CASE:011-4 とりまがいの姿見
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −
4-1. 虚言
「イタズラよ……」
環奈の声は震えていた。彼女は視線を床に落とし、か細い声で続ける。
「ただみんなを驚かせたかっただけよ。だって、見ての通り、誰も怪我なんてしてないじゃない……」
彼女の言葉は必死だったが、その言い訳はあまりに不自然で、そこにいる全員が困惑を深めるだけだった。拓巳は困惑した顔で環奈を見つめ、理紗は言葉を失い呆然としている。誰も環奈の言葉を信じていないことは明らかだった。しかし宇津木だけは、冷笑を浮かべながら彼女を庇うように口を挟んだ。
「まあ、誰も怪我をしてないならそれでいいんじゃないか?」
その寛容すぎる態度が却って不気味であり、透真の内心にはさらに疑念が深まっていく。宇津木の唇に浮かぶ微笑は穏やかであるにもかかわらず、その瞳の奥には隠しきれない悪意の色が垣間見えた。
透真は環奈の言い逃れを黙って聞いた後、静かに頭を振った。
「そうじゃない。あの現場には明らかに誰かが鏡の下敷きになっていた痕跡がある。そしてなぜスピーカーを使ってまで時間差のトリックを行ったか。殺人を事故に偽装する為だ。しかし、誰も怪我すらしておらず全員が揃っている。にわかには信じ難いが、殺された誰かと入れ替わっている人物がいる、としか考えられない」
透真は再び淡々と、ラグの圧痕、傷、血痕について指摘した。その説明は冷静かつ正確で、反論の余地を一切与えなかった。そして先程はあえて言わなかったある点を指摘した。
「鏡には顔を押しつけたような皮脂痕がある。これがその部分の拡大写真だ。この皮脂痕をよく見れば、眼鏡のテンプル部分が綺麗に抜けている。眼鏡を使用しているのは俺と宇津木の二人だけ。このテンプル幅……セルフレームの眼鏡を使っているのは宇津木、お前だけだ。つまり、鏡の下敷きになりこの場所に倒れていたのは宇津木、お前以外にありえない」
その冷徹な宣言に、空気が凍りつくような沈黙が広がった。環奈の顔は完全に血の気を失い、絶句したまま虚ろな視線を落としていた。拓巳と理紗はその言葉を理解した瞬間、激しく動揺し、理紗は小さく悲鳴を上げるように口元を覆った。だが宇津木だけは、初めて表情を硬くし、不愉快そうに眉をひそめて透真を睨みつけた。
「何を言ってるんだ? 俺はここにいるじゃないか。誰かが変装でもしてるようにみえるか?」
その強い主張は、誰の耳にも奇妙なほど空虚に響いた。宇津木の目には焦りにも似た色が浮かんでいるが、すぐに冷静を装った微笑みに変わった。しかし透真は一切動じることなく、氷のような冷静さで明言した。
「ここで宇津木誠は殺された。これは動かしようのない事実だ。」
その言葉が響いた瞬間、食堂は静寂に満たされ、全員が動きを止めた。誰もが透真の告げた真実を理解しきれず、ただその場に硬直したまま、重く息を呑んだ。
4-2. 凶行
──それはほんの数時間前の出来事だった。薄暗い洗面所で、宇津木は薄笑いを浮かべながら環奈を壁際まで追い詰めていた。彼の口元にはいつもの軽薄さが浮かんでいたが、その目の奥には隠しようのない悪意が滲み出している。
「まだ怯えてるんだな。あの写真のこと、拓巳にはちゃんと話したのか?」
宇津木の声は囁きに近く、ねっとりと環奈の心を締め上げていくようだった。彼の口から出る『あの写真』という単語が、環奈の胸の奥に鋭く刺さり、忘れたつもりの痛みをじくじくと呼び覚ました。
大学時代、些細な口論から腹いせに撮られた写真。それは彼女を脅迫し、拓巳との仲を裂こうとした卑劣な写真だった。環奈は唇を噛み締め、怒りと屈辱の狭間で激しく震えていた。宇津木はその表情を楽しむように、さらに囁いた。
「なあ環奈、お前、あの時本気で怯えてたよな?あの写真ばら撒くって言われたときの顔、今でも忘れられないぜ。なあ、拓巳に見せてやろうか?お前がどんな顔していたか」
その瞬間、環奈の中で何かが音を立てて切れた。理性を失った彼女の手は無意識のうちに、洗面台に飾られていた真鍮製の重厚な燭台に伸びていた。次の瞬間には、彼女はそれを掴み、背を向けて笑い続ける宇津木の後頭部に反射的に振り下ろしていた。
