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CASE:023-4 白独りの巫女

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

4-1. 顕現


 ──何かが、動いた。境内の篝火はまだ燃え続けていた。太鼓も笛も止み、祭りは名残の静けさに包まれている。村人たちは余韻のように杯をまわし、立ち話をし、白い蛾の群れを見上げていた。

 灯里は、風の温度に違和感を覚えていた。夜気の底に、異物のような脈動。生き物の息吹ではない、境界そのものが軋む気配。雷蔵が振り向く。

「どうした」

 灯里は小さく首を振り、目を細めた。

「……揺れてるわ。山のほう」

「廃神社か?」

「ええ。あそこに、何かが触れた」

 言い終える前に、灯里は歩き出していた。篝火の赤が後ろで揺れ、湿った夜風が衣の裾を叩く。雷蔵は深くため息をつき、懐中電灯を手に続いた。

 山道は、闇が濃かった。夜露を吸った土は柔らかく、靴底が沈むたびにぐじゅりと音を立てる。虫の声はなく、代わりに時折微かな翅音が木々の間を渡っていく。白蛾が、導くように先へ飛んでいった。


 やがて、廃神社の鳥居が見えてきた。朱はすっかり褪せ、苔に覆われている。灯里は鳥居の前で足を止めた。空気が違っていた。風が止まり、世界の輪郭がわずかに歪んでいる。灯里は掌を掲げ、境界を感じ取る。


 ──軋む。静かな悲鳴のような音。結界が誰かに内側から押されていた。

「轟さん、開けるわ」

「開ける?」

「この境界──中で燃えてる」

 雷蔵は一歩踏み出し、懐中電灯の光を鳥居の奥に向けた。その瞬間、光の輪の中に『白』が立っていた。


 白独りの巫女。炎に包まれた衣が風に翻り、髪は灰となりながらも形を保ち揺らめいている。顔はない、空洞のように黒い。声もなく、ただ立ち尽くしていた。火は彼女の身体を焼き尽くすことなく、皮膚の上を這い、静かに形を保っている。

「燃えているのに、消えねぇ」

 雷蔵は唸るように呟き、懐中電灯の光を少し下げた。灯里は鳥居をくぐる。足元の苔が焦げており、灰が風に舞う。巫女はその動きに反応せず、まるで映像の残響のように揺れている。


 灯里が手を伸ばした。指先が光の中をすり抜ける。しかし同時に、脳の奥を強い衝撃が貫いた。──視界が、反転する。


 炎の轟音。哭く声。

 見知らぬ時代の村。巫女の身体が火に包まれ、人々の祈りの声が重なる。焼け焦げた皮膚の下で、蛾が羽化する。巫女は声を上げることなく、ただ燃えながら空へ昇っていく。やがて山は静まり、人々はその白い群れを、感謝と畏敬を以て『供養』した。その灰は再びシロヒトリの種となり、数年の後に羽ばたく。


 繰り返し。人々はシロヒトリの群れが現れる度、「厄災から守られた」と感謝と畏敬をもち『供養』した。だが、シロヒトリは巫女なのだ。焼かれるたびに灰は蛾の種となり、再び形を成す。誰も、もう終わっていることを知らない。災厄はとうに去っているのに、人々は『供養』を続けた。祈りが儀式を支え、儀式が巫女を縛った。灯里は息を呑み、我に返る。巫女はまだそこにいた。同じ姿勢で、同じ炎をまとい、同じ無表情のまま燃え続けている。


「……これは、供養じゃない」

 言葉が自然に漏れた。雷蔵が静かに言う。

「そうか。じゃあ、何だ」

 灯里はゆっくりと首を振った。

「──再演。あの夜を……巫女が焼かれた夜を、何度も繰り返してる」

「儀式が怪異を生んでるってわけか」

「ええ。巫女は呼ばれて、燃やされて、また蛾として撒かれて……。祈りが続く限り、終わらない」

 雷蔵は鳥居の柱に手を置き、空を見上げた。星はない。代わりに、白い粒がゆっくり降っている。蛾の翅だ。それが夜気に光り、境界の中へと吸い込まれていく。

「この山にとって、巫女はもういらねぇってことか」

 灯里は頷いた。

「災厄はもうない。けれど人の側が、まだ信じてる。その信仰が、彼女を燃やし続けてる」

「信仰が拷問か。……皮肉なもんだ」


 巫女の姿がゆらぎ、輪郭が崩れていく。炎が一瞬強まり、内部の空洞が透けた。そこには骨も肉もなく、ただ白い翅が幾層にも絡み合っていた。その翅が破れ、無数の白い粒が空へ昇ろうとしている。

 雷蔵はしばらく黙っていた。遠く、村のほうから太鼓の音がかすかに聞こえる。まだ、祭りは続いていた。

「それは置いておいて、こいつがどういう意図かは知らねぇが、人を襲っちまったのは事実だ。『人』ではなく『山』を護る為に余所者をやっちまったのか──まぁ、この際どうでもいい」

 灯里は立ち上がり、鳥居の上を見上げた。夜空に一条の光が走り、稲光が遠くの雲を照らす。

「轟さん」

「……終わらせる番だな」

 風が吹き、焼け跡の灰が舞い、灯里の頬をかすめた。その一片の中に、まだ熱を帯びた白い翅があった。彼女はそれを指先で受け止める。翅は微かに震えている。鳥居の奥では、灰の下から巨大な白い蛾が一匹、這い出そうとしていた。



4-2. 終幕


 空が裂けた。怒りを孕んだ、天地そのものの悲鳴。雷蔵の右腕が光に包まれ、空気が焼けた匂いを放つ。灯里は一歩下がり、掌を合わせた。境界が音を立てて閉じていく。内と外の世界を隔て、逃げ道を断つ。


 鳥居の奥──燃え残りの灰の中から、最後の『シロヒトリ』が立ち上がった。

 輪郭は崩れ、目も口もなく、ただ形だけとなり、苦痛と再生を繰り返し続ける巫女。炎を纏い、蛾の翅を震わせながら歩み出る。灯里は唇を噛んだ。

「──もう、祈りの届かないところへ」

 雷蔵の声が低く響く。

「──『雷獄』」

 稲妻が地を割った。轟音とともに純白の光が爆ぜる。炎も風も、音さえも消し飛び、世界は一瞬で白に染まる。巫女は逃げなかった。ただ立ち尽くし、光の中に溶けた。プラズマが発生し、生臭いオゾン臭が立ち込める。骨も灰も、蛾の翅も塵すら残っていなかった。空気の震えだけが一度だけ波紋のように広がり、そして消えた。


 静寂。山が息を止めた。

 灯里は境界を閉じ切り、掌を下ろす。

「──終わったわ」

 雷蔵は無言で頷き、焦げた地面に視線を落とした。


 そこには、何もなかった。灰も、祈りの残骸も。

 完全な無。

 風が吹き抜ける。

 夜が戻った。白も炎も、すべて過去になった。

 ふたりは振り返らず、鳥居をくぐり下山した。

 背後では、もう蛾一匹飛び立つこともなかった。


 集落は穏やかだった。山の奥に落ちた雷を話題にしながらも、老人たちは祭りの片付けを始めていた。「今年も祭りが恙無く済んだ」「これで子や孫も安心して眠れる」そう言って、かつて山を鎮めたという巫女に感謝し笑い合った。


 雷蔵は少し離れた場所で立ち止まり、煙草に火をつけた。雷獄で焼けた掌が疼く。火種が小さく弾け、白い煙が空に溶ける。遠くで鳥が、空の白みを告げる。新しい朝が始まろうとしていた。


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