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CASE:023-2 白独りの巫女

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

2-1. 伝承


 雨上がりの道を抜けると、空の色が変わった。雲の切れ間から覗く陽光が山肌を照らし、霧が白く流れていく。車の窓を開けると、湿った草と土の匂いが一気に流れ込んだ。道幅は狭くなり、端末の電波はアンテナ表示一本だけを残して消えた。

「都会の音が、全部途切れたわ」

 灯里がつぶやく。彼女の声は車内の静寂を撫でるように柔らかく、それでいてどこか遠くのものを聴いているようでもあった。雷蔵はハンドルを握ったまま前を見据える。

「地図だと、この先の集落が車で行ける最後の補給地点だな。そこから山の神社までは徒歩だ」

「白独りの巫女の舞台ね」

「名前だけ聞くと、まるで芝居だな」

「芝居かもしれないわ。演じ続けさせられている誰かが、いるなら」

 雷蔵は短く鼻を鳴らした。車のエンジン音が、雨を含んだ山の空気に吸い込まれていく。


 山間の小さな集落──木の外壁が雨に濡れ、どの家も煤けた瓦を載せている。商店のシャッターには定休日の札が貼られたまま。軒先に吊るされた風鈴が、湿り気を帯びて頼りなく鳴っている。舗装が所々ひび割れた通りを歩くと、遠くでカラスが鳴いた。その声が、山全体にこだまのように響いている。


 村役場の近く、雷蔵が在る建物の前に立ち止まった。壁のくすんだタイルには「駐在所」と文字がある。扉を叩くと、中から高齢の警官が顔を出した。雷蔵が警察手帳を見せると、警官は訝しげに手帳と雷蔵の顔を交互に見た。

「本部の方かい? あの山ん中で行方不明になったって話なら、もう何人目になるか」

 警官の声は掠れていたが、そこには諦めが混じっていた。雷蔵がメモ帳を開く。

「最近、山に入った者は?」

「若ぇのが何人か。あと、都会からの写真家だの配信者だのが増えてな。あの辺りは迷いやすい。道も獣道みてぇだから土地勘がねぇもんが夜に入れば、そりゃあ遭難もする」

「ただの遭難じゃ片づかねぇ話だ」

「わしらだって、好んで近づくもんじゃねぇ。……この時期は特にな」


 灯里が首を傾げた。

「この時期?」

 警官は短く黙り、視線を逸らした。

「……白蛾が出る。シロヒトリって言うんだがな。あれが山一面に舞うときは、誰も近づかねぇ。昔から巫女の舞って言われてる」

 言葉を繰り返すように、山風が通り抜けた。灯里の髪が頬に貼りつく。

「その巫女は、どんな存在なんですか?」

「昔話だよ。むかし、村を荒らす大蛇がいた。人も家畜も呑むような化けもんだ。巫女さんがその大蛇を祓うため、神火に身を投げた。火は天に昇り、巫女さんの魂は白い蛾になって飛んでいった。そっからだ、巫女の舞ってのは。蛾が飛ぶのは巫女さんが山を護っとる証拠だと」

