食は豪華だった。サラダ一つとっても、素材の味が違う。どうせ悪事に利用されるのならとことん贅沢してやると、アシュレイはカリカリに焼かれたベーコンを口に含みながら誓う。


「食事の作法は、細かいところを覚え直せばなんとかなりそうだね。アンドレアの教育の賜物かな」


 リカルドは初対面の時に感じたよりは大分優しい口調で語りかけた。アンドレアは家では普通だが、外での礼儀作法、特に食べ方には厳しかった。食い意地が張っているのと、食事のマナーは別物なのだ。



「アシュレイ、ミソスープを飲んでみて頂戴。わたくしが開発させたミソという調味料を使っているの」


 ミシェールが卓上のスープに言及する。薄茶色の液体に、溶いた卵が浮いている。てっきりコンソメかと思っていたが、違う様だ。


「では遠慮なく」

 スープを口に含む。確かにに変わった味がするが、どことなく懐かしい味だ。


「大豆……かしら?」

 アシュレイは、ふと脳内に浮かんだ言葉を口にした。


「まあ!よく分かるわね。アシュレイって、味覚が鋭いのね。いいわ、いいわよ!今回は知的キャラで行きましょう!」


 ミシェールはアシュレイの事を勘違いしている。ただ適当な事を言っただけなのだ。


「それは無理だと思うわ……」

 期待を裏切って大変申し訳ないが、アシュレイは見てくれは良い方だと自負はあるが、頭の方は大したことがなく、真面目にやってギリギリ中の上くらいだと思っている。


「ミシェールはこう見えても地元では才女で通っているから、君も頑張らなくちゃね。食事が終わったら、一から教育を受けてもらうよ」


 リカルドの余計な一言で、アシュレイの気分は重くなった。



 食後、宣言通りに侯爵令嬢に偽装するための特訓が始まった。まずはダンス。シックなデイドレスとダンスシューズに着替えてホールへ向かう。


「ダンスの練習をするのなら、最初からこの服で食事を取ればよかったのでは?」

「アシュレイのそう言う現実的な所、結構好きよ」


 二人で語りながら扉を開けると、中ではリカルドが仁王立ちしていた。


「よく来たね、子猫ちゃんたち。僕は厳しいよ?」


「リカルド様がレッスンの先生なのですか?」

「そうだよ?外部からコーチを招いて、ボロが出たら困るだろう。ちなみに、僕の事はお義父さまと呼ぶ様に」


 地獄のレッスンが始まった。親子が手本を見せ、アシュレイがそれを実践する。まったく二人の動きについていけないが、アシュレイにも意地がある。目を白黒させながら、必死に食らいついた。


 そのうち、気力より足に限界が来る。


「お、お義父さま、靴ずれが……」

「うーん。さすがはラングレスの血。根性がある。優雅さはまったくないけれど、それも『らしい』かな」


 褒められているのか貶されているのかわからず愛想笑いをしていると、ノックの音が聞こえた。


「旦那様。『孔雀』が来ました。お嬢様の予言通りです」

「昨日の今日でもう来たのか?本当に暇人だな……」


 リカルドとフェリックスは、連れ立って部屋を出ていった。


 二人きりになったダンスホールで、アシュレイは従姉妹に問いかける。


「孔雀、って?」


「シュヴェリーン大公」


「えっ」


「上から見られるはずよ。行きましょう」


 ミシェールに手を引かれ、連れてこられた屋根裏部屋の窓から顔を出すと、薔薇の咲き乱れる庭で二人の男性が会話している様子が見えた。


「本当は、あれもイベントシーンなんだけどね。初恋の君に似た女性を見かけた大公が、探し当てて屋敷に来るの」


「えっ怖い」

「ねえ? 怖いでしょう? しかも、チョロいと見せかけて結構曲者なのよね」

「ちなみに孔雀って、服が派手だから?」


 ミシェールは無言で、庭の片隅を指した。芝生の上で、孔雀が散歩している。


「うちのペットの鳥みたいに、見た目だけ良くてフラフラしてるから」


 アシュレイは吹き出しそうになるのをグッと堪えた。


「私が名付けたの。ちなみにお父様は『馬』でフェリックスが『梟』よ」


 ミシェールが言うには、攻略相手にはそれぞれモチーフとなる動物が割り振られていたらしい。リカルドの『馬』はミシェールが勝手に当てはめたものだと言う。


「他の人の事も聞きたい?」


 そう問いかけるミシェールの瞳はきらきらと輝いていて、自分よりよほど魅力的だとアシュレイは思った。


「変な印象がつきそうだから、やめておくわ」


 消極的なアシュレイの返答を、ミシェールは好意的に捉えた様で、「あなたが誰を選ぶのか、とても楽しみだわ」と無邪気な顔で微笑んだ。









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