鈍い音がして、宇津木の身体が崩れ落ちた。その瞬間はあまりに呆気なく、静かだった。環奈は荒い息をつきながら、自分のしたことを理解できずに立ち尽くしていた。
足元で宇津木はぴくりとも動かない。環奈は膝をつき、震える指先を宇津木の頸動脈に当てた。脈はなく、呼吸も止まっている。その現実を受け入れた途端、彼女の身体は激しく震えだした。
冷たい汗が背筋を伝い、パニックが環奈を襲った。だがそのパニックの中で、事故に見せかけることだけを考え始める。震える手で宇津木の身体を鏡の前に横たえ、その姿見を固定していた鎖を外し、自分でも驚くほどの力で鏡を支えながら宇津木の身体に倒し覆いかぶせる。手にした凶器を宇津木の頭のそばに慎重に置く。鏡が倒れてきて手に持っていた燭台を床に落とし、鏡に圧し潰され倒れた拍子に頭を打ちつけたように。
それから環奈は洗面所の扉をそっと閉め、簡易錠をコインで回し閉めた。震える指でスマートフォンを取り出し、重量物か倒れる音声ファイルをダウンロードした。そして自室からBluetoothスピーカーを持ち出し、洗面所のすぐ外の観葉植物の陰に隠し設置した。
環奈は息を整え、何食わぬ顔をして食堂に戻る。心臓は未だに狂ったように暴れていたが、彼女はそれを押し殺し、静かに待った──自分の作り出した『事故』を、機能させる為に。
4-3. 反証
透真は静かに視線を上げ、宇津木をじっと見据えた。
「お前が本物の宇津木なら、説明できないことがある。お前、さっきからずっと左手を使っているが、宇津木誠は右利きだ。食事の時も、集合写真を撮ったときのグラスも、だ。スマートフォンのロック解除の時は妙に手間取っていたな。見ていた限り、正しいパターンを入力する前に左右対称のパターンを入力していたようだが」
透真が理沙に昔の集合写真を出すように促す。理沙がスマートフォンで写真を開くと、そこには確かに右手でグラスを持つ宇津木が写っていた。透真の淡々とした指摘に、宇津木は微かな動揺を見せ始めた。
「それに、さっきお前は大学時代の話をした時、夏の合宿を箱根だと言ったな。あの時俺たちが行ったのは日光だった。しかもその時、お前は参加していなかった。箱根にも行ったが翌年の冬だ。なぜそんなことを間違える?」
透真の指摘に宇津木の目が微かに泳ぎ始めた。他のメンバーもその矛盾に気づき、環奈と拓巳、理紗が顔を見合わせ、不安げに囁き合った。
「あいつ、本当に宇津木なのか……?」
その囁きは波紋のように広がり、食堂に疑念と恐怖が浸透し始めていた。
その時、宇津木が突如として椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その顔には激しい怒りが溢れ、声は怒号に近かった。
「バカバカしい! 俺は今、生きている! それが絶対的な事実だ!」
彼は食堂を去り、足音を乱暴に響かせて廊下を歩き去った。食堂に残された者たちは戸惑いと動揺を隠せず、重苦しい沈黙が彼らを包み込んだ。透真だけが冷静に清水に向き直り、静かな声で告げる。
「白洲が何もしないように見ていてくれ。俺は宇津木を追う」
透真はそのまま静かに席を立ち、宇津木が消えた廊下へ向かって歩き出した。
4-4. 虚像
透真が洗面所に入ると、偽宇津木は起こされた鏡の前に佇んでいた。その姿は影のように薄く見え、どこか現実離れした不気味さを帯びている。彼は鏡越しに透真を見つめ、冷たく問いかけた。
「お前、いつから気づいてた?」
透真は静かに答えた。
「最初から──お前が現れた時からだ」
短いやり取りの後、透真はさらに言葉を重ねた。
「俺の『透視』は便利すぎる。表向きにはこうやって探偵ごっこでもしないと、不信を招くだけだからな」
偽宇津木は冷笑し、その瞳に悪意が灯った。
「──探偵ごっこは面白かったか?」
透真は冷たく言葉を返す。
「お前は鏡が生み出した虚像に過ぎない。いくら本物らしく振る舞っても、所詮は鏡の中の影だ」
二人の間に張り詰めた緊迫感が、まるで破砕寸前のガラスのように張り詰めていた。
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