 警官は遠い山を見やりながら、手のひらで帽子を押さえた。

「けどな、一匹なら警告で済む。群れりゃ厄災の兆しってことだ。今もあの山じゃ、白い蛾が夜な夜な灯りに集まってる。まるで、何かを呼んでるみてぇにな」


 雷蔵が低く息を吐く。

「つまり、厄災が近いと」

「そう信じてる奴もいるわな。……この辺の住民が、祭りで鎮めてるんだ」

「祭り?」

「数年ごとに、蛾が増えるたびにやってる。篝火を焚いて、巫女さん役の娘が舞う。火に寄ってきた白蛾を焼く。焼ける煙は巫女の魂を昇華させるってな」

 雷蔵は顎に手をやり、沈黙した。灯里はそっと瞳を伏せる。

「巫女の魂を慰めて鎮める風習かしら」

 警官はその意味を問うように彼女を見たが、何も言わずに扉を閉めた。


 宿を手配し山の奥まで立ち入ると、鬱蒼とした木々の間から朽ちかけた鳥居が覗いている。注連縄は千切れ、苔の匂いが湿気とともに漂ってきた。雷蔵が足元の泥を見て言う。

「踏み跡が新しい。誰か最近入ってるな」

「失踪者か、あるいは……」

 灯里は言葉を濁す。白い翅がひとひら、肩に落ちた。雷蔵が反射的に掴もうとしたが、翅は指の間で霧のように消えた。

「……境界が薄いわ」

 灯里が鳥居の前に立つ。掌をそっと掲げると、空気が波のように揺れた。彼女の『境界』が反応している。

「この場所、恐らく伝承の神火の跡地ね。人の祈りの残渣が積もりすぎて、層になってるわ」

「行方不明者もここか」

「……いえ、ここには──気配が感じられない」

 雷蔵は短く息を吐き、懐から端末を取り出した。画面には地図データと、透真が送ってきた気象観測の簡易グラフ。

「シロヒトリの群発、二週間前から急増。気温・湿度・気圧、全部が普通じゃねえな」

「大量発生というより、呼応しているわね」

「誰にだ」

 灯里は答えなかった。


 夕刻。宿代わりの民宿は、半分が空き家のようだった。長い間機能していないのだろう、微かに埃臭い。軒先の裸電球に白蛾が集まり、ガラスを叩く音が絶えない。雷蔵は湯呑を手にしたまま、窓辺に立った。

「……巫女が火に身を投げた、か。そんなもん、誰が見てたんだ」

「見ていなくても、そうだったと語られれば、それが真実になるわ。怪異は、記憶と語りで形を変える」

 灯里は湯気を見つめながら言った。

「巫女はこの山の装置になったのよ。土地が鎮まるたび、人が感謝を忘れないための仕組み」


 軒先の電球の下、白蛾がひとつ焦げるように落ちた。ぱち、と小さな音がして、光が瞬く。雷蔵が顔を上げる。

「……今、聞こえたか?」

「ええ。呼ばれたわ」

 灯里は声を潜めた。

「まだ姿は見せていないけれど、あの巫女は確かにいる」



2-2. 蛹


 翌朝、霧は濃かった。山裾を覆う白が、まるで夜の残滓のように沈んでいる。道の脇に積もった落葉は水を吸い、踏むたびに音を立てた。雷蔵は先頭で笹を払い、灯里がその後ろを歩く。鳥の鳴き声ひとつしない。風の代わりに、微かな翅音が森の奥から響いていた。

「……聞こえる?」

 灯里が立ち止まる。耳を澄ませると、ざらざらと何かが擦れ合う音。葉の裏に、枝に、熊の毛の塊のようなものがびっしり張りついている。蛾の幼虫だ。夜の湿気を吸って、動かずに群れていた。

「山が生きてるみてぇだな」

 雷蔵の声は低く苦笑を混ぜていたが、握った拳に力がこもる。足元に落ちた一匹を靴で払うと、細い糸を残して地面に滑った。灯里が小さく囁く。

「彼らも、呼ばれている」


 ふたりが辿り着いたのは、地元の猟師が「祠の裏に穴がある」と話していた場所だった。由来不明の祠の裏側。土砂崩れで埋もれかけた、地元の者も近寄らないような獣道を慎重に乗り越えたその奥に、獣道よりも細い裂け目。湿った冷気が中から流れ出ている。懐中電灯を向けると、奥に鈍く光るものが見えた。雷蔵は無言で拳銃を確認し、灯里に頷く。彼女は掌を組んで、境界の膜を張った。


 洞窟は短いが、空気が異様に重い。壁には蜘蛛の巣のようなものが幾重にも張りついている。糸が光を反射し、きらりと輝く。足を踏み入れた瞬間、灯里の体がびくりと震えた。

「……誰か、ここで祈っていたわ」

「祈り?」

「ええ。けれど形が違う。慰めじゃなく、封じるための祈り」

 奥へ進むと、息を呑むような光景があった。岩肌に抱きつくようにして、巨大な繭が張りついている。人の背丈ほどもある、土と枯葉をまとった茶褐色の塊──薄い糸の膜が幾層にも重なり、毛のような細線が全体を覆っていた。光を当てると、表面がうっすらと脈打っている。

