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CASE:022-4 八尺様

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

4-1 崩壊


 透真の叫びが室内に響いた瞬間、美優の心臓が大きく跳ねた。『分解』──自分の手で、雷獄の稲妻を受けても再び輪郭を取り戻そうとしているこの異様な存在を壊せというのか。混乱で頭は真っ白だった。だが、白い鍔広帽子がゆっくりとこちらを振り向くのを見たとき、意識より先に身体が反応した。

「……『分解』っ!」

 声と同時に、触れた掌が熱を帯びる。視界に浮かぶそれは、確かに「白い綿」「黒い人毛」「白い布」として捉えられていた。『八尺様じゃない』という透真の言──美優の目は、それを『存在』としてではなく『部品』として認識した。


 瞬間、『女』の身体にひび割れが走った。ガラス細工が粉々に砕けるように、布地が粉片となって宙を舞い、黒髪が糸状に解れて霧のように消えていく。悲鳴はなかった。あるのは「ぽ……ぽ……」の声の途切れ途切れの残響だけ。それさえも途中でねじ切られ、唐突に無音となった。


 あまりにあっけなかった。これまでの二晩の恐怖を嘲笑うかのように、『女』は跡形もなく掻き消えたのだ。残されたのは、畳に転がる小さな音。パタン……と乾いた響きが夜気に溶ける。


 皆の視線がそこに集まる。美優の足元に転がっていたのは、一個の缶バッジだった。安っぽい印刷。子供向けのグッズ売り場で並んでいそうな品。だが描かれているのは、今しがた消えたそれと同じ──白帽子、黒髪、白ワンピースの女の絵だった。

「……バッジ?」

 美優が呟く。まだ全身が震えている。透真がすぐさま拾い上げ、ビニール袋に封じ込める。

「やはり……」

 彼の声は低い。けれど確信を帯びていた。雷蔵は未だ全身から火花を散らしながら、畳に拳を叩きつける。

「ちくしょう、なんなんだ、今のは……」

 怒りと苛立ち、そして安堵が混ざり合う。蜘手は深いため息を吐き、額を押さえた。

「……精神の手応えがなかった理由、これか。おいおい、マジかよ」

 灯里は美優の肩を抱き寄せ、優しく声を掛ける。

「大丈夫、もう大丈夫よ」


 その瞬間、美優は初めて自分の心臓が規則正しく打っていることに気づいた。

 耳にまとわりついていたあの「ぽ……ぽ……」の声も、すっかり消えていた。


 稲妻により燻っていた火は消火器により初期消火がなされ、念のため、その夜も結界は張られ続けた。破れた窓にはベニヤが張られ新聞紙で新たに覆い、盛り塩は四隅に盛り直され、室長の符は重ね貼りされた。だが、もう『女』が現れることはなかった。蜘手の指示で透真は缶バッジの解析のため帰還し、静寂と秋の虫の声だけが夜を埋めていった。


「──もう、無理。寝ます……」

 美優は消火剤の粉を払った布団の中で、ようやく浅い眠りに沈む。窓の外では監視の三人が木陰に立ち尽くし、互いの顔を見合わせた。胸中に残るのは安堵と同時に、拭えぬ疑念。あっけなさすぎる。


 ──今夜消えたのは、『八尺様』だったのか。それとも透真の言う通り、別の何かだったのか。



4-2 擬物


 翌朝。特対室のオフィスは、いつになく静かな空気に包まれていた。蛍光灯の白が机上を照らし、中央には一つの小袋が置かれている。中には、安っぽい印刷の缶バッジ。──白帽子、黒髪、白ワンピースの八尺様が描かれていた。おそらく何者かが個人製作でもしたものだろう。透真はファイルを閉じ、静かに口を開いた。

「解析は終わりました。やはり──あれは八尺様という怪異ではありません」

 沈黙が落ちる。透真は淡々と続けた。

「正確には、『擬八尺様』と呼ぶべきでしょう。あれは八尺様の『記号化された姿』が概念となり生まれた、別の怪異です」

 美優が眉をひそめる。

「記号化……って?」

「本来の八尺様は、見る者によって姿が異なるとされている。長身の女とも、老婆とも。だからこそ不可解だったんだ──俺たちが見たのは全員同じ──白帽子、黒髪、白ワンピース。所謂、テンプレの八尺様だった」

