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CASE:002-1 きさらぎ駅

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

1-1. 遠景


 ──夏の午後。

 陽炎が立ち上るアスファルトのように、空気が微かに揺れていた。

窓の外では、セミの声すら遠く、乾いた空に溶けていく。白く伸びる新幹線の軌道。その先に、まだ見ぬ街がある。


 南雲(なぐも)美優(みゆ)は座席の背にもたれ、眠るでもなく目を細め、車窓を流れる景色をただ眺めていた。畑と工場の混在する静岡の平野。緩やかな丘と、時折現れる赤茶けた屋根が、規則も秩序もなく過ぎていく。車内には、エアコンの風と読書灯の電子音だけが静かに満ちていた。彼女の周囲の乗客は皆、スマホに視線を落とすか、浅い眠りに落ちている。


(そろそろ、浜松か)


 そう思いながら、手元のスマホの地図アプリに目を落とす。地名の漢字が、規則正しく南下していく。白い指先がスクロールし、指先で弾いた駅名が心のどこかに引っかかる。


「……ついに来たか」


 誰にともなく、美優はぽつりとつぶやいた。

 その声に、隣の席の中年男性が一瞬だけ視線を上げたが、すぐに興味を失って本へと目を戻す。


 美優は再び窓の外へと視線を戻す。

 夏の陽射しは強いが、車内の空調が心地よく、眠気を誘う。その眠気を追い払うように、内ポケットから小さな紙の束──ネズミ式神の依代──を取り出した。


(こいつをきさらぎ駅に送り込めば、何かわかるかもしれない……ってわけね)


 式神に式神を託される。

 そんな奇妙なやりとりをするのは、特対室ぐらいのものだろう。半透明の和紙に描かれた鼠の輪郭が、車内の光でわずかに透けていた。まるで、今にも動き出しそうな気配すらある。


 ──特異事案対策室。

 美優がその一員になったのは、まだそれほど昔ではない。それでも、すでにこの奇妙な日常に慣れてしまっている自分に、少しだけ苦笑した。


「きさらぎ駅の出現条件を絞る……か」


 車窓に映る自分の顔は、思ったより真剣だった。ネットの海で語られる都市伝説──存在しないはずの駅、きさらぎ駅。異界に迷い込んだ誰かが、そこから帰還することは稀で、帰還しても正気を保っている者はいない。


 だが、美優は知っている。


 その駅はただの噂ではない。

 特対室には、既にいくつかの報告が上がっていた。共通するのは、「遠州鉄道さぎの宮駅手前」という断片的な情報。


 だからこそ、美優は選ばれた。

 土地勘もない、まったく無名の若者──言い換えれば、"目立たない"駒。


(研修、兼実験台、ってとこかな)


 それでも、美優は抵抗感を抱いていない。おそらく、彼女のどこか深い部分で、こうなることを期待していたのかもしれない。日常では決して触れられない、どこか別の世界への扉。それが現実に開くかもしれないという期待感。


 ──ゴウン、と車体がゆっくりと揺れた。


 車内放送が流れ、新幹線が減速を始めたことを告げる。やがてホームの照明が視界に差し込み、鉄の柱がリズムを刻むように通り過ぎていく。


 浜松駅。

 静岡県西部の中核都市。地方都市にしては規模が大きく、国内の名だたるメーカーの発祥の地でもある。駅前には駅ビル「メイワン」や「遠鉄百貨店」などが並ぶ、工業と商業と生活が交錯する空間。


 美優は窓越しにそれを見ながら、静かに肩を伸ばした。

 ここから、きさらぎ駅の調査が始まる。


 そして──この街で、何が待っているのか。

 それは、誰にもわからなかった。



1-2. 閉域


 浜松。静岡県西部の中核都市──と、パンフレットにはそう書かれている。


 けれど、実際に駅に降り立ってみると、美優の胸に浮かんできた言葉は、もっと率直なものだった。


(……静かすぎない?)


 もちろん東京のような喧騒はない。かといって、地方の小都市にありがちな素朴な賑わいとも少し違う。駅前には人の流れがある。ビルも立ち並んでいる。けれどそのすべてが、どこか上滑りしているような印象を与えてくる。


 足元を見下ろしながら、美優はコロコロとキャリーケースを転がす。目の前には「メイワン」と呼ばれる駅ビル。そしてその隣には「遠鉄百貨店」の巨大な壁面がそびえていた。


 ファッションフロア、レストラン街、イベントスペース──都市の機能は一通り揃っているはずなのに、どうしても都市としての「熱気」が感じられない。


 その違和感を持て余しながら、彼女はふと呟いた。


「……遠鉄百貨店って、遠州鉄道が経営してるんだよね」


 そう考えた途端、奇妙なイメージが脳裏に浮かぶ。

 この都市全体が、見えない遠鉄グループの手によってそっと囲い込まれているような感覚。鉄道、百貨店、不動産、交通インフラ──気がつけば街の骨格をその手に収めている資本の影。


(ここまでやってるのか……そうか、資本の力で街を乗っ取る気なのでは……)


 ──陰謀論か。


 自嘲気味に笑って、美優は思わず顔を伏せた。

 特対室に所属してからというもの、こういう視点が自然と身につき始めているのが恐ろしい。そのうち、本気でアルミホイルキャップを被りだすんじゃないかと、自分で自分が心配になる。


