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CASE:023-1 白独りの巫女

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

1-1. 白影


 夜のネット空間は、いつだって軽薄な恐怖で賑わっている。「心霊配信」「呪物開封」「廃墟潜入」。タグを追えば似たような映像がいくらでも出てくる。しかし、ある週末を境に『それ』は異常な速度で拡散を始めた。

 ──山神社に、白髪の巫女の霊が出るらしい。

 ──しかも、出たのはシロヒトリの群れが湧いた夜。

 最初はよくある怪談ネタのひとつに過ぎなかった。白蛾の舞い散る廃神社。真っ白な影が境内を横切る。画質は粗く、音声も割れていた。しかし不自然な静止画の瞬間が、視聴者の脳裏に焼きついた。動画の終盤、カメラが真っ白にフリーズした直後、マイクには掠れた呼吸音だけが残っていたのだ。


白独(しろひと)りの巫女(みこ)

 そうタイトルが付けられた動画は、一晩で数十万回再生を超えた。やがて廃墟写真家、心霊探訪系、オカルトクラスタ──次々と現場検証が行われ、あっという間に『最恐スポット』と化した。

「また便乗ネタでしょ」

「白髪ウィッグとドライアイスだよ」

「虫の羽ばたきが映像ノイズに見えるだけ」

 そんな冷笑を交えつつも、人は惹かれてしまう。誰かが見たと言えば、誰かが確かめる。その繰り返しが、存在してはならないものを肥やしていく。


 ある夜、有名配信者が生配信を始めた。自称ギャル霊媒師、Youviewのオカルトジャンルでは一部、信者のようなファンまでついている。「今からこの山神社、祓いに行きま〜す」と笑っていた。カメラの向こうでは虫除けスプレーが霧を吐き、画面の端を白い羽根がふわりと横切る。

『ヤバ、ほんとに白い蛾出てるじゃん』

『え、今後ろ動いた?』

『祓う前に虫よけしてて草』

 コメントが滝のように流れ、彼女は満足げに笑った。その直後、映像が一瞬跳ねる。白いノイズが走り、カメラが地面を向いた。そこに映ったのは、雪のような蛾の群れだった。群れは生き物というよりも、光そのもののように揺れていた。次の瞬間、彼女の声が途切れる。

「……や、やばっ……白──」

 画面は真っ白になり、音だけが残った。喘鳴。靴音。そして「逃げろ!」という叫び。映像はそのまま途切れ、配信は強制的に終了した。

 視聴者は笑い、拡散し、ネタにした。

「ヤラセ乙」「演技上手すぎ」「次はメンバー限定で頼む」

 だが翌朝、彼女のチャンネルには更新がなかった。翌々日、彼女の知人が「連絡が取れない」と発表した。


 ──行方不明。軽薄な冗談は、急に温度を失った。SNS、ツブヤイタッターのオカルトクラスタには『白独りの巫女』というタグが氾濫し、「山神社の写真」が投稿された。

『あの配信者の友人も行方不明らしい』

『心霊スポットで三人消えた』

『夜中に白い影を見た』

 投稿のひとつひとつは曖昧で、根拠も裏付けもない伝言ゲームだった。だが、画面を流れる噂の粒が重なっていくうちに、それはまるでひとつの巨大な意志を持つ何かのように育っていった。


 ニュースサイトが『ネット発祥の怪談』として取り上げた頃には、山の名前も位置も特定されていた。地図アプリの座標には既にピンが立っている。検索窓には候補が浮かぶ。

『白独りの巫女 本物』『白独りの巫女 やらせ』『白独りの巫女 場所』

 真実を確かめに行った者たちの大半は徒労と終わり、「やらせだった」と言う。そして極一部は──戻らなかった。


 八月の初め、所轄署に最初の失踪届が出された。山の廃神社周辺で撮影をしていた若者グループが消息を絶った。彼らが残したハンディカメラの映像には、逃げ惑う声と、画面いっぱいの白い粒子が残されていた。ノイズの向こうで「白い巫女」という叫びが反響する。その映像は本来、証拠物件として押収されるはずだった。だが、所轄の若い刑事が夜勤中にファイルを確認した直後、そのまま姿を消した。


 ──画面の中と外が、混じっていく。その異常報告は公安経由で上層部に上げられた。「噂が拡散すれば怪異は加速する」、怪異が実在するものと知られてはならない。つまり公開捜査は不可能。内密に、迅速に行わなければならない。


 特異事案対策室。警視庁本庁地下、存在しない部署。

 夜更けの蛍光灯の下、ファイルが静かに置かれている。

 ケースナンバー:T-2011-012

 タイトル:白独りの巫女。


 端には二つの名が記されていた。

 ──担当者:(とどろき)雷蔵(らいぞう)久世(くぜ)灯里(あかり)


 外では不意の雨がアスファルトを濡らしていた。水溜りに路地裏のネオンがぼやけ、遠くで雷鳴がかすかに響く。その音は、まるで誰かの呼吸のように低く、長く続いていた。



1-2. 指令


 蛍光灯の白が、書類の角を冴え冴えと照らしていた。警視庁本庁地下、特異事案対策室。朝も昼も感じることのない窓のない部屋、ただ時計の秒針と空調だけが規則的な音をたてている。


 無造作にシャツの袖をまくった、腕の厚さに張り裂けそうな袖口からは幾多の古傷が覗く。両掌は火傷の痕に覆われている。雷蔵は、資料の一枚を指先で弾きながら唸った。

「またYouview配信中の行方不明か──世も末だな」

 声は低く、喉の奥に錆のような響きを帯びていた。机の上の灰皿には、吸いかけで消えた煙草が三本並んでいる。室内禁煙は知っている。だが、ここには誰も注意する人間はいない。


