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CASE: EX 呪いのセルロイド人形

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

1.薄汚れた人形


 特異事案対策室、オフィス。窓の無い地下、時間感覚の薄れた空間。葦名(あしな)透真(とうま)のデスクの上には、やや場違いとも思える薄汚れた西洋人形が鎮座していた。くすんだ金髪は長年の埃を吸い込み、毛先が絡まって塊になっている。頬のピンクは色褪せ、硝子の瞳だけがやけに澄んで、こちらを睨み返してくるようだった。膝の上で組まれた両手には、亀裂の入ったセルロイド特有の乾いた光沢。夜のオフィスに残れば、蛍光灯の白にその影が揺れ、不気味に動いたように見えたかもしれない。──だが今は日中。冷え切った蛍光灯の光の下、カタカタとキーボードを叩く音が室内に規則正しく響いていた。


 音の発生源である南雲(なぐも)美優(みゆ)は、ふとその手を止めた。顔を上げると、透真が例の人形に向かってブツブツ呟きながら、メモ帳に走り書きをしているところだった。

「……空間的帰還の経路……位相のズレ……」

 詳細を聞き取れるような大きさではない。だが数式を唱えるように一文字一文字を、唇の動きで確かに紡いでいる。

(また、なんかしてる……)

 頬杖をついた美優の視線の先、透真はスーツの裾を椅子に巻き込んだまま無造作に座り込み、無精ひげを撫でながら、眼鏡の奥を細めている。まるで研究者然としたその姿は、どこか滑稽で、しかし触れてはいけない空気をまとっていた。


 事の発端は、数日前に持ち込まれたこの人形だった。

 由来不明。セルロイド製。捨てても必ず戻ってくる、という。いわゆる『呪いの人形』。それを回収してきたのが特対室の役目であり──そして、こうして机の上で透真の検証対象となった。

 透真の観察は、執念深さすら帯びていた。白紙を埋めるペンの動きは一定のリズムを刻み、時折、短く息を詰めて考え込む。その横顔は、ただ解き明かすことだけを欲している人間のものだった。


(いや、あの目……あれ、確実に人形に話しかけてるよな)

 美優は背筋をぞわりとさせた。人形の方も、微かに応じている気配がある。もちろん声は出さない。だがガラス玉の瞳の奥に、わずかな感情の影がちらついたような……気のせいだろうか。

(透真先輩、頭おかしくなってない? いや、元からちょっと変だけど……)

 キーボードに置いた自分の指先が汗ばんでいるのに気づく。冷房の効いた事務所なのに、妙に暑苦しい。再び画面に視線を戻すが、集中できない。モニターの端に映り込んだ透真と人形の影が、じわりと視界に滲んでくる。

(帰ってくる人形、か……。普通だったら怖がるとこなんだけど……なんか透真先輩が真顔でメモってるほうが怖いんだよな)


 美優は小さくため息をついた。この部署にいると、怪異そのものより、それを当然として受け入れ対応していく面々の方が、よほど異常に見えてくるのだ。その時、不意にメモ帳を閉じる音がした。美優が顔を上げると、透真がこちらを見ていた。眼鏡のレンズに蛍光灯が反射し、目元は読み取れない。だが口元は僅かに緩み、疲労と満足の混ざった笑みを浮かべていた。

「……なるほど。大方の傾向は掴めたな」

 誰にともなく呟いた声は、まるで講義の終わりの総括のようだった。人形の瞳がその声に呼応するように、かすかに光を宿した気がした。美優は慌てて目を逸らす。

(やっぱり……やっぱりこの人、普通じゃない)