 蜘手が鼻を鳴らす。

「なるほどねぇ。つまり、どっかの誰かが『八尺様はこういうモンだ』ってイラストにしたやつをクリエイター気取りが猿真似し続けた結果、別の怪異が肥えちまったって訳か」

「ええ。あくまで誰かが見た姿のひとつに過ぎないのに、それが全てであると思い込み、イラストや怪談動画、ゲーム等に使い回され、繰り返し目にされるうちに、八尺様はこういうものという記号だけが原典を離れひとり歩きしてしまった」

 透真は袋の中の粗悪なバッジを見やり、冷ややかに言う。

「その結果、生まれたのが『擬八尺様』です」


 雷蔵が苛立ちを隠せず机を叩いた。

「ちっ、ふざけんな……そんなくだらねぇことで──」

「しかし、生まれたばかりの存在だからこそ、浅かった。だから南雲の『分解』で容易く消滅した。存在が希薄で、まだ力を持ちきれなかったんです。俺たちに気づかなかったのも、『弱さ』ゆえに標的とした南雲ひとりにしか干渉できなかったのでしょう。生まれの影響か、行動は原典を浅くなぞっていたようですが」

 灯里が小さく溜め息をつく。

「皮肉な話ね。怪談が『商品』や『テンプレ画像』として再生産され、別の怪異を生んでしまったなんて。──言ってみればその創作者たちは、『まがいものの巫女や男巫』ね」

 透真は小さく頷く。

「記号化による偽物。ファンシーグッズ化とでも呼ぶべきでしょう。──しかし、それが却って封じ込めが難しい。『まがいものの巫女』が気付かずに再生産を続ける限り、発生の可能性があります。対処自体は単純に『記号』を認識し破壊するだけ、しかし当面はその対症療法しかない」

 灯里が透真の言葉に、呟く。

「もし次に現れた際に封印へ誘引できれば、あるいは──」


 机上に置かれた缶バッジは、どこにでもある駄菓子屋の景品のように見える。だが、昨夜あれが美優を殺しかけたのは紛れもない事実だった。蜘手が腕を組み、天井を仰ぐ。

「しかし結局、本物の八尺様ってのはどこにもいやしなかったってことか」

 透真は書類に結論を書き入れた。

「八尺様はただの作り話、とりあえずはそう結論づけて問題はないでしょう。──今のところは」

 その言葉だけが、照明のノイズの下で乾いた音を立てた。



4-3 残響


 夜の山奥は、凍りつくように静かだった。谷を渡る風が木々を揺らし、月明かりがその合間から洩れて、白く細い筋を地面に落とす。人の気配はどこにもない。獣すら息を潜め、虫の声だけが響く闇の中で──それは歩いていた。


 異様に背の高い影。

 曖昧な輪郭は月光に溶け込み、まとわりつく布のようなものが垂れ下がっている。それが髪なのか衣なのか、定かではない。

 見上げると膨れていくような錯覚で、その端に視線が定まらない。形は曖昧に揺らぎ、腰の曲がった老婆にも、背の伸びきった若者にも見えた。

 頭上には何かが乗っている。だが、それが襞なのか、布切れなのか、それとも別の何かなのか──判別はできない。


 ただ一つ、直感として『女』であることだけが伝わる。

 それ以上の像は掴めず、輪郭を結ぶほどに揺らめいて遠のいていく。

 山の空気を震わせるのは、その声だった。

 吂……吂、吂……。


 虫の声が止まる。湿り気を帯びた囁きが、谷に吸い込まれて反響する。

 途切れ、戻り、幾重にも重なり合い、やがて空気そのものが呻いているかのように変わる。

 風に乗って、上流からも下流からも響いてくる。

 聞いているのか、聞かされているのか──境目が消える。

 吂……吂……吂……。


 誰も観測していない。だからこそ、輪郭は曖昧なままに保たれている。

 声だけが確かに「在る」ことを証明していた。


 谷間の闇が震え、月光が瞬き、木々が影を結ぶ。

 そのどこを見ても、女の影は歩いていた。

 ひとつの像に収まらず、しかし消えることもなく。

 ──吂、吂、吂……。


 その不気味な声だけが、夜の奥深くに反響していた。



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