「……見つけたな」

 雷蔵がナイフを抜き、慎重に表面をなぞる。刃先が沈むほど柔らかく、湿っていた。軽く力を入れると、膜が裂け、内側からぬるりと温かい空気が流れ出た。その奥に──人の形があった。肩、腕、脚。だが皮膚の色はなく、灰色の薄膜に包まれ、繭の内壁と一体化している。

 灯里が静かに唇を押さえる。

「行方不明者、かしら。まだ息がある」

「どう見ても、虫の蛹だぞ……人間を素材にした」

 雷蔵の声が低く荒んだ。


 ナイフの刃を引き抜くと、糸が細く切れて音を立てた。中では、被膜の下の胸がゆっくりと上下している。生きている。それも、まるで眠っているかのように穏やかに。灰色の皮膜を毟ってみると、人の肌が覗いた。

「──中身はまともだな。白独りの巫女の仕業か?」

「わからない。けれど……守られている気がする」

「守られてる? この状態でか?」

「ええ。もしかしたら、もっと大きな厄災の名残から」

 雷蔵は懐中電灯を掲げ、周囲を照らした。壁一面に同じ繭が連なっている。大小さまざま、獣の骨や鳥の影が透けて見えるものもあった。薄膜が微かに呼吸するように揺れ、内側に泡のような気泡が浮かんでは消える。

「……守るってのは、全部を閉じこめることか?」

 雷蔵の呟きに、灯里は答えず、繭の表面へ手を伸ばした。指先に触れた瞬間、毛のような糸がわずかにざわめく。彼女の掌から淡い光が滲み、繭全体に広がった。

「……意識は沈んでいるけど、まだこちら側にいる。巫女は彼らを繭に包んで、外の『何か』から隔てたのかもしれない」

「だとしたら、何から守ってるんだ?」

「それが……感じられないの。厄災の気配が、どこにもないわ」


 洞窟を出たとき、外の空気がやけに軽く感じられた。霧が薄れ、光が差し込んでいる。所轄に行方不明者と思しき者の発見を連絡した雷蔵は、無言で煙草を取り出した。灯里がふと立ち止まり、山の斜面を見つめる。

「……巫女が本当に守ろうとしていたのは、人じゃなく、山そのものだったのかもしれない」

 そのとき、頭上を白い影が横切った。見上げると、無数の白蛾が群れをなし、陽を反射して揺れていた。ゆらゆらと漂うその様は、光の粉が舞っているようでもあり、まるで見えない手が天から撒いた紙片のようでもあった。灯里は静かに呟く。

「そういえば巫女の舞……もうすぐ始まる」

「村の祭りのことか?」

「ええ。集落の老人たちが話していたのを聞いたわ。巫女を鎮める祭りを今夜やるって。蛾の群れが出始めた年は、必ずそうしてきたそうよ」

 雷蔵は眉をひそめた。

「供養なんかで済むもんなのか?」

「それでも、やらなきゃいけない。人は終わったことを確かめずにはいられない」


 夕暮れには、集落の空気がざわめき始めていた。家々の軒先に灯りがともり、白い煙がゆるやかに立ち上っている。祭りの準備をする住民たちの手は慣れていた。木桶に水を張り、香を焚き、藁を束ねて結ぶ。集落の老婆が、巫女役の少女の衣装を整えながら言った。

「今年も、きっと山は鎮まる。巫女さまのおかげでな」

 雷蔵はその背を見送りながら、低く呟く。

「てか、要は……蛾を焼く準備だろ、これ」

 灯里は肩をすくめた。

「そうよ。でも彼らにとっては祈りであって、供養なのよ。代々続いてきた、感謝の象徴」


 日が沈み、森の影が濃くなる。遠くの鳥居の方角から、灯里の意識にかすかな震動が伝わってきた。灯里の耳がわずかに動く。

「……境界が揺れた。あの鳥居に、何かが触れた」

「白独りか?」

「まだ分からない。でも、夜の祭りが始まれば、きっと現れる」

「なら、俺たちはそれまで待つ」

 灯里は頷き、静かに言葉を結んだ。

「祭りが無事に終わればいいのだけれど」

 集落の灯りがひとつ、またひとつと灯りはじめる。雷蔵と灯里はその光を背に、祭りが行われるという神社へと向かった。風も息も潜めるように止まり、遠くからかすかな翅音だけが、雨音のように響いていた。


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