 灯里はその向かいで、薄く笑んだ。

「末は、もう何度も越えてきたでしょう」

 彼女の声は柔らかく、けれど底に冷たい水音を孕んでいた。スーツの袖口から覗く手首は透けるように白く、光に浮かび上がる。


 雷蔵は乱暴に調書のページをめくりながら、ため息を吐いた。

「廃神社に白い影、配信中にフリーズ、若者失踪。ついでに、追っていた若ぇのまで消えたってか」

「怪異の条件が揃いすぎているわね」

「噂の燃料投下ってやつだろ? ……で、公安経由の依頼。秘匿のうちに封じろ、だとよ。毎度毎度、言うだけなら簡単だな」

 灯里は机の上に置かれた写真を手に取った。山肌を背景に、ひっそりと建つ小さな鳥居。赤塗りのはずの柱は風雨に剥げ、白い蛾が何匹も止まっている。

「……シロヒトリね」

「蛾の名前か?」

「ええ。白独り──この蛾から名付けられたのね」

 灯里の瞳が、わずかに曇る。

「成虫の羽は真っ白で、脚は赤い。体には赤と黒の斑点。まるで巫女装束みたい。蛾は死者の魂を運ぶ、という伝承も多く残っているけれど……」

「虫コロで祟りとは、便利なもんだな」

「そういう便利な象徴があるから、怪異は形を得るのよ」

 雷蔵は鼻で笑い、煙草をくわえた。

「相変わらずだな、久世」

「理屈を語れるのは、人間の側だけよ」

 その言葉に、轟はしばし目を伏せる。天井から落ちる白光が、煙の中で白く霞んだ。ふとファイルの陰から、白い鼠が現れる。──室長の式神。鼠はチチッと鳴くと前脚に持っているメモを差し出した。

『噂拡散により現象の拡大を確認。速やかに対応を実施せよ』

『派遣:轟雷蔵・久世灯里』

『目的:行方不明者の捜索および発生源の特定。必要と判断した場合、封殺を許可する』


 灯里が静かにメモを閉じた。

「封殺。ずいぶん穏やかじゃない命令ね」

「穏やかな仕事だった試しなんてねぇだろ」

 雷蔵は椅子を引き、立ち上がった。分厚い黒のジャケットを羽織ると、その影が壁に落ちる。服の下で、古傷が鈍く疼いた。

「とは言え、少し仮眠だな。久世、先に仮眠取れ」

「ええ。蜘手さんと葦名くんが来てから交代で出ましょう」

 蛍光灯の下で、二人は短く頷き合った。時計は午前一時を指している。報告書をまとめ終えた灯里は机に肘をつき、静かに目を閉じた。雷蔵は背もたれに体を預け、深く息を吐く。──現場であるH原村までは、およそ九十キロ。首都高を抜ければ一時間半。眠る間もなく夜を明かすより、僅かな仮眠が現地での冷静さを保つ。


 午前七時半。特対室のドアが開き、コーヒーの香りと共に蜘手(くもで)創次郎(そうじろう)葦名(あしな)透真(とうま)が現れた。

「よう、交代だ。少しは寝たか?」

「ええ、充分よ」

 灯里が立ち上がり、ファイルを渡す。

「報告書はここまで。現地はH原村。白蛾の大量発生、白い巫女目撃情報は不確定。行方不明者が現時点で三名」

「了解。山の神社ってことは山の神さん絡み? 厄介そうだな」

「行方不明者、まだ生きているといいのだけれど」

「生きてたら上出来だ」

 雷蔵は無言で鍵束を掴み、立ち上がった。


 地下のドアを開けると、朝の冷たい空気が流れ込む。

「人が噂を作り、噂が怪異を作る。それを断ち切るのは、いつも痛みを伴うわね」

「手加減してる暇はねぇ。放っときゃ東京中が蛾の山になりかねん」

「そうやって自分を守っているんでしょう?」

「何をだ?」

「見たものを、心に置かないように」

 雷蔵は答えず、エレベーターの閉まる音に紛れた。


 地上に出ると雨粒がアスファルトを叩き、街路樹の葉を濡らしていた。ビル群の向こうに、雷雲が遠く光っている。公用車の屋根に落ちる雨が、低いリズムを刻む。雷蔵が運転席に乗り込み、助手席に灯里が滑り込む。黒い車がゆっくりと庁舎を離れ、首都高のランプへ向かう。


 車窓に映るネオンが、灯里の頬を青く染める。

「轟さん、本当にいると思う? 白独りの巫女」

「信じる信じねぇじゃねぇ。実際に出てきたら殴るだけだ。封殺の許可も出てるしな」

 淡々とした返答に、灯里は苦笑した。

 首都高を抜ける頃には、雨は本降りになっていた。フロントガラスに滲む街灯の光が、白蛾の翅のように流れていく。雷蔵は無言でワイパーを動かした。その動作に合わせるように、灯里は窓の外を見つめた。


 現場はまだ遠い。けれど、すでにその予感は届いていた。電線を伝って、通信を通して、人の噂を這うように。白い蛾が、闇を渡って飛んでいる。見た者の目に映った時点で、怪異は現実になる。雷蔵は煙草を取り出しかけて、やめた。代わりにハンドルを握り直し、低く呟いた。

「──白独りか。誰がそんな名前をつけたんだかな」

 灯里はその言葉に何かを感じたのか、ただ静かに目を閉じた。まぶたの裏に、白い羽が無数に舞う。それは、遠い昔に見た光と同じ色をしていた。


 車は雨の帳を抜け、東の山並みに向かって走る。ラジオから流れる天気予報が、無感情に告げた。──次第に雨脚が強まり、昼頃までは雷雨となるでしょう。


 雷鳴が、応えるように遠くで鳴った。



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