 通りに沿って、洒落た個人経営のカフェや居酒屋が並んでいた。だが、どの店も店構えは似たり寄ったりで、均質な地方都市の型を出ていない。


 表情がない。そう、美優は感じた。どの街にもある、画一的で均整の取れた「便利な空間」。だがそれが、却って何かを覆い隠しているようにも思えた。


 この街には、空気そのものに"閉じている"という感覚があった。


(都会の喧騒もない。田舎の開放感もない。……中途半端で、どこか不自然)


 風景に染みついた無言の圧力。それが、美優の背中をそっと撫でていく。


「うーん……微妙」


 口をついて出た失礼な感想は、率直すぎて誰かに聞かれていたら怒られそうだった。だが、それがこの街に対する正直な第一印象だった。それでも、特対室の任務は果たさねばならない。


 キャリーケースを引いたまま、美優はゆっくりと駅前へ向かって歩き出した。

目的はひとつ──「きさらぎ駅」についての聞き込み。


 だが、問題はすぐに顕在化した。


 通りすがりの若者に声をかける。制服姿の高校生、スマホを見ながら歩く大学生風の青年。どれも反応は同じだった。


「すみません、遠州鉄道で変な噂とか聞いたことないですか?」

「え? 変な噂?」

「例えば……きさらぎ駅とか」

「きさらぎ? なんすか、それ」


 ──まったく通じない。


 予想していた反応とは程遠い。

 インターネット上ではあれほど有名な都市伝説であるにもかかわらず、この土地に根差しているはずの若者たちは、その名前すら聞いたことがないという。


 美優は唇を引き結んだ。


(おかしい。ネットでは有名なはずなのに……)


 数人に尋ねてみたが、どの反応も似たようなものだった。それどころか、「そんな駅、聞いたこともない」と明言されたときには、言いようのない不安が背筋を這い上がった。まるでこの街では、「きさらぎ駅」という単語そのものが存在しない言葉であるかのようだった。


 彼女の周囲だけが、異なる辞書を持っている。

 そのことが、静かに、だが確実に、美優の警戒心を刺激していた。



1-3. 異界感


 少しモヤついた気持ちを抱えたまま、美優は人通りの多い歩道を歩いていた。

熱気を含んだ風がコンクリートの隙間から立ち上り、アスファルトに足を取られるたびに、気怠い感覚が全身を包み込んでいく。


 街は、変わらずそこにあった。駅前のロータリー、規格通りの商業ビル、信号待ちで立ち止まる人々。どれもが都市のテンプレートをなぞるような風景だった。


 ──なのに。


 ふと視界の端に、何かが引っかかった。


「……あっ、ここ映画のシーンで見た場所だ」


 それは、電柱に巻き付けられた広告だったか、角を曲がった先に見えた古びた看板だったか。美優にも、正確に何がきっかけだったのかはわからない。ただ、確信のような感覚が脳裏に焼きついた。


 気づけば、街の表情が変わっていた。


 ローカルな風景のはずなのに、どこか見覚えのある構図。歩道のタイルの配列、店舗の並び、曇りガラスに反射する夕陽の角度。そう、それはたしかにスクリーンの中で見たものだった。ロケ地特有の、現実と虚構の境界が曖昧になる感覚。


「……映画で見た世界の中にいるみたい」


 美優は、ぼそりと呟いた。


 人々は変わらず行き交い、車は信号に従って進み止まる。

 それでも、この街だけが別のレイヤーに乗っているように感じられる。


──いや、違う。


 これは"映画の中に入った"のではない。むしろ、"映画がこの街の中に滲み出している"のだ。街そのものが、虚構と現実の中間にある"異質な空間"として存在している。だからこそ、ロケ地として選ばれるのではないか。人の目には映らない、曖昧な"異界感"に満ちたこの街が。


 そのことに気づいた瞬間、美優の背筋をひやりと冷たい感覚が走った。第六感が、静かに──だが確実に、反応していた。


 何かに引かれるようにして、美優の足が自然と動き出す。

 視線が、無意識にある一点へと吸い寄せられる。

 それは、感情や思考とは別の、もっと根源的な「本能」に近かった。


 ──まるで見えない手に導かれるように。


 曲がり角をひとつ抜けた先に、ふと漂ってきた甘い香りが鼻をくすぐる。

 その瞬間、美優は立ち止まり、ぽつりと呟いた。


「パンケーキ……パンケーキが私を呼んでるの……?」


 その言葉は冗談めかしていたが、どこか抗えない吸引力があった。まるで“選ばれし者”だけに差し出された甘美な罠のように、その香りは街の空気に紛れながら彼女を誘う。


 美優の視線の先に、その店はあった。


 ──「レ・ブルーマンカフェ」。


 外壁にはお洒落なフォントで描かれた控えめなロゴ。

 少し奥まった入口には数段の階段と、手描きの看板。

 扉の窓からは、ふんわりとした生地にとろけるバターを乗せたパンケーキが映る写真が見えていた。


 違和感。異物感。なのに、美優の心はすでに、そこに抗う意思を手放していた。


 扉に手をかける。


「入らなきゃ」


 小さく息を吸い込むと、美優はためらいなくそのカフェの中へと足を踏み入れた。



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