 透真にとっては、すべてが観察対象に過ぎない。目の前の不気味さも、人形の背後にある怪異の気配も、恐怖の対象ではなく、検証すべき材料。

「……さて、次はどうするか」

 その呟きに、美優は無意識に椅子を引き、デスクと距離を取っていた。



2.検証者


 話は遡る。透真が最初に試したのは単純な問いだった。──この人形は『場所』に戻るのか、それとも『人』に戻るのか。

 夜、彼は山奥に車を走らせた。標高の低い斜面を選び、人気の絶えた林道の脇に人形を置く。落ち葉の上に座らせると、ガラスの瞳が月光を反射して鈍く光った。

「さて……帰る先はどこだ」

 そう呟いて背を向ける。

 翌朝、透真が出勤してきた時──人形は彼の腕の中にあった。彼はまるで仕事道具を持ってきたかのような顔で、それを机に置いた。

「やはり人だな。対象は所有者を認識している」

 誰に向けるでもなく、スーツの胸ポケットからメモ帳を取り出す。ペン先が走り、かすれた字で記録される。美優はそれを見て、口を半開きにして呆れるしかなかった。

(いや……なんで普通に抱えて出勤してんの?)

 だが、透真の背中からは、冗談を受けつけない気配がにじんでいた。


 次に透真が向かったのは処理施設だった。巨大な粉砕機の口に人形を投入し、粉々になるまで見届ける。刃が唸りをあげ、セルロイドの破片と綿が舞う。透真は防護眼鏡越しにそれを凝視し、深く頷いた。

「……破壊を確認。さて」

 翌朝。彼は人形を抱えて出勤してきた。


 さらに焼却炉。赤熱する炎の中で衣服ごと崩れ落ち、黒煙になったはずが──翌朝にはまた、人形を抱えて出勤してきた。(とどろき)雷蔵(らいぞう)が、胡乱なものをみる顔で、透真を見ている。

「おい──」

「破損の程度は無関係か。自己修復能力……いや、時間逆行的な補正の線もあるな」

 眼鏡の奥で瞳が鋭く光る。彼の手は止まらない。分析、推論、仮説の羅列。夕方、美優はエナジードリンクを口にしながら、まだやっているのかと、その光景を遠目に眺めていた。


 透真は次に『戻ってきたのは同じ個体』かどうかを確かめた。細い金属の認識票を首元に括りつけ、再び粉砕。翌朝、彼が持ってきた人形の胸元には、認識票が揺れていた。自宅でも検証をしているのだろうか、それとも人形の何らかの影響か。ここ数日、透真の目は睡眠不足の為か充血している。蜘手(くもで)創次郎(そうじろう)が苦笑いを浮かべる。

「なぁ、透真。他に差し支えないように、程々にし──」

「同一個体と断定できる。複製生成の線は排除できるな」

 冷静に言い切るその姿は、実験動物の生還を確認する研究者にしか見えなかった。


 次の課題は、どうやって戻るのかだった。透真は人形に万歩計を装着し、山奥へと置いてきた。翌朝戻ってきた人形の歩数は──十数歩。到底、自力で山道を歩いた数値ではない。

「徒歩での帰還は否定できる。観測系の抜け穴を通過しているな」

 彼は独りごちる。そもそも、この種の話で「人形が歩いていた」という証言は聞いたことがない。当然だろう。


 それで満足する彼ではなかった。次に小型カメラを人形に搭載し、映像を記録することを試みた。結果──ほとんどがノイズだった。だが時折数フレームに、奇妙な映像が混ざっていた。どこかの見知らぬ風景。ぐにゃりと歪んだ光の網目模様。そして、唐突にこちらを覗く『目』。

「これは……空間位相の転移痕だな。異空間を経由している」

 ペン先が紙面に踊る。彼の声は淡々としているが、その胸の奥では確かな昂揚が燃えているのを、美優は感じ取った。



3.苛立ち


 透真の検証は淡々と繰り返された。美優はあの温厚な久世(くぜ)灯里(あかり)の横顔にほんの一瞬、うんざりした表情が浮かんだのを見逃さなかった。粉砕、焼却、放置──そのたびに人形は翌朝には戻ってきた。まるで「これが私の仕事です」とでも言いたげに、透真とともに出勤してきた。


 しかし、ただ一つ違っていったのは──人形の顔つきだ。最初は無垢ともいえる、古びたガラス玉の瞳。だが破壊と帰還を繰り返すごとに、わずかに──本当にわずかに、口元の角度が変わっていった。

「……表情の変化を確認。感情の表出に類似。疲労、苛立ちに相当」

 彼の声は冷たい蛍光灯の光のように無機質で、そこに畏れの色は一切なかった。美優はデスクの陰から人形を覗き込んだ。

(うわ……これ、絶対怒ってる顔じゃん……!)

 眉間に寄った皺。下がった口角。鋭い視線。無表情な人形のはずが、今ではすっかり刺すような目つきを持つ存在になっていた。


「透真先輩、それ……気づいてます?」

「ああ、知っている」

 透真はペンを止めもせず、淡々と答える。

「感情のようなものも持ち合わせているようだな」

 その落ち着き払った口ぶりに、美優は頭を抱えたくなった。だが透真は顔色ひとつ変えず、次のページに新しい表を書き始めている。


***


「成程な。おおよそのデータは取れた」

 小さく頷きながら、彼はひとりごちた。スーツの胸ポケットからペンを取り出し、何かをすらすらと書きつける。その横顔は『未知』が『既知』へと変わっていく快感に微笑む研究者そのものだった。美優はぞっとした。そして──透真は視線を横に滑らせ、美優を見た。

「南雲」

「は、はいっ!?」

 思わず姿勢を正してしまう。

「次は、『分解』しても帰還するかどうかの検証だ。材質はセルロイド、目はガラス。髪は人毛で服は綿」

「え、ええと……」

「取っておきたかったら取っておいてもいいが。室長はいらないらしい」

 人形を軽く持ち上げ、机に置く。その仕草はまるで「余った備品を処分するから、欲しいなら持っていけ」と言うかのようだった。

「なんか顔がムカつくんで、私もいらないです」

 美優の言葉を聞いた人形の眉間のしわが、さらに深く寄ったように見えた。

「そうか」

 メモ帳を閉じる音だけが、静まり返った事務所に響いた。



4.収束


 透真の言葉に従い、美優は仕方なく席を立った。机の上で刺すような目をした人形と視線が合う。美優が人形にそっと触れた次の瞬間、彼女の掌からじわりと力が広がり──形あるものを分解していく、特異な感覚が体内に走る。

 セルロイドの表面に細かな亀裂が走る。綿の服は繊維の単位にまでほどけ、髪とともに粒子となって空気に溶け込んでいく。最後に澄んだガラス玉の瞳が、ひときわ強く光を反射し──消えた。

 美優がふと視線を上げると資料棚が目に入った。そこには一体の人形がひっそりと立っている。


 ──三本足のリカちゃん人形。

 かつて、美優がフリマアプリ『モレカリ』で見つけ、経費で購入したものだ。届いた当初はよく喋った。「バカ女」「ブス」だの、口汚い罵倒を延々と繰り返し、特対室の面々を苛立たせた。

 だが、誰も相手にしなかった。透真は聞き流し、雷蔵は興味も持たない。蜘手は鼻で笑い、灯里は微笑みで無視した。やがてその声は次第に小さくなり、今では完全に沈黙している。

 今となっては、ただ足が三本あるだけの人形。無機質なプラスチックの笑顔を浮かべたまま、埃をかぶったまま棚に置かれていた。美優はその姿をぼんやりと見つめた。

(……そうだよな。ホラーって、誰かが怖がってくれなきゃ成立しないんだよ)


 西洋人形は、もう帰ってこなかった。静かなオフィスにPCのファンの、微かにずれた音たちが重なり響く。それはまるで、怪異の一つがこの世界からそっと幕を下ろした葬送曲のようでもあった。美優は唇を結び、わざと軽い声で言った。

「──あーあ。もう出勤してこないのか」

 透真は視線を上げ、微かに笑った。

「あの種のものの研究対象としては有意義だった」

(人形の方は絶対そう思ってないよ)


 誰も答えないオフィスで、リカちゃん人形だけが虚ろな笑顔を浮かべ続